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疾病の遺伝的要因解明に前進 -染色体分離で塩基配列完全決定(今井高志 氏 / 放射線医学総合研究所 重粒子医科学センター ゲノム診断研究グループリーダー)

2008.12.17

今井高志 氏 / 放射線医学総合研究所 重粒子医科学センター ゲノム診断研究グループリーダー

放射線医学総合研究所 重粒子医科学センター ゲノム診断研究グループリーダー 今井高志 氏
今井高志 氏

 染色体上でまれに見られる塩基配列の不一致個所は、母親と父親から伝わる塩基が異なることから由来する。こうした個所が染色体上にどのように存在するかは、遺伝子に起因する疾患の原因解明などに重要と考えられ、実際に多くの研究が進められている。ただ、これまでの遺伝子解析法では、異なる塩基がそれぞれ父親経由か母親経由かを見分けることが困難で、研究進展の大きなネックとなっていた。

 われわれ放射線総合医学研究所・重粒子医科学センターゲノム診断研究グループは、このほど染色体上で異なる塩基がそれぞれどちらの親から伝えられたものかを効率よく見分ける手法を開発した。この研究成果の意義について書いてみたい。

 オックスフォード、北京、セントルイスの国際研究チームがそれぞれ西アフリカのヨルバ族の1人と、中国漢民族の1人、また急性骨髄白血病のがん細胞のゲノム配列を完全に解読したことを、最近の英科学誌「ネイチャー」に報告した。2004年にヒトの設計図としてのゲノム配列が決定され、ヒト個人のゲノム配列を再解読する計画(Personal Genome Project)のスタートによって、ワトソン博士(DNA二重鎖構造の発見者)とベンター博士(ヒトゲノム解読の中心人物の1人)のゲノム配列が解析・公開された。さらに今回、人類学的に異なる個人の配列、またがん細胞のゲノム配列が報告され、個々のゲノムの詳細な比較が可能になった。

 これらのゲノム配列の解読には、いわゆる次世代ゲノム塩基配列決定法が使われている。これらの論文では35塩基長ほどの配列を10億個以上つなぎ合わせてゲノムのパズルを完成させる大量並行塩基配列決定法が採用されており、その有効性が証明された。今後、個人ゲノムデータベースの構築と、遺伝子の病気であるがんのゲノムデータベース構築が加速されるであろう。

ところで、ヒトゲノムは、父と母からそれぞれの染色体1組(ハプロイド)を受け継いだ2倍体(ディプロイド)である。染色体は父と母に由来し、塩基配列として約99%は同じであるから、このペアを物理的に、つまり長さや質量、または電荷に依って分離することは非常に難しい。簡単に言えばゲノム塩基配列データは2種類の配列を合成したものであり、99%が同じで残り1%の部分では2本の染色体間に配列上の違いがあることを示すだけだ(図参照)。これらの異なった部分が多型と呼ばれる配列である。また、同一染色体上の多型の組み合わせをハプロタイプと呼び、ひとつひとつの多型よりも多くの情報を得ることができる(図)。つまり、ハプロタイプの解析は疾病の遺伝的要因の探索に重要である。

しかしながら現段階では、ハプロタイプ解析には家系や大きな集団が必要で、そのタイプと頻度はコンピューターを使って遺伝統計学的に推定しているにすぎない。また多くのサンプル数が必要で、頻度が低い多型を組み合わせた場合には推定は困難である。さらに疾患の発症リスクと関連したハプロタイプを集団としては考察できても、患者個人のハプロタイプを確定することは困難な場合が多いため、臨床現場での利用が妨げられてきた。

そこで統計学的な推定ではなく、分子として染色体を分離しようとする試みがこれまでも多数なされている。例えば、多型の配列特異的なプライマーをデザインできればポリメラーゼ連鎖反応(PCR)法を用いて、片方の染色体DNAを増幅することができる。プライマーというのは、DNA合成の起点となる配列のことだ。またDNAを大腸菌に導入すると1細胞に1分子が維持されるので、複数の形質転換した大腸菌を単離・解析することにより、2本の染色体に由来するDNAを分離できる。しかしながらこれらの方法では分離できるDNAの長さに限界があり、数百キロベースの範囲でハプロタイプを決定することはできない。最近、染色体全体をターゲットとしてポリアクリルアミドゲル中でDNAを増幅する方法が報告されており、ハプロタイプの決定に有効であることが示されていたが、これも実験ステップは複雑で、また多型解析の次に必要となる塩基配列決定には利用することができない。

われわれはこの問題にアプローチするためにin-gel multiple displacement amplification(igMDA)法を開発した(2008年11月21日SciencePortalニュース「どちらの親由来か分かる染色体分離技術開発」参照)。ゲノムDNAは物理的に切断されやすく、通常のDNA抽出法では細切れになってしまう。そこでigMDA法では、寒天ゲルと混ぜたヒト細胞から、DNAを寒天分子中に保持した状態で抽出・精製し、ゲル中に希釈分散させ染色体を分離した。微量のゲル断片にPhi29 DNA ポリメラーゼを加えて染色体DNAを10万倍以上増幅し、研究目的の染色体が1本だけであるゲル断面を染色体マーカーの検出により選択した。モデル実験では11番染色体の毛細血管拡張症原因遺伝子ATMを含む240キロベースのハプロタイプが決定できることを示した。

この方法では、1度の実験によりゲノム全体をカバーするDNAのセットができるので、多型の解析だけではなく、ハプロイド塩基配列の決定にも利用できる。すなわち、igMDA法を用いて染色体分離後、次世代ゲノム塩基配列決定法により母親と父親から伝わる2組の完全な塩基配列データを得ることが可能である。

 現在のところ、多数の試料を同時に解析するには実験作業が繁雑であるので、各実験ステップの自動化が今後の課題と考えている。これが実現すれば、疾病の遺伝的要因や、がんゲノム研究への応用につなげることが可能になると期待している。

塩基配列データの[ ]内が多型(SNP)と呼ばれる個所で、対になっている塩基が異なっている。同一染色体上のSNPの組み合せをハプロタイプと呼ぶ。図の場合3つのSNPsの組み合せでハプロタイプは8通り可能であることを示している。
塩基配列データの[ ]内が多型(SNP)と呼ばれる個所で、対になっている塩基が異なっている。同一染色体上のSNPの組み合せをハプロタイプと呼ぶ。図の場合3つのSNPsの組み合せでハプロタイプは8通り可能であることを示している。
放射線医学総合研究所 重粒子医科学センター ゲノム診断研究グループリーダー 今井高志 氏
今井高志 氏
(いまい たかし)

今井高志(いまい たかし)氏のプロフィール
1986年筑波大学大学院博士課程応用生物化学専攻修了(農学博士)、85-87年日本学術振興会特別研究員、87年理化学研究所ライフサイエンス筑波研究センター研究員、91年癌研究会癌研究所生化学部研究員、94年科学技術庁放射線医学総合研究所遺伝研究部主任研究官、2001年放射線医学総合研究所フロンティア研究センター放射線感受性遺伝子研究プロジェクトリーダー、06年から現職。専門は分子生物学。

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