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計画できないことの大切さ(竹市雅俊 氏 / 理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター長)

2008.03.05

竹市雅俊 氏 / 理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター長

理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター長 竹市雅俊 氏
竹市雅俊 氏

 科学者にとって研究計画書の作成は研究費の獲得や自身の研究の評価を受けるために避けることのできない作業だ。緻密かつ論理的でなければ評価者を納得させることはできないから、文章を書きながら自身の研究の妥当性を再点検するよい機会ともなる。その過程で新しいアイデアが浮かんだりもするので、結果がどうあれ、この作業は決して無駄になることはない。

 ただ、同時に空しさを感じる作業でもある。自分の研究史を振り返ってみると、発見の多くが自分の思惑とは違った形で、場合によっては、まったく正反対な結果として生み出されている。

 自身の見通しの甘さを露呈するようなものだが、世の中の発見の多くが実際、このような形で生まれているわけで、科学の世界における日常的光景のひとつといってよいだろう。予測できない事項は研究計画には書き込めない。しかし、予測し難い発見こそが、しばしば科学におけるブレークスルーとなってきた。

 研究には論理の緻密さだけでなく、勘、思いつき、想像力などといった要素も重要だ。勘といっても実際には個人の経験の積み重ねによって磨かれた物事に対する洞察力で、本来、論理的に説明し得るものと思うが、その背景の深さゆえに、人に説明するにはややエネルギーを要する代物だったりする。

 簡潔であることを要求される一般の研究計画書に、勘のようなアイデアを書き込むことはできない。計画書に書くことができる内容は、おおよそ常識的な路線であり、さらに重要なのは、そういった計画でないと、なかなか評価者を説得できない点なのである。

 時代を先取りするようなユニークさを、多数決というような手段で受け入れてもらうことは不可能に近い。しかし,個人の経験の蓄積によって築き上げられた必ずしも他人にはすぐに理解してもらえないような斬新なアイデアこそが、クリエイティブなサイエンスの重要な発信源のひとつであることは間違いない。研究計画書の作成における空しさはこういったところにある。書けることはたいしたことではない、本当に重要なことは、ここに書けないことにあると。

 私の専門分野である生命科学は、昨今、遺伝子やその産物に関する膨大なデータが蓄積され、これらの情報をコンピューターで解析することにより、論理的な研究が進めやすくなった。コンピューターに任せれば、膨大な情報から、我々自身の頭脳では気づかない法則性を発見できたりもする。

 しかしながら、人類が蓄積してきた生命に関する情報は、まだ、質、量ともに不十分で、その解析をすべてコンピューターに任せる域には達していない。生命現象はそれほどに複雑である。生命の謎を解くには、人の脳だけに与えられた直感力や想像力に依存した手作業的な研究がまだまだ有効である。

 生命科学は、物理・化学分野に比べて、投資した金額ほど役に立つ成果が上がらないと評価されがちである。しかし、これは研究対象が困難であるからにほかならない。研究計画が必ずしも思い通りに進まないのは、ともかくやってみないとわからないことがあまりにも多いからである。

 未知なるものの探求は、科学者の個人的興味、好奇心といった要素に大きく依存しながら進められることから、目標達成型のプロジェクトと対比され、学者の道楽のように非難される風潮があることを耳にする。しかし、しょせん、偉大な発見は個人の自由な発想から生まれる。豊かな国とは、個性的研究を育むことができる許容力のある国のことである。

本記事は、「日経サイエンス誌」の許諾を得て2008年3月号から転載

理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター長 竹市雅俊 氏
竹市雅俊 氏
(たけいち まさとし)

竹市雅俊(たけいち まさとし)氏のプロフィール
1966年名古屋大学理学部卒業、68年同大学院理学研究科修士課程修了、83年京都大学理学部生物物理学科教授、99年同大学院生命科学研究科教授、2000年から現職。理学博士。専門は発生生物学、細胞生物学、神経発生学。細胞と細胞の接着機構を解明した業績で05年に日本国際賞受賞。日本学士院賞受賞、日本学土院会員。文化功労者。

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