インタビュー

「日米はもっと人材交流を」 第1回「男女共同参画は日米共通の課題」(マチ・ディルワース 氏 / 沖縄科学技術大学院大学副学長)

2016.03.04

マチ・ディルワース 氏 / 沖縄科学技術大学院大学副学長

マチ・ディルワース 氏
マチ・ディルワース 氏

急速な少子高齢社会の進展で、人材育成や男女共同参画の推進が喫緊の課題とされている。国際化への対応も待ったなしといわれてだいぶたつ。大学卒業後、米国の大学院に留学、大学院修了後も米国で研究生活を送った後、政府機関で研究助成の仕事に関わり、日本の男女共同参画推進を側面から支援し、現在は、沖縄科学技術大学院大学で副学長の重責をこなす―。こうした日米の橋渡しも含めた多彩な活動歴を持つマチ・ディルワースさんに、日米両国での体験に基づく、科学技術・学術政策のあるべき姿などを聞いた。

―45年前、米国に留学する時にその後の人生を予想されておられましたか?

 全くそんなことは夢にも思っていませんでした。大学院に留学したのも半分は偶然でしたし、そもそも学位をとったら日本に戻るつもりでした。米国政府の科学研究費に関わる仕事についたのも、本当に偶然でした。

 国際基督教大学(ICU)では生物教室の学生で卒論の指導を受けた先生が、米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で学位を取られた方でした。その方のUCLA時代の先生がサバティカル(特別研究期間)で、国際基督教大学に来られたのです。帰国する際、1人日本から学生を連れて行きたいということで、私の先生が私に声を掛けてくれました。それまでなんとなく留学することが考えに入っており、もし留学するなら化学が大事だと先生に言われて、ICUでは生物の他に化学の科目も一通り履修していました。準備はできていたということでしょうか。

 実は、もう一つ純粋でない理由もありました。日本の大学院に進むには試験がありますが、米国は呼んでくれた教授の一存で大学院に入れたのです。試験もなく、なんとなく簡単でよいな、と思ったわけです。米政府の資金で運用されていたフルブライト奨学金の試験に合格して、旅費の心配もなくなりました。1967年です。大学院では、教授がもらっていた全米科学財団(NSF)のグラント(研究助成金)の中から、リサーチアシスタント(研究助手)の手当ももらいました。自分で全くお金を出す必要はなかったのです。もっとも大学院が始まってみると最初の2年くらいはいろいろ必修の授業があって試験試験で苦労しましたが。

―米国での生活を続けられることになった経緯をお聞かせ願います。

 4年間でPh.D(博士)を取り、博士課程修了と同時に結婚しました。米国人の夫が2年遅れてPh.Dを取ったので、それまではポスドク生活です。1975、76年ごろ科学分野は就職難で、特に私たちは専門が似ていましたから、2人そろって就職というのはますます難しかったのです。そのとき夫婦で決めたことは「2人のうち、先に気に入ったオファー(就職口)があった時は、もう1人は(その地に)付いていく」という約束です。夫が米国立衛生研究所(NIH)にポストを得たので、私もワシントンに一緒に移りました。

 行った先で仕事はなんとかなるだろうと思っていたのですが、なかなか見つかりません。探していたところ、全米科学財団(NSF)が生物分野でPh.Dを持ちポスドクの経験のあるプログラムオフィサー(PO:研究調整官)を求めているのが分かり、早速申し込みました。実は、自分の給料はそれまで教授のNSFの研究助成金から支払われていたのに、POなるものが何か全く知らなかったのです。採用されて初めて分かったのですが、周囲は皆、Ph.Dを持つ人たちばかりです。他に職が見つからなくてNSFに入ったわけですから、いずれは研究職に戻るつもりでした。

 しかし、しばらくして考えが変わりました。この仕事が科学の方向付けや、研究助成金をもらいたい人たちの支援もできる重要な仕事と分かってきたからです。応募者、レビューアー(審査員)など最先端で研究をしている人たちと一緒に日々活動できるのが魅力でした。自分に合っているし、うまくできるのではという自信も湧いてきて、じゃあこれを本業にしよう、と思ったわけです。ですから、これが私の生涯の仕事になることなど45年前には全く予想もしませんでした。

―日本には出産・育児による研究中断後の女性研究者の研究現場復帰を支援する特別研究員(RPD)事業があります。現在、この制度の充実を求める声が強いのですが、米国も研究者カップルの支援策は不十分だったのでしょうか。

 今でこそ米国の大学では研究者カップルの問題についていろいろ工夫がされています。しかし、私たちの若いころはそのようなことを念頭においた大学はまずありませんでした。当時は男性の研究者が教員の職を得ると、妻である研究者はTrailing Spouse(後に付いていく配偶者)と呼ばれ、非常勤教師として教えるか、または夫の研究室で夫の研究助成金から給料をもらって研究するのが普通でした。

 大学によってはResearch Assistant(本人のランクによってはAssociate) Professor という肩書きで独立の研究者として研究助成金を獲得できる資格を与え、研究助成金をもらってくれば研究スペースとか研究サービスはちゃんと用意してくれるところもありました。そのように獲得した研究助成金は正教員がもらってくるものと同じですからポスドクや学生、技術員を雇うお金もあるし、間接経費(研究者が得た研究助成金に応じ、大学側が受け取る経費)も大学に入ってきます。NIHやNSFの研究助成金を獲得して業績を積むと、大学側も正教員としてあらためて雇うこともたまにはあるというのが実態でした。現在でも研究者カップルの対応はどこの大学でも課題になっています。

―話が急に現在に飛びますが、昨年4月に就任された沖縄科学技術大学院大学(OIST)副学長としての担当は男女共同参画ですね。

 2007から2010年までNSF東京事務所長兼在日米国大使館科学技術アタッシェとして東京で勤務しました。私は日本と米国の女性研究者の推進活動の橋渡しをすることを一つの課題として赴任してまいりましたので、その方面で努力をしていらっしゃる女性研究者や政府の方々とのつながりを積極的に求めて日米女性研究者のワークショップを2回開催することができました。その当時一緒に仕事をさせていただいた皆様とはその後も交流を続け、今回OISTに男女共同参画担当副学長として赴任することになったのもそのご縁です。

写真.沖縄科学技術大学院大学(OIST)全景(OIST提供)
写真.沖縄科学技術大学院大学(OIST)全景(OIST提供)

 OISTの男女共同参画部署は、全ての男女共同参画に関する政策策定、戦略の実行、経過の監視、および活動結果の審査などに全面的責任があります。男女共同参画担当副学長として独立した権限を持ち、これらの業務を遂行するのが任務です。私どもの基本としている理念はOIST キャンパス内において、性別、国籍、年齢、家族構成を問わず、だれもが自身の能力を最大限に生かすことができる環境を促進することです。女性教職員の採用・昇進の際、障壁となっている項目を把握して、それらを取り除くことと、男女関係なくワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の両立)が可能なキャンパス環境を作ることを目指しています。

 OISTの環境はすでにかなりワーク・ライフ・バランスが可能になっていて、大学の指導者層13人のうち4人は女性です。女性教員の割合は約17%で科学分野だけの大学であることを考えれば決して低くはありませんが、その割合を伸ばすことが現在、一番の課題となっています。

写真.OISTの研究者たち(OIST提供)
写真.OISTの研究者たち(OIST提供)

―NSF東京事務所長兼在日米国大使館科学技術アタッシェ時代に、日米女性研究者のワークショップを開催されたことで、どのような成果があったでしょうか。それは現在のOISTの仕事にどのように影響していますか。

 幾つかの具体的な成果がありました。ワークショップの一つは北海道大学とNSF共催の比較的小規模なものです。日米の理系の分野で男女共同参画事業に直接関わっている大学の関係者が集まって情報交換するのが目的でした。特にNSFの男女共同参画事業(ADVANCE)について広く日本に紹介するきっかけとなり、その後私は、東京事務所赴任中、数多くの大学からNSFの女性研究者推進プログラムについての講演を頼まれました。

 もう一つのワークショップは"Connections: Bringing Together the Next Generation of Women Leaders in Science, Technology, Engineering and Mathematics"pdfです。日本学術振興会、科学技術振興機構、国立女性教育会館とNSFの協賛で開催しました。これはいろいろな分野の日米の若手の女性研究者の交流を目指したものです。参加者からの強い希望でConnections 2が3年後に米国のワシントンで開かれました。

写真.Connections: Bringing Together the Next Generation of Women Leaders in Science, Technology, Engineering and Mathematics(2010年7月、国立女性教育会館で)
写真.Connections: Bringing Together the Next Generation of Women Leaders in Science, Technology, Engineering and Mathematics(2010年7月、国立女性教育会館で)

 私の現在のOISTでの仕事はこの二つのワークショップを通じてできた日米の女性研究者推進に活躍している方々とのネットワークが大きなリソースとなっています。何らかのかたちでConnectionsの成果に基づいた国際的な女性研究者交流ワークショップを開くことも計画中です。

―日本の男女共同参画活動全般について、助言することがあれば、ぜひ。

 日本では、女性に機会を与えると男性への機会が減るという考えがまだ根強くあるように感じます。男女共同参画の根本原理は全ての人に均等にそれぞれの持つ能力を最大限に発揮できる機会を与えることですので、男女間の競争ではないはずです。まず、男女の能力には全く違いがないことを忘れないこと。個人個人の能力の差を男だから女だからという目で見ると、差別が生まれます。人口が減少して労働力が足りなくなる日本で人口の半分の人材のプールを無視するというのは全く理にかないません。女性の共同参画を推進するというのは即ち日本の人材プールを2倍にすることだという発想を皆さんに持っていただければと思います。

(小岩井忠道)

(続く)

マチ・ディルワース 氏
マチ・ディルワース 氏

マチ・ディルワース(Machi.Dilworth)氏プロフィール
1979年NSF 生物学・行動科学局アシスタントプログラム・ディレクター、81年米国農務省競争的研究資金課、準プログラム・マネージャーから-副課長、97-2010年NSF 生物基盤部長、07-10年NSF 東京事務所長 兼 在日米国大使館科学技術アタッシェ、10年NSF数学・理化学局副局長(代理)、11年NSF国際科学技術室長、12年ハワイ大学ヒロ校総長室上級顧問、15年4月沖縄科学技術大学院大学 男女共同参画担当副学長。

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