インタビュー

第2回「産業界の経験が必須のドイツの工学部教官」(永野 博 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター 特任フェロー)

2014.01.27

永野 博 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター 特任フェロー

「ドイツや欧州の科学政策をもっと参考に」

永野 博 氏
永野 博 氏

米国立衛生研究所(NIH)を参考にした「日本医療研究開発機構」(仮称)が2015年度にも設立され、米国防総省・国防高等研究計画局(DARPA)の研究スタイルを導入した「革新的研究開発推進プログラム」が14年度から動き出す。過去の流れを見ても、日本の科学政策はアメリカ型の模倣から抜け切れていない。ところが最近、欧州の科学政策にも関心が寄せられるようになってきた。総合科学技術会議や経団連でもドイツについての議論が行われ、あるいは日本のビジネス雑誌がドイツの強さを特集するなど、新たな動きが出ている。いまなぜドイツが注目されるのか。当地の事情通である前政策研究大学院大学教授の永野 博・JST研究開発センター特任フェロー、研究主幹に聞いた。

―ドイツでは100年越しに検討されていた「工学アカデミー」が発足したようですね。

 サイエンスだけでなく、もっと産業に役立つようにとの目的で2002年に「工学アカデミー」が誕生し、08年から政府の支援を受けるようになりました。最初に提案されたのが1890年代ですから、なんと100年以上前からドイツのエンジニアが努力してきたのです。メルケル政権はこれを積極的に支援しています。ドイツの産業界は主体的に資金的な支援をしつつ社会的、経済的課題と取り組んでいます。これには日本の経団連も関心を持っているようです。

―工学アカデミーは、なぜ実現に100年もかかったのですか。

 欧州は基本的にサイエンスを重視する傾向が強く、産業の強いドイツでも工学を学問とみなさないような風潮が昔から強かったようです。時代と共に工学が学問としてしっかりと認知されるようになったということでしょう。

 不思議なことにフランスでは、1794年にナポレオンが理工科エリート養成の高等教育機関「エコール・ポリテクニック」(理工科大学校)を作り、現在に至っていることは有名です。これは国防省傘下の機関で、入学後の1か月は軍事教練があり、その後に軍隊、警察、消防、官庁などに派遣されて、6か月間の体験研修を受けるという特殊な仕組みになっています。

 エコール・ポリテクニックからはジィスカール・デスタンなどの歴代の大統領や、有名な数学者ポアンカレ、物理学者ベクレル、最近ではルノー・日産のゴーン社長・CEOなど錚々たる卒業生が出ています。

 ドイツでは工学は実学として経済と一体になって動いています。例えば大学工学部の教授は、博士号を取得後、例外なく民間企業に5年から10年くらい勤め、それから大学に戻るというキャリアパスが必須になっています。

 つまり産業界と大学工学部は一体の土俵を構成しています。だから産学連携といっても、どこかの大学と企業をお見合いのようにくっつけてよかれとするものではありません。取り組みの内容や歴史が深く長いので、同じような真似をしようとしても簡単にはできません。

―確かに一度は産業界に入って本気で働かないと、商品化や産業化、イノベーションの感覚がつかみにくいでしょうね。

 世間とは隔絶された大学の研究室内で、興味のある研究だけをやっていたのでは社会や消費者の動きが分かりません。産学連携を本気で目指すなら、ドイツのように産業界での実践経験は不可欠でしょう。一方、日本の大企業はこれまで大学の教育力や研究力をあまり信頼してきませんでした。そういうこともあって大学と産業界との溝が深く、それが日本の国力を高められなかった大きな要因になっていると思います。

―多様性や複眼的思考法なども必要だと強調されていますが。

 いうだけでなく、どうやったら実行できるかが問題なのです。日本も1995年の科学技術基本法制定をきっかけに、確実に研究環境が変化しました。

 私も、JSTの戦略創造研究推進事業CRESTの発足前に短期間、お手伝いしたことがあります。CRESTは国の戦略目標を実施するために設定された、インパクトの大きなシーズ(研究の種)を創出するためのチーム型研究です。

 発足当初、選ばれた研究代表者の先生方は大変喜こんで、すぐにでも着手したいと望んでいたのですが、障害になったのは古い体質の国立大学の事務職員のサボタージュだったのです。「文部省以外の予算は関知しない」とあからさまに拒絶反応を示しました。

 今は昔ということでしょうが、私の任務は驚いたことに東京大学など全国の大学を行脚し「なんとかお願いします」と懇願して回ることでした。理化学研究所は別としても、最も協力的に動いてくれたのは東京農工大で、印象に残っています。

 日本の場合は、ある時に制度やシステムが突然ガラリと変わってしまう傾向があります。なぜその制度が生まれたのかの哲学や背景、経緯を深く考えないで制度だけを導入したり、研究現場に押し付けたりするのは決して良いことではありません。これは国が「研究者の能力を十二分に発揮させる」ということに予算を付けてこなかったためではないでしょうか。

―日本は明治時代に、欧米の科学技術を導入する段階から哲学を外してきました。科学は元々、宗教の強大な権威や圧力から離脱する過程で哲学と共に発展した学問です。哲学となると分かりにくくて邪魔ですから、外したほうが導入しやすかったのでしょう。

 日本の科学者や学者があまり信頼されてないことは、福島原発の事故後にもあからさまになりました。社会における位置づけが著しく低いことと、科学者も責任感や自覚がかけています。つまり科学者が社会の一員となっていないのです。

 これに対して欧州では、宗教裁判にかけられながらも命がけで戦いながら、科学者の社会的な地位を築いてきました。歴史的にやむを得ない事情もありますが、日本は上澄みの部分を輸入してきたので、科学の成果なんてお金を出せば入手できると誤解されています。これは既に明治時代に東京大学で医学を教えたベルツ博士が明確に指摘されたことでもあります。

 「原子力は安全上問題がある」とか「原子力は安全だ」とはっきり根拠をもって言える基盤を備えてはいないし、それに甘んじて責任逃れをしてきたともいえます。

―ドイツと日本では、科学者への信頼感が違うようですね。

 日本の科学者の中には個人的に尊敬されている人もいますが、社会的に学者の地位が確固としたものかと考えると疑問です。いいか悪いかは別として、ドイツでは学者の社会的信頼が高いことが一目瞭然です。「教授」や「博士」は名前の一部にもなっていますから。

―どういうことですか。

 社会で誰もが認めるステータスなのです。科学者を紹介するときには、必ず「Mr.」「Prof.(教授)」「Dr.(博士)」「実名」の順番でなされます。これが当たり前なのです。

 郵便物ばかりか、あらゆる公的な会議でも名札にはこの順番に肩書が明示されます。社会の中で、学問や科学者のポジションが明確に位置づけられていて、信頼されているということがはっきりと伝わってきます。

―なるほど。社会的なステータスが日本とは格段に違うエピソードですね。

(科学ジャーナリスト 浅羽雅晴)

(続く)

永野 博 氏
(ながの ひろし)
永野 博 氏
(ながの ひろし)

永野 博(ながの ひろし) 氏 プロフィール
慶應義塾高校卒。1971年慶應義塾大学工学部卒、73年同大学法学部卒、科学技術庁入庁。在ドイツ日本大使館一等書記官、文部科学省国際統括官、日本ユネスコ国内委員会事務総長、文部科学省科学技術政策研究所長などを経て、2005年科学技術振興機構研究開発戦略センター上席フェロー、06年科学技術振興機構理事、07年政策研究大学院大学教授、科学技術振興機構研究開発戦略センター特任フェロー。経済協力開発機構(OECD)では06年から科学技術政策委員会(CSTP)グローバル・サイエンス・フォーラム(GSF)副議長、11年1月から議長。専門は科学技術政策、若手研究者支援、科学技術国際関係など。公益財団法人日本オペラ振興会理事なども兼務。近著に『世界が競う次世代リーダーの養成』(近代科学社)など。

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