インタビュー

第5回「“高度デザイン教育”を志向した連携強化」(井口博美 氏 / 武蔵野美術大学 教授)

2013.11.08

井口博美 氏 / 武蔵野美術大学 教授

「あすのダ・ビンチを目指せ」

理系の思考法と芸術系のセンスを結び、融合させる中から新たな創造的人材を生み出そうとの挑戦が、東京工業大学と武蔵野美術大学の連携研究・教育として本格的に始まった。今年6月には両大学学長による正式調印にこぎつけた。「モノづくり」から「コトづくり」へ、そして大きな「社会デザイン」までを可能にするために、豊かな表現力を備え、異分野の相手を理解し、幅広い調整役をこなせる次世代リーダーやプロデューサーづくりを目指す。ひと呼んで和製「ダ・ビンチ作戦」に、早くも企業などから熱い眼差しが注がれている。東京工業大学・野原佳代子教授(第1、2回)と、武蔵野美術大学・井口(いのくち)博美教授(第3、4回)に、順次その狙いや展望を聞いた。

―野原先生と井口先生に2回ずつ伺い、今回が最終回のまとめです。6月に結んだ両大学の連携協定では、合同授業や研究協力の実施、施設の相互利用、学生交流などを通じ、「新しい視野でイノベーションを創造できる人材の育成」をうたっていました。まず、これまで3年半の試行的な活動に対して、企業側はどんな関心を示していますか。

野原
メーカーを中心に、企業関係者が見学にみえています。「社員にこのワークショップを見せたい、参加させたい」と、かなり関心を持っていただいています。企業ではさまざまなスキルを持つ社員がいるものの、それをチーム内でどのように融合し、企画や製品にどうつなげるかがうまく見出せていないような印象を持ちました。以前は、社員が得意分野を持ったスペシャリストとして仕事をしていればよかった時代もありました。ところがしだいに分業体制が薄れ、枠を超えて多様な仕事が要求されるようになりました。高い専門性を持つエンジニアでも広報を任せられたり、営業も企画に参加させられたりしています。化粧品の開発セクション出身の方が、製品名まで考えろと上司に言われて、「昔は実験をしていればよかったのに、ネーミングやキャッチコピーのスキルまで必要になるなんて」と嘆いていました。あえていえば皆が“ダ・ビンチ的”な能力を求められる時代なのでしょう。ハード開発に力を注いできた日本の技術分野が、日本の、世界のライフスタイルを変えるコンセプトづくりにも参入することが期待される中、角のない小さくまとまった人間ではなく、どこかで自分を思い切り表現し、新しいことをやってのけるような社員が求められています。

この連携の枠組みに、新たに企業や社会人学生が参入するようになれば、実社会の持つ緊張感も加わり、異分野融合を通して生み出される人間像がさらに豊かになっていくと思います。それを是非期待しています。

東京工業大学 教授 野原 佳代子 氏、武蔵野美術大学 教授 井口 博美 氏
東京工業大学 教授 野原 佳代子 氏、武蔵野美術大学 教授 井口 博美 氏

井口
メーカー系の企業は、これまでの長期的な円高経済の影響で生産拠点を海外に移してしまっています。それでも国内に残したデザイン拠点ではグローバル体制の司令塔として、何を日本のモノづくり(製品やデザイン)の強みとして世界市場で闘うか、何で儲けていくかについて、次の新しいテーマを求めています。その戦略性の高まったところでのイノベーションを全社的に検討・実践する時に、拡張したデザイン概念や思考方法が経営課題として重要だということが、確実に認識されてくるはずです。

―今後、国際化によってこの連携教育研究はどのように進むでしょうか。

井口
元々日本は、歴史的にも文化的にも自らの長所や特徴をアピールしたり自己評価したりするのが苦手な側面があります。その消極性にピリオドを打つためにも、普段から留学生が積極的に関われば、教育の場において取り組むテーマがもっと多様化するでしょうね。留学生の異文化とセンスが加わることで、逆に日本的なデザインのあり方が何なのかを見出したり、そのエッセンスが鮮明にできたりするかもしれません。科学技術はどうしても、想定される枠組みを決めてから“想定内”の議論や作業になりますが、デザインの方はユニークなアイデアや型破りな発想力が身上ということで“想定外”からのアプローチが主流となり、“想定の際”を果敢に攻めるのが得意です。専門性によってお互いのアプローチ方法がまったく逆ですので、うまく創造的な議論の場さえ設定できれば、そのせめぎ合いが面白くなってくるはずです。それに外国の要素がスパイス的に加わると、ますます「和魂洋才型の未来デザイン」とでも言うべき、極めてオリジナリティの高いコンセプト開発も夢ではないような楽しみが増えますね。

野原
2020年の東京オリンピックを見据えて、いろいろな意味で国際化に拍車がかかることが予測されます。必要な人材があらゆる国、分野から集められ日本人とチームで仕事をし、日本という枠組みを超えた成果を出すことが求められます。1964年に起こったように、これまでの東京になかった道路や交通機関、建物や橋がデザインされ、それに伴い人の行動や生き方がデザインされていくわけですが、その中で求められる国際的な力は、英語で交渉や仕事をするというような単純なものではありません。他を尊重しつつも、意見集約の過程で、自分の主張をうまく変容させながら開花させていく技法だと思います。両大学の学生には、日本人も留学生もエンジニアもデザイナーも、英語でも日本語でもジェスチャーでも絵でも線でも、使える伝達手法はすべて使って議論しモノを作る、気取らない「グローバルインターフェイス環境」を学内に提供したいと思っています。

そこはワークショップやカフェイベントを通して学生交流が奨励され、国際機関・企業からのゲストによってアイデアをグローバルな視点で評価してもらえる共通のプラットフォームです。そこで起こるコミュニケーションと、それによる成果を分析評価し、研究としても新たな発見があるとワクワクしています。あと7年、砂時計の落ちる音に後押しされて、教育研究も新たな局面を迎えるでしょう。

井口
これまで述べてきたような、世界に先駆けたイノベーションを手掛ける人材養成や高度なデザイン教育を進展させていくには、企業にとっても大学にとっても、直面する2つの大きな課題があると思います。1つめは、専門性を超えたところでの円滑なコミュニケーションの仕組みをどう作り上げていくのか‥‥ということで、デザイン分野にいる自分にとっては、デザインと他分野との共通言語化や翻訳理論化の必要性を感じており、それを「デザイン・コミュニケーション論」というカリキュラムにでもできたら良いかなーと考えております。2つめは、多国籍かつ異専門家によるプロジェクトチームを束ね、高度なデザインマネジメントが遂行できるクリエイティブ・リーダーを、いかに養成するかということです。とかく外国人は自己主張が強すぎて協調性が希薄な傾向があるのに対して、日本人は他人の意見を聞きながら全体をまとめていくにはふさわしい国民性として期待されてきましたが、まだまだグローバルな対応能力としては不足のようです。

野原
私自身、これまで海外で仕事をした経験が幾度かありますが、国際的な環境であればあるほど、コミュニケーションの方法やツールは雑多であり、七色に変わっていくことが普通です。たとえばEUの正式な会議では、加盟国の言語はどれも同等に扱われ、通訳が入ります。しかし、各国の代表が集まる非公式のミーティングでは、相手が英語を話すか、フランス語の方が得意か、ある表現についてはドイツ語の方が分かりやすいか…など、みなが瞬時に判断しながら議論します。そこに垣間見える気配りや工夫自体が、一種のアートのようなものです。公用語を一つしか持たない日本人にとっては、いろいろな表現方法をお手玉のように操ることが何よりも苦手です。その訓練が必要なのは、エンジニアもデザイナーも同じではないかと思うのです。

東工大でも、学部レベルからグローバル人材を育成する試みが始まっていますが、不可欠な要素として「探究心とチャレンジ精神」「異文化を理解しながら課題解決に向けてリーダーシップを発揮できる能力」「異なる文化や専門性を持つ人々と協働できる能力」を挙げています。単なる語学スキルに終わらない、「異文化への尊重」をベースにした、それでいて柔軟なコミュニケーションスタイルの確立が課題だと思います。

井口
最後にサッカー型の「集団創造力」についてひと言。多国籍・異専門家によるプロジェクトチームがプロフェッショナルとして成果を挙げるには、個人技も必要であればチーム技も必要だが、そのキャプテンとしてのクリエイティブ・リーダーは、戦局に応じた“瞬時の判断力”と“タメ”をつくれることがコミュニケーション能力上、極めて大切であることを強調しておきたい。集団としての創造力を高めるには多種多様な議論の摩擦熱が必要不可欠であり、理解の度合いや意識のズレを感じたまま“苦し紛れのシュート”(妥協のアウトプット)を打ってばかりいては、いつまで経っても創造性のレベルアップにつながらないわけです。特にデザイナーは常にムードメーカー的役割を心掛け、時として議論が噛み合わなくなってきたり、作業のタイミングが合わなくなってきたら、「そもそも(テーマの本質って)何だっけ?」という、悪状況を打開するための呪文を唱えて、“タメをつくれる”人間力を備えて欲しいと思います。

野原
安直な方向に議論が流れてしまいそうなとき、「ちょっと待って」とタメを作るのには勇気が要ります。でも、誰かがそれをしないとグループ全体が「ま、これでいいか」という暗黙の合意に陥り、楽な方へと決まっていくものです。最も恐れるべきは、「価値を問わなくなる思考停止状態」です。自分と同質の人たちとばかり行動することの怖さは、行動パターンの意味を問わなくなることにあると思います。たいていの物事は習慣や社会規範が決めていて、本当に大切にすべきものはなかなか見えてこない。“フェイント”に、つまり一見大切に見えるだけのものに引っかかってはならない。日本が持ち続けている貴重なコア技術をこれからどう育て、どうデザインしていくかは、みんなで声に出して思考した方がいい。だから、フィルターとしての、言語や習慣の異なる異専門間コミュニケーションが、これほど大切なのだと思います。

井口
企業はあくまでビジネスの世界ですから、すぐに成功しそうもないことやリスクのあることには手を出しにくいはずです。しかし「科学技術とデザイン」を結びつけるチャレンジに大きな期待がある以上、何とか、東工大と武蔵美が連携して教育と産業(ビジネス)の橋渡しとなるように頑張るしかないですね。その社会実験の場として、東京ミッドタウン・タワー(六本木)に新設した「デザイン・ラウンジ」も有効活用したいと考えています。

野原
「科学とデザイン」の研究・教育領域は、井口先生もお話しされたように、日本や世界のさまざまな課題解決の糸口にもなり得るものです。先進的な大学がようやく手探りで始めたようですが、大学・産業界の提携領域を広げ、ここからイノベーションを生み出すためにも、国やJSTの研究支援策を大いに期待したいです。

―ありがとうございました。珍しいインタビューが実現しました。「悪状況を打開するタメをつくれる人間力」とか、「フェイントに引っかからない、価値を問う力の必要性」など、生き生きとした言葉も飛び交いました。大学と企業がこれから取り組んでいくべき新しい研究・教育領域のイメージが、だいぶ明確になってきたようです。

(科学ジャーナリスト 浅羽 雅晴)

(完)

野原 佳代子(のはら かよこ) 氏 プロフィール
東京都生まれ。田園調布雙葉高校卒。学習院大学大学院人文科学研究科で修士(日本語学)。オックスフォード大学マートン・コレッジで修士(歴史学)、同大クイーンズ・コレッジ東洋研究科で博士(翻訳理論)。オックスフォード大学東洋研究科講師、学習院大学文学部助手、ルーヴァン・カトリック大学(ベルギー)翻訳・コミュニケーション・文化研究センター ポスドク国際研究員。東京工業大学 准教授を経て2012年から同大教授。

『科学技術コミュニケーション入門』(共著、培風館)、「Top Class Nihongo 1・2巻」(共著、多楽園)。研究テーマは、ポピュラー文学の翻訳文体、サイエンスカフェやワークショップにおける議論展開、理工系デザイン教育、占領下における理科教育改革と科学リテラシーなど。

井口 博美(いのくち ひろみ) 氏 プロフィール
福岡県生まれ。神奈川県立光陵高校卒、1979年武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒。通商産業省(現・経済産業省)の外郭団体である日本産業デザイン振興会(現・日本デザイン振興会)勤務後、日産自動車が創設したデザインシンクタンク・株式会社イードを経て、2005年から武蔵野美術大学教授。専門は戦略的デザインマネジメント。趣味はドライブ・旅行。著書に『企業が変わるデザイン戦略経営入門』(共著、講談社)『デザインセクションに見る 創造的マネージメントの要諦』(共著、海文堂出版)など。

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