インタビュー

第1回「ノーマリー・オフ・コンピューターは世界を変えるか」(安藤功兒 氏 / 産業技術総合研究所 フェロー)

2010.08.04

安藤功兒 氏 / 産業技術総合研究所 フェロー

「革命的な超低消費電力のコンピューターを目指す」

安藤功兒 氏
安藤功兒 氏

夏本番。毎日、うだるような暑さがつづいているが、この暑さ(熱さ)に弱いのは人間だけでない。すっかり身近な家電製品になったパソコンや携帯電話、音楽プレーヤー、スマートフォンが急速に普及したことによる“熱さ対策”は深刻そのものである。つまり世界の情報通信関連機器が消費する総電力量は無視できないレベルにまで拡大し、温暖化対策の責任も問われかねない段階にきている。もっと省エネ型で、賢いコンピューターを目指す『ノーマリー・オフ・コンピューター』の考え方を約10年前に世界で初めて提唱し、その社会的インパクトを産業界や大学を巻き込んで議論し、未来の新聞記事形式にまとめるというユニークな活動を行っている独立行政法人・産業技術総合研究所(茨城県つくば市)のフェロー・安藤功兒さんに聞いた。

―まず、あまり聞きなれない「ノーマリー・オフ・コンピューター」の言葉から説明してください。

「使っていない瞬間はいつも電気が切れているコンピューター」のことです。作業に必要が無いときには、利用者に気づかれないように自動的に眠り込み、必要となった時には瞬時に目覚めて働くパソコンのイメージです。現在は、一連の作業が終わってパソコンのスイッチを切るまで電気が入りっぱなしで、無駄にテンションが高すぎますね。ノーマリー・オフ・コンピューターになれば、大きな省エネルギー効果が期待できます。

―どこか、サボタージュの上手な会社員みたいなイメージですね。

いいえ、究極の合理性を持った有能な会社員のイメージを持たれたほうがいいでしょう。現在のパソコンは極めて高性能になりました。中央演算装置(CPU)は常に高速演算を続け、高集積のメモリー(記憶装置)は膨大な記憶、データの出し入れをしていますが、このために常時電力を消費しています。でもよく考えると、私たちが原稿書きをしたり、講演会でパワーポイントを使用したりしている最中に、CPUが働く時間はほんの一瞬なのです。手を休めたり、考え事をしたりしている長い空白時間はもちろんのこと、キーから次のキーへと指が移動する数百ミリ秒の瞬間も、パソコンは電力を消費し続けています。実に無駄なエネルギーを使っていると思いませんか。使わない時には「常に電気を切る」ことができる超低消費電力型のパソコンが必要だと考えたわけです。

私にとってはごく自然な発想だったのですが、先日、世界のコンピューター関係企業の技術責任者が集まった米国でのワークショップに招待されてこの話をしたところ、今までに聞いたことのない斬新な概念だなどと大きな反響をいただき、あらためてこの概念の可能性を認識しました。これまでは技術的に実現困難と思い込まれていたため、まじめに相手にされていなかったからだともいえますが。

―まさにグリーンエネルギーの発想ですね。自動車でも、ハイブリッド車などは交差点で停車中にエンジンを自動停止するアイドリングストップが一般的になりました。仕事をしていない空白時間に、パソコンの電源が切れなかった最大の理由はなんでしょうか。

いまのパソコンでは、電源を切った途端にメモリやCPUの中に記憶された情報が失われ、画像も消えてしまいます。電源を入れ直しても元の状態に戻るまでに長い時間とエネルギーを食い、かえって仕事の効率を悪くします。それもこれも現在のパソコンを構成している半導体部品は電源オフとともに情報が消えてしまう「揮発性」の素子だからです。逆に電源を切っても、エネルギーを使わずに情報を記憶しておける「不揮発性」の半導体を開発し、使えるようになればいいのです。

私が2001年に「ノーマリー・オフ・コンピューター」の概念を提唱した時は、まだ遠い理想の話と思われていたのですが、あれから10年たって実現性ががぜん高まってきました。アマゾン社が製造販売した電子ブック「キンドル(Kindle)」の画面は電源を切っても画像は消えません。いずれカラーにもなるでしょう。大量情報を、安価に貯蔵し、必要に応じて素早く出し入れする情報ストレージ(蓄積)にも不揮発性が利用されています。JRのスイカカードも不揮発性で情報をためておけますね。

問題は、メモリと論理回路です。特に、CPUの中枢である論理回路は1ナノ秒よりも速く動作する必要があるのですが、そのような高速度で安定に動作する不揮発性現象はいまだに見つかっていません。これは頭の痛い問題でしたが、3年ほど前から市販のコンピューターで使われだしたパワーゲーティングという技術の出現によって救われました。これは揮発性の論理回路をそのまま使いながら、その中の情報を全部メモリにコピーした後で、論理回路の電源を切る技術です。論理回路が高速動作することと、含まれる情報量が少ないという特徴を活かして、利用者に気づかれずに高速に電源のオン・オフを繰り返すことができます。これで、ノーマリー・オフ・コンピューターの実現のために、論理回路を不揮発化する必要性は無くなり、ハードルが低くなりました。

ただしその分、メモリにかかる負荷が大きくなり、この部分が大きな電力を消費しています。この問題を解決することがノーマリー・オフ・コンピューター実現の鍵を握っています。現在使われているメモリは、数ナノ秒から数10ナノ秒程度の速度で動作し、記憶容量は1ギガビット程度と大容量です。情報を無限回書き換えても壊れないという特長も持っています。これらすべての特長を保ったまま、メモリを不揮発化することができるかどうかが、残された大問題です。

―半導体はこの10年で長足の進歩を遂げました。革命的な理論に基づく半導体も次々と開発されています。目指す超低消費電力コンピューターは目標圏に入ったようですね。

最近の半導体研究は、物理学的な「基礎研究」と「応用研究・実用化」とが極めて緊密に、相互補完型に影響しあってあっています。研究者がどんなに斬新なアイデアを考え出しても、産業界が製品として実現しなければ画に描いたもちにしかすぎません。ですから大学や公的研究所の研究者と、産業界の研究者、開発者が一体になって知恵を出し合おうと、ノーマリー・オフ・コンピューター実現のための技術戦略や将来構想を練っています。昨年、「中間報告書」も発表しました。

単に超低消費電力を実現するだけではなく、私たちの生活をより豊かに、より楽しくし、かつ産業としても重要となる技術開発が必要です。このような考えから社会へのインパクトなども報告書の中で予測してみました。つまり、1回の充電で1カ月、あるいは半年も持つようになると、これまでとは違う何か画期的な社会変革が予想されます。途上国の教育・生活改善や災害対策、利便性の向上などで目くるめくような面白い変化が出現するとみています。当初は、外部機関に調査を依頼することも考えていましたが、このような性格の調査を引き受けることのできる機関は存在しませんでした。そこで、われわれ自身で議論を始めることになったのです。よい勉強になりました。

(科学ジャーナリスト 浅羽 雅晴)

(続く)

安藤功兒 氏
(あんどう こうじ)
安藤功兒 氏
(あんどう こうじ)

安藤功兒(あんどう こうじ) 氏のプロフィール
神奈川県立横須賀高校卒、1973年名古屋大学理学部物理学科卒業、75年東京工業大学大学院理工学研究科(物理情報工学専攻)修士課程修了、同年通商産業省工業技術院電子技術総合研究所入所。工学博士。84-85年フランス国立科学研究センター(CNRS)客員研究員。2001年産業技術総合研究所エレクトロニクス研究部門 副研究部門長。10年4月から現職。東邦大学連携大学院教授。応用物理学会フェロー。
研究分野は、スピントロニクス、磁気メモリ(スピンRAM)、磁気光学、光集積回路、磁性半導体。1980年代には磁性研究不要論がまん延し、電総研の磁性研究室も解体の憂き目に遭ったが、複数の研究室に分散された研究者の協力関係を維持発展させ、今日、世界的に注目される産総研のスピントロニクスグループを復活させた。
2010年1月に総合科学技術会議の有識者議員が鳴り物入りで計上した「革新技術推進費」に、25件の応募の中から安藤 氏をリーダーとする「不揮発性メモリの高度化に関する研究」(スピントロニクス分野)が3件の1つに採択された。06年からは新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の「スピントロニクス不揮発性機能技術開発」のプロジェクトリーダーも務めている。趣味は、雑学乱読と日曜大工。またボーイスカウトの指導者として、地域の子供たちと野外を駆け巡っている。

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