インタビュー

第1回「交通流を研究対象に」(坂東昌子 氏 / 愛知大学 名誉教授)

2009.08.10

坂東昌子 氏 / 愛知大学 名誉教授

「物理学の冒険 - 素粒子から社会物理学への思い」

坂東昌子 氏
坂東昌子 氏

いまや湯川秀樹博士と研究室をともにした素粒子物理学者は数少なくなった。そんな一人で、素粒子物理にとどまらず新しい研究分野への挑戦、さらには女性研究者の研究環境改善から、最近では若手物理学者のキャリアパス拡大支援など社会的活動にも力を注いでいる坂東昌子・愛知大学 名誉教授にこれまでの研究生活を振り返り寄稿していただいた。5回続きでお届けする。

物理屋は、複雑な現象から、そのエッセンスを抽出し、単純な法則を見出すことに魅力を感じる人種だ。もっともそれは人間誰しも持っている好奇心の現われだから、みんなそういう気質を持っているのではないかと思う。ただ、それを科学の対象としてさらに推し進めるノウハウを、研究現場でかなり鍛えられた物理屋は多いのではなかろうか。

それは物理屋の社会、つまり物理学者の集団の性格にもあるのではないかと思う。物理屋はお互いに批判することをよしとし、目的のために、老いも若きも、教授でも大学院生でも、そんな階層に関係なく平等に議論をするのが好きな集団である。しかし、またそれは物理学が今まで成し遂げてきた物質科学、コペルニクス、ガリレオ、ニュートンに始まる力学から始まる物質の運動が、もっと広く恒星や惑星の運動までを、統一的に理解しようとする延々と積み上げてきた営みの中で鍛えられてきた伝統の賜物(たまもの)といってもいいだろう。

物理学は複雑に見える現象から偶然の要素を取り除き、本質を探っていた経験が長い。他の学問をけなしているのではない。物理学が今まで対象としてきたのが、物体運動の力学、電磁気の現象、波動の性質など、生物現象や社会現象に比べて比較的単純だったので、比較的容易に統一像が描けただけなのだが。

話を元に戻す。で、物理屋はある現象からある種の統一像を描くと、他の現象もそういう見方で理解できないかということを考えたがる。私たちが、交通流を始めたとき、「考えていけばきっとわかる」という信念に支えられて進んだような気がする。交通流を物理学的視点から最初に問題提起したのは、寺田寅彦である。「電車の混雑について」という「思想」という雑誌に載ったエッセイである。私は素粒子論の専門で、正直言うと、少し前まで「寺田物理」というと、「盆栽物理」というか、趣味の研究で、プロのやることではないといったカルチャーがなかったわけではない。ああいうのは、物理の第一線からはみ出した研究者の仕事だといった雰囲気がないわけではない。もっともそれには多少の理由があるにはある。まだ学問の領域として成立していない分野を研究するには、本当はそれなりに覚悟がいる。科学の領域として成立するには、好奇心とあいまいな枠組みでは本当のイノベーションはできない。そこには、核心を突く方法論の提案があり、新しい学問の発展を予想させる芽がすでに吹き出していないと、単なる趣味の域を脱しえないのだ。楽しんでやる物理をプロの仕事にしようというスタンスがどこまであるか、を問われていると言ってもよい。

そのカルチャーを変えてくれたのは、やはり、愛知大学の教養部でいろいろな研究者に出会い、学生たちの好奇心に目を見張ったことが大きく影響したからだと思う。そんなわけで、私は交通流の研究に飛び込んだ。飛び込んでみると、この分野には、既に多くの先駆者がいる。寺田物理を物理学の対象に、という方向は、物理学の一分野として取り組まれていることを知ったのだから、私のような幅の狭い研究者が知らなかっただけなのだ。

さて、それにしても、既成の学問の学会の活動には、それなりの枠組みと方法論がその底辺で共通した認識となっていて、そこで発行される学術誌(国際的な視点を持った)で、レフリーにもまれて論文を出すということは、その領域で一人前になるにはどうしても乗り越えないといけない重要な修業である。プロの仕事とは何か、というのも難しいが、これができなければ、趣味で終わってしまう。

しかし、難しいのは、新しい分野の前線を見極める作業である。素粒子の論文なら、どこに出すか、出来栄えによって多少甘いジャーナル、評価の高いジャーナル、日本の存在をアピールするジャーナル、さまざまなジャーナルに、できた論文の性格と出来栄えを勘案して投稿する。投稿した後の方が問題で、レフリーのコメントに、しっかりこたえることもまた、研究の一環である。もちろん、それまでにも研究会や学会などで、仲間のコメントや批判を受けるので、それも大切な研究交流なのだが、掲載を獲得するためのレフリーとのやり取りは、もっとシビアである。

湯川研究所(京都大学 基礎物理学研究所)が世話をしているプログレス刊行会の雑誌、Progress of Theoretical Physicsがわれわれ素粒子論屋にもっともなじみのある国際誌であるが、このジャーナルに例のノーベル賞の対象になった朝永論文も掲載されており、他にもいろいろ有名な論文がある。この前身である数学物理学会の国際誌からノーベル賞につながる湯川理論が発表されたのも有名である。昨年のノーベル賞受賞対象となった小林・益川論文もまた、この雑誌に掲載されている。

このプログレスの雑誌の論文には、面白い逸話がある。ある地方大学の研究者が、素粒子の統一模型に関する論文を投稿した。それをその筋では優れた仕事をした研究者がレフリーをした。内容にはきらっと光るものがあるのだが、このままでは論文にならない。それでレフリーは、いろいろコメントしたり、間違いを指摘し、何度もやり取りした。著者は、それに誠実に答えていった。いわば、研究指導である。そして、最後に大変素晴らしい結果を得た。そして、この2人が共著で論文を書いたのである。

この話を京大基礎物理学研究所で行われた研究会で聞いたとき、私はとても感激した。研究者のあり方をまさに具現しているこの2人の共同作業に、拍手を送りたかった。研究会でのコメントもさることながら、自分の書いた論文の掲載を決定するのだから、どちらももっと真剣にならざるをえないのだ。それにしても、こんな例はまれだが、レフリーから学ぶことは、最大のチャンスであり、絶好の訓練を受ける場なのである。

さて、私たちの交通流の研究に戻ろう。私たちのもくろみは、高速道路の自然渋滞を、物理学の相転移現象とみて、ミクロな車の挙動から説明してみようというものであった。物質科学では、一見複雑に見える自然現象として、相転移現象がある。原子分子の多体系の示すなかでも、自発磁化・超伝導・超流動…といった相転移現象は、ある温度以下になると、物質のマクロな状態が突然変わるのである。例えば常気圧では接氏0度になると水は氷になる。つまり液相から固相に変化するのである。この現象を理解するのに、個々の原子分子の間に働く相互作用をもとに、高温の下では熱振動をしている原子分子が、温度が低くなって熱振動が弱くなった時に起こるマクロな状態の変化としてとらえる、という物理屋の視点はブレを生じない。

「たくさん集まると、ちょっとした環境の変化で、雪崩を起こすように、全体の様子が変わることがある」という「多体系の問題」の普遍的は現象として解明したのだ。とはいえ、その解明の道のりはそんなに簡単だったわけではない。

最初は、相転移といった現象は、「複雑系」という一言で片付けられ、単純な物理の枠組みでは取り扱えないと思われたのだ。この新しい現象を粒子間の相互作用によって誘起される多体系の特徴として統一的理解に成功した。磁性体をはじめとする物性分野でその枠組みが整理された(とはいえ、実は氷になる現象はまだ解明されていないらしい)。

中でも私の心をとらえるのは、相転移をより普遍的な物理法則「対称性の自発的破れ」で理解した南部陽一郎先生の話だった。ちょうど私が、大学院修士課程2年生のころだった。南部先生は、この相転移の枠組みを素粒子の世界に持ち込まれた。このことを最初に私に教えてくれたのは、のちに私の夫となった人であった。同級生だったが、私より広い視野で物理学を展望していたのかもしれないし、新しい風に敏感だったのかなとも思う。鈍感な私は、それを聞いてびっくりした。それは、見方を変えると大変単純で胸にすとんと落ちる話だった。ちょうと、高校時代、熱力学を学んだ後で、ボルツマンの気体運動論を学んで、目からうろこを味わったのと同じ感動である。そして、一緒BCS理論の勉強から始めた。

それ以後、このエクサイティングな自然の仕組みは、素粒子論では欠かせない概念として広く素粒子物理の基礎となっている。南部先生がノーベル賞を昨年、ようやくもらわれたのはいかにも遅すぎたと思う。

(愛知大学 名誉教授 坂東 昌子)

(続く)

坂東昌子 氏
(ばんどう まさこ)

坂東昌子 (ばんどう まさこ)氏のプロフィール
1960年京都大学理学部物理学科卒、65年京都大学理学研究科博士課程修了、京都大学理学研究科助手、87年愛知大学教養部教授、91年同教養部長、2001年同情報処理センター所長、08年愛知大学名誉教授。専門は、素粒子論、非線形物理(交通流理論・経済物理学)。研究と子育てを両立させるため、博士課程の時に自宅を開放し、女子大学院生仲間らと共同保育をはじめ、1年後、京都大学に保育所設立を実現させた。研究者、父母、保育者が勉強しながらよりよい保育所を作り上げる実践活動で、京都大学保育所は全国の保育理論のリーダー的存在になる。その後も「女性研究者のリーダーシップ研究会」や「女性研究者の会:京都」の代表を務めるなど、女性研究者の積極的な社会貢献を目指す活動を続けている。02年日本物理学会理事男女共同参画推進委員会委員長(初代)、03年「男女共同参画学協会連絡会」(自然科学系の32学協会から成る)委員長、06年日本物理学会長などを務め、会長の任期終了後も引き続き日本物理学会キャリア支援センター長に。09年3月若手研究者支援NPO法人「知的人材ネットワークあいんしゅたいん」を設立、理事長に就任。「4次元を越える物理と素粒子」(坂東昌子・中野博明 共立出版)、「理系の女の生き方ガイド」(坂東昌子・宇野賀津子 講談社ブルーバックス)、「女の一生シリーズ-現代『科学は女性の未来を開く』」(執筆分担、岩波書店)、「大学再生の条件『多人数講義でのコミュニケーションの試み』」(大月書店)、「性差の科学」(ドメス出版)など著書多数。

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