ハイライト

社会・経済発展のために人々が「科学は自分たちのもの」と考えられる世界を(ラッシュ・D・ホルト 氏 / 米国科学振興協会(AAAS) CEO)

2016.11.11

ラッシュ・D・ホルト 氏 / 米国科学振興協会(AAAS) CEO

「サイエンスアゴラ2016」(科学技術振興機構主催)開幕セッション「つくろう、科学とともにある社会」基調講演(11月3日)から

写真1 ラッシュ・D・ホルト氏
写真1 ラッシュ・D・ホルト氏

 本日、サイエンスアゴラの場でこのようにお話する機会に恵まれたいへん嬉しく思っています。日本が科学界そしてエンジニアリングの世界で長く貢献されてきたことに敬意を持ってきました。サイエンスアゴラのような公の場で科学や社会の問題についてディスカッションする例はあまりなく、たいへん良いことだと感じています。

科学と社会のギャップは広がっている

 アゴラのような場は科学者や政策決定における科学の位置付けを考える上でたいへん重要ですが、科学と社会の間のギャップは広がってきています。一般の人が科学を理解する機会はこれまであまりありませんでした。例えば自然界や地球に関する学問、また機械学や生物学といった学問に対する一般の人の疑問はなくなっていないと思います。このため「サイエンスリテラシー」はそういう問題を解決するきっかけになります。一般の人にとって科学とは何なのか、どのように機能し、なぜ人々の生活において重要なのかということを問う必要があります。

 災害が起きると災害に見舞われる人がいる一方で社会の反応が出ます。科学者に対し十分な警告を発しなかったとも批判されます。国連総会で昨年採択されたSDGs(持続可能な開発目標)を達成するためには科学や工学を抜きにしては考えられません。科学は好きかと聞かれれば好きと答える人は多いと思います。重要だと言う人も多いと思います。そして科学がかつてないほど重要になっていると考えている方もいるでしょう。その一方で、自分の事ではないと考える人も多くいます。自分は科学者ではないから、と考える人も多いと思います。

 科学は、尊敬される仕事と捉えられる場合もありますが、一般の人からすると科学者がやっていることが実際に人々のためになっているのかと思う人もいるかもしれません。科学者は自分たちの生活に関係したことだけをやっていると考える人、また科学者は科学者である自分たちのために科学の研究をやっているだけではないかと考える人も多いのではないでしょうか。(東京電力福島第1原発事故の後)福島県をはじめ日本は全国的に科学に対する信用が下がったと思います。

 人々は、科学は(科学者でない)自分ではできることではないので科学者が一生懸命頑張って簡潔に説明をしてくれない限り一生分からないと考えます。科学者が一般の人に一生懸命話をしても受け取ってもらえないのは残念です。政策決定者らには、科学は特殊なグループのものと考える人たちが多くいます。科学に対してはまだまだ多くの課題があると感じています。

 (科学が関係する分野だけでなく)経済や行動科学もあまり信用しないという人たちもまだ多いわけです。やはり「エビデンス」(証拠、根拠)があって、それを信じるか信じないかということになっているようです。いろいろな議論が行われる時、例えば政策に関しての議論では「誰がうまく調整したか」といった声を聞きがちで、エビデンスに基づいた政策に目を向けない傾向があります。エビデンスを求めるべきだということを多くの人たちはまだ理解していない。エビデンスに基づいて理解を深めるべきだということを信じていない人たちも多いわけです。(そうした状況で)アゴラのような場に集まっている人たちは(そういう状況を解決する)何かを求めているのではないかと思います。

写真 基調講演するAAAS・CEOのラッシュ・D・ホルト氏
写真 基調講演するAAAS・CEOのラッシュ・D・ホルト氏

AAASも科学と一般の人とのコミュニケ-ション促進に努力

 私は議員を辞めて数年経ちますが、現在はAAASで科学の進展をけん引すべくトップを務めています。科学者間のコミュニケーションをいかに促進すべきか、また科学者と一般の人とのコミュニケーションをいかに促進するかということに努めていますが、このアゴラのような場が両者の話し合いを促進する場になっていると思います。

 科学の応用分野では、いろいろな人たちが科学の重要性を自分たちの社会の文脈の中で理解していると思います。世界の人々が科学についてきちんと教育されて科学の利点を享受できるようにすることが必要だと思います。プロの科学者や技術者、工学者は一般人ではないのですからそういった専門家が一般人のためにその知識を生かすことが必要です。世界各国で科学がもっと頑張らなければならないと思います。AAASは「科学に向けての力」を探したいし、科学への信頼の源になっていきたいと思っています。また、「科学界が一般の人とどうしたらより良いコミュニケーションができるかについて努力しています。さらに、科学に関しての知識を深められるようなコミュニケーションに努めています。

科学者は昔のように「信用される存在」ではない

 科学者は昔のように「信用される存在」ではなくなっています。日本では、東日本大震災で多くの方が津波被害を受けました。イタリアでは地震を予知できなかったと訴訟にもなっています。しかし科学は、例えば福島の方々を暗闇に放り込んで危険にさらすために意図的に情報を出さなかったわけではないと思います。イタリアでも情報をわざと出さなかったわけではないわけです。(被害が出て)科学者や工学者が「落胆する存在」になったと一般の人は考えるわけです。ですけれども、地殻変動について科学者が全て予測できるわけではありません。ただ、科学者自身がどうしたら(科学の)真実や知恵を人々に伝えられるか(の方法を見つけるために)、もっと努力しなければなりません。「真実を言わなかったではないか」と言われないようにしていくことが重要です。科学者は、きちんとした仕事をして一般の人と自分を切り離してはいけないと思います。

 科学は過去500年間にわたり最も力強い存在だったと思います。一般の人のために力強い科学が必要です。そして科学は秘密のものではありません。科学は、人類の歴史上最も賢明な発明であると思っています。科学者は自分がやっている科学はものすごく複雑なので一般の知識のない人には理解できないとよく言います。一方一般の人は、科学は不可解で科学者の話しはいつも難解と考えます。理解できないし、自分たちの生活にどう関わっているか分からないので信頼できないと考えるわけです。科学が「信頼に足る」と言うならば、それは科学がエビデンスを基盤に据えているからです。「科学は何か」は単純な話です。小学生でも科学は何かを理解できます。科学は「問いを発する」ことなのです。問いに対して経験的に、つまりエビデンスを用いて答える営みなのです。それをオープンに検証可能な形で行うことです。それほど複雑な話ではありません。しかし科学者は自分の仕事に集中し、エビデンスを集めることに熱中し過ぎる。そのために基本的なことを人々に伝えられない状況に陥ります。しかし科学者はまず、一般の人々に対しての問いは何なのか、そしてその問いに答えるためにどういったエビデンスがあり得るのか、それをどう収集するのか、どう分析するのか、どう共有するのかということを説明すべきなのです。科学は、複雑すぎると過度に単純化した形で提示される例が見られます。どちらの場合でも、受け手側は「自分に対して科学はきちんと語りかけていない」と感じてしまうわけです。

写真「サイエンスエンスアゴラ2016」初日の3日行われた「メディアセッション」で東日本大震災や熊本地震を経験した福島県や熊本県の高校生の話を真剣に聞くホルト氏
写真「サイエンスエンスアゴラ2016」初日の3日行われた「メディアセッション」で東日本大震災や熊本地震を経験した福島県や熊本県の高校生の話を真剣に聞くホルト氏

全ての議論の場で「エビデンス」を問うべき

 科学は本質的に非常に透明性のある、開かれた取り組みです。従ってオープンにコミュニケーションをしない科学者は、科学を行っていないということです。自分のやっている科学は本当に複雑だ、と言う人も多くいます。何年も研究して機器を開発して統計的な分析をして、その結果を単純化して説明することなどできないと言う科学者もいます。しかし、誰でもその科学者に質問できます。質問すべきなのです。一般の人も科学者に「解決しようとしている問題は何ですか?」「人々の生活にとってなぜ重要なのですか?」「(重要ならば)エビデンスは何ですか?」と聞くべきなのです。

 米国の大統領選挙中の討論会用に科学に関する質問を作るよう頼まれました。私は作りましたが、その質問が出ても候補者は恐らく答えないだろうと思いました。しかし、政治の議論の中にどうやって科学を導入することができるかを考えるきっかけになったのです。私が作ったのはフォローアップの質問です。つまり、候補者が何らかのテーマに関してある答えをした後、「そのエビデンスは何ですか?」と聞くことです。政治家に対して、繰り返し繰り返し、エビデンスを問い続ければ、科学的な思考が政治の中に入っていき社会の中にも浸透していきます。ですから、科学者は何でも単純化して説明をすれば良いということではないのです。科学者がすべきなのは、一般の人も科学者と同じように考えられることを示すことです。誰でもエビデンスを取り扱えてエビデンスを尊重できることを示すことです。高度な数学が分からなくても、複雑な機器を操作する技能を持っていなくても、あらゆる段階で「エビデンスは何ですか?」と聞けます。そして「エビデンスを否定して意見やイデオロギーだけを尊重するのは止めてください」と言うこともできるのです。

 コミュニケーションを最も必要としているところはどこでしょう。それは科学の議論ではない議論の場です。私が議会にいた時に、例えば(科学に関する)法案が流れてきます。科学委員会に回されると科学的に検討されるとは思いましたが、司法委員会などでは恐らく「エビデンスは何ですか?」「その主張を裏付けるエビデンスは何ですか?」と聞く議員はいないだろうと思いました。しかしそういう場でこそ、科学は必要なのです。SDGsには17の目標があります。その全てに何らかの形で科学が含まれています。

 例えば、海洋資源の話は明らかに科学的な話ですが一方、ジェンダーの平等、あるいは経済的な公平性などの問題はあまり科学的な命題に思われないかもしれません。しかしそこにも科学が含まれています。目標達成は難しいかもしれませんがエビデンスに基づく思考が必要です。希望的観測でもイデオロギー的でもなく、エビデンスに基づく思考で問いを出していく、問いの答えにエビデンスを求める。そして誰もがエビデンスを確認できるようにする。このことが全ての社会問題を考える上で必要なプロセスです。目標を達成するためにはそれが必要です。社会問題の全てに科学が関わってきます。そしてそれに対処するためには科学的思考が必要になってきます。その科学的な思考は、誰もが習得できるものです。我々科学者は、科学は自分たちだけの特殊な分野だと、あるいは特殊な能力だと考えてはいけません。

基本計画を科学者のために位置付けない

 安倍政権の(第5期)科学技術基本計画では、超スマート社会を目指すとしています。たいへん素晴らしいと思いますが、この計画を研究機関に資金配分をするためだけの計画にしてはいけません。科学者のための計画と位置付けてはいけないと思います。社会や経済が最善の方法で発展するために一般の人々が「科学は自分たちのものであるから科学者が独占するものではない」と理解できなければなりません。そして「エビデンスに基づく思考を求めるのは我々一般市民の義務であり、特権である」と考えられるようにしなければなりません。科学は専門的な科学者や技術者だけのものではないと、皆が考えられる世界が必要なのです。

(サイエンスポータル編集長・内城喜貴)

ラッシュ・D・ホルト 氏
AAAS・CEOのラッシュ・D・ホルト氏

AAAS・CEOのラッシュ・D・ホルト氏プロフィール
2015年より米国科学振興協会(AAAS) 第18代CEO及び「Science」系雑誌の発行責任者。教員、科学者、管理者、政策立案者の役職を歴任。1987年〜1998年エネルギー省(Department of Energy:DOE)傘下のプリンストンプラズマ物理学研究所(Princeton Plasma Physics Laboratory:PPPL)副所長。1999年〜2015年ニュージャージー州選出の下院議員。ニューヨーク大学博士課程修了(物理)。

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