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問われている国民の意識(黒川 清 氏 / 政策研究大学院大学 アカデミックフェロー、前東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 委員長)

2013.03.18

黒川 清 氏 / 政策研究大学院大学 アカデミックフェロー、前東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 委員長

日本記者クラブ主催記者会見(2013年3月8日)から

政策研究大学院大学 アカデミックフェロー、前東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 委員長 黒川 清 氏
黒川 清 氏

 福島原発事故調査委員会(国会事故調)の調査報告を提出した後、米国の議会や戦略問題国際研究所、ジャパンソサエティ、あるいはOECD(経済協力開発機構)などで話をする機会があった。米原子力規制委員会(NRC)のマクファーレン委員長をはじめ、多くの国の原子力規制委員、原子力安全委員と人たちとも個別に意見交換した。

 国会事故調が意味する一番重要なことは、これが憲政史上初めて法律に基づいて作られた調査委員会、ということだ。海外での会議でもそれを強調したのだが、ある会議で英国財務省に15年務めていたという人が、つかつかと寄ってきて言った。「初めてだなんて信じられない」

 こういうことを議会がするのは当たり前のことで、英国では年に2つか3つは委員会ができている。現在は「メディアと政治」「イラク戦争に関わったプロセス」をそれぞれの委員会が検証中。立法府が政府のチェック機関として働くことは民主主義の根幹だ、という。

 つまり国会事故調を通して問われていることは、日本で3権分立というものが本当に機能しているかということだ。米国、英国、フランス、ドイツ、スウェーデンなど議会と行政府の関係は少しずつ違うが、すべてに共通していることがある。民主主義とは立法、行政、司法が独立しており、互いにけん制して、お互いの力を抑制的に働かせることが基本、ということだ。日本でそれが行われているだろうか。日本の国会は英国の真似をしているが、どうやって機能させるかは全く別の問題。今回の事故で明らかになったのは、形だけまねても中身が伴っていないということではないか、というのが、国会事故調査委員会の考えだ。

 日本は戦後、冷戦、日米安保という大きな枠組みの中で経済成長を成し遂げるうちに、自信を回復して官も財も次第に傲慢(ごうまん)になった。その中で日本に独特のことが起きた。ある役所に入るとずっとその役所にいるのが当たり前と思ってしまう。各役所の事務次官が「何年入省」などということがニュースになるのは、日本以外では見られない。ガバナンスが効いていないということだ。

 では立法府は何をしているか。日本の法案の85%は行政府がつくっている。役所がつくれば、前の政策をひっくり返すということなどありえない。横断的な法律をつくるわけはないうことだ。世界が変わったら変える、そのためには役所も横断的に動かす、というのは政治の力、立法府の働きだが、立法府もまた経済成長とともに1党支配の50年の中で利益関係者がずっと結びついてきて、離れられなくなっている。

 30年くらい前までは、「3権の一つである国会は国権の最高機関」と言われていた。最近、その言葉聞くだろうか。また、「公僕」という言葉も使われなくなった。「役人は公僕」ということをメディアも書かないから、国民は役人を「お上」の人だと思い、「天下り」をかっこもつけず使うようなことになっている。国民の意識がだんだんそうなってきたのは誰に操作されているのか、考える必要がある。

 最近、OECDで話をするためフランスに行ってきたが、「日本の原子力規制委員会は大丈夫か」と皆、心配していた。IAEA(国際原子力機関)の人間もみな、日本の原子力安全・保安院が経産省の資源エネルギー庁の下にあり、院長は原子力の専門家でない人間が短期間、交代で就いていたといった日本の実態をよく知っている。世界中の人たちが気にしているのは、新しくできた原子力規制委員会が「本当に変われるのか」ということと、「孤立してしまうのではないか」ということだ。原子力規制委員会が圧力をはねのけられるかどうかは、国民と世界の原子力規制委員会の支持がどれだけあるかにかかっている。

 国会事故調報告に載せた国会事故調からのメッセージ(下記)をあらためて伝えたい。

     ◇

 福島原子力発電所事故は終わっていない。

 入社や入省年次で上り詰める「単線路線のエリート」たちにとって、前例を踏襲すること、組織の利益を守ることは、重要な使命となった。この使命は、国民の命を守ることよりも優先され、世界の安全に対する動向を知りながらも、それらに目を向けず、安全対策は先送りされた。

 「変われなかった」ことで、起きてしまった今回の大事故に、日本は今後どう対応し、どう変わっていくのか。これを世界は厳しく注視している。

 この経験を私たちは無駄にしてはならない。国民の生活を守れなかった政府をはじめ、原子力関係諸機関、社会構造や日本人の「思いこみ(マインドセット)」を抜本的に改革し、この国の信頼を立て直す機会は今しかない。

 国会事故調の提言を一歩一歩着実に実行し、不断の改革の努力を尽くすことが、国民から未来に託された国会議員、国権の最高機関たる国会および国民一人ひとりの指名であると当委員会は確信する。

政策研究大学院大学 アカデミックフェロー、前東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 委員長 黒川 清 氏
黒川 清 氏
(くろかわ きよし)

黒川 清(くろかわ きよし)氏のプロフィール
東京都生まれ。成蹊高校卒。62年東京大学医学部卒、69年東京大学医学部助手から米ペンシルベニア大学医学部助手に。米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)医学部内科助教授、南カリフォルニア大学准教授、UCLA医学部内科准教授を経て79年同教授、83年東京大学医学部助教授、89年同教授、96年東海大学医学部長、総合医学研究所長、97年東京大学名誉教授、2002年東海大学総合医学研究所長。03年日本学術会議会長、総合科学技術会議員に就任、日本学術会議の改革に取り組むとともに、日本の学術、科学技術振興に指導的な役割を果たす。06年9月、定年により日本学術会議会長を退任、同年10月から08年10月まで内閣特別顧問。06年11月から政策研究大学院大学 教授。11年同アカデミックフェロー。11年12月から国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)委員長。同委員長としての活動に対し米誌『フォーリン・ポリシー』の2012年世界的思想家トップ100の1人に選ばれ、2013年2月米科学振興協会(AAAS)の「科学の自由と責任賞」も受賞。

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