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寄生・共生する昆虫と植物の攻防-食糧生産に生かすには-(森 直樹 氏 / 京都大学大学院 農学研究科 応用生命科学専攻 准教授)

2013.01.16

森 直樹 氏 / 京都大学大学院 農学研究科 応用生命科学専攻 准教授

バイオミメティクス・市民セミナー「農業とエントモミメティクス、バイオミメティクス」(2012年11月3日、主催:北海道大学総合博物館 協賛:高分子学会バイオミメティクス研究会)から

京都大学大学院 農学研究科 応用生命科学専攻 准教授 森 直樹 氏
森 直樹 氏

 地球上の全動物種のうち、昆虫は4分の3を占めるといわれる。昆虫は、約4億年前のデボン紀に出現し、激しい気候変動や環境の変化に適応して来た。約1億4000万年前からの白亜紀に被子植物の主要なグループがほぼ出そろうと、その繁栄と共に昆虫も爆発的に多様化した。以来、昆虫と植物は「喰う・喰われる」という関係を築いている。一方、人類の農業生産の歴史は1万年くらいにすぎない。

 農業は人間固有の営みだろうか。自然界には巣の中でキノコを栽培しているアリがいる。足のないダニがアリの巣で沢山見つかった例では、アリはダニを生かしつつ、エサのない冬に食べているらしい。まるでダニはアリの家畜のようだ。

 さらに生物間の相互作用は示唆に富む。例えば▽相利共生:ある植物はアリに住処(すみか)や蜜という利益を提供する。アリは、その葉を食害する虫をアタックして植物を守る。▽片利共生:イソギンチャクは触手に毒のある刺胞を放つ。クマノミという魚にはその毒が効かないので、イソギンチャクの中に隠れ住み、外敵から身を守ることができているらしい。▽片利片害共生:カッコーはオオヨシキリの巣に卵を産む。カッコーの雛(ひな)は先に孵化してジタバタ動き出し、オオヨシキリの卵を巣の外に出して殺してしまう。オオヨシキリは、自分の雛だと思ってエサを与える。有名な“カッコーの托卵”である。

 このようなメカニズムはどのように出来上がったのか。長い進化の過程で、生き物、特に昆虫たちが獲得してきた生き延びる戦略や生き残る知恵を、環境負荷の少ない食糧生産に役立てたい。そのために、私は「エントモミメテックス」を提唱している。エントモロジー(昆虫学)とミミック(模倣)を合わせた造語で、バイオミメティクス(生物模倣)科学の1つとして具現化したい。

 いま世界の人口が70億人を超えて、なおも増え続けている中、世界各地で農業に適した耕地の劣化や偏在が現れてきた。近い将来、地球規模で食糧不足が予想されるが、日本はまだ危機意識が低い。農林水産省のデータによると、日本の「総合食料自給率」(カロリーベース)は、1965年に約73%だったが近年は約40%で低迷している。しかも農業就業者は平均63歳と、高齢化が進んでおり、将来への不安要件である。

 「自らの安全を、自らの力によって守る意思を持たない場合、いかなる国家といえども、独立と平和を期待することはできない」
「天国に至る道は、地獄に至る道を熟知することである」

=ニッコロ・マキャベリ(1469-1527年)『君主論』(岩波文庫)

 毎年学生にこの本を勧めている。現代に通用する深い意味がある。

 こういう観点を持った為政者をどのようにつくり、日本というものを考えて行くべきか。そして日本の農業をどう守って行くか。農業の大きな課題の1つは省力化で、そのためには機能的で優れた農薬が必要だ。ところが食に対する消費者の安全・安心意識が高まり、メディアも農薬をただただ悪者扱いだ。農薬の開発には、10年以上の歳月と100億円に及ぶ費用がかかる。医薬品の場合は、巨額の研究開発費を投じても、延命効果が認められると採算が取れる。健康保険に適用されていく。農薬にはそういうメリットはないけれど、人体への安全性は求められるという難しい面がある。

 低コストで効率的な農薬の開発に向けて、我々は植物に対する害虫のウィークポイントに着目した。作物保護や環境保全も視野に、「植物の免疫機構」すなわち「誘導抵抗性」(防御反応)をテーマに研究の展開を図っている。

1.植物の直接防御反応の例-植物と害虫-

  • イモ虫がタバコの葉をバリバリ食べると、根で殺虫成分のニコチンが作られ、葉に上がってくる。
  • 除虫菊の成分「ピレストロイド」を使った製品をゴキブリなどに噴霧すると、神経が刺激を受けて直ちにひっくり返る。「ノックダウン効果」という。消費者に殺虫効果が分かりやすい。
  • アブラナ科の植物の辛い成分は植物自体にも毒だが、毒の分解酵素が溜まった細胞が別にある。イモムシに食べられたときに細胞が混ざって反応し、虫が撃退される。
  • ゾウ虫がエンドウのサヤの表面に卵を産みつけると、サヤの表面が膨れて角質化してコブができる。孵化した幼虫はサヤの中にもぐりにくくなる。

2.植物の関接防御反応の例-植物・害虫・天敵-

 トウモロコシやタバコなどは、イモムシ(ガの幼虫)に食害されると、葉から特有の揮発成分を放出する。イモムシの唾液成分に含まれる「ボリシチン(Volicitin)」に誘導され、周囲の健全な葉も揮発成分を放出する。イモムシの天敵、寄生蜂はこの匂いをもとに広い畑を飛んで来て、プスリと卵を産み付ける。間接的にイモムシから植物を守っている。人間が葉を傷つけてイモムシの唾液を塗っても同じ効果が得られる。植物は無抵抗に見えるが、食われた瞬間に必死で炭酸ガスを同化して、匂いを作っているのだ。

 この一連の機構は、90年代に私が米国農務省で研究員をしていたとき、上司のジェームズ・タムリンソン氏が室内風洞装置を使って解明し、2008年に権威ある「ウルフ賞(Wolf Prize)」を受賞した。当時、「イモ虫の唾液を集める」という発想にまず驚き、専任のアルバイトを雇ったことに、日本との違いを思った。

 米国では、昆虫の検出感度の良さを利用して、地中の地雷を探す研究も行われた。地雷成分の匂いは自然界にはなく、人間が化学工業で生み出したのだが、この匂いに反応するガがいた。研究リーダーの1人であるトム・ベーカー先生は、ガの触角が爆弾の香りに反応すると“ピー”と音を出す装置を作った。米国の凄さ、幅広い底力を感じた1つだ。私の給料の出先は、農務省ではなく国防省だった。

     ◇

 害虫防除に性フェロモンを使う方法が、主に3つある。▽大量誘殺法:合成性フェロモン剤で誘引した虫を粘着板で捕えて交尾率を下げる。次世代の発生は抑えられるが、繁殖率の低下までには至りにくい。▽発生予察法:性フェロモンに寄って来る個体数をモニタリングして、薬剤の量や散布時期を推定する。既存の防除法の補強手段で、ガやコガネムシなどで実用化。▽交信撹乱法:農作地全域に高濃度で放出して、異性の探索・発見を困難にする。未交尾の個体が増え、次世代の繁殖率が下がる。最も一般的で、特に果実を害するガ類に適用されている。

 従来の薬剤に比べ、性フェロモン剤は次の利点がある。目的の害虫以外の生物や天敵、人間などには無害。容易に分解され、環境汚染の心配がなく、扱い方が安全で簡単。抵抗性が出にくい—など。しかし農業現場において万能ではなく、最近は総合的な防除策が検討されている。

 近年の研究成果は、京大構内の土にいたダニ属の一種の分泌物から、ヤドクガエルの毒として知られる”プミリオトキシン類“の存在を世界で初めて発見し、有機合成によりその確認に成功したことだ。我々の論文は、米国の国立衛生研究所(NIH)のヤドクガエルの研究の第1人者に査読され、評価をいただいた。ヤドクガエルは熱帯雨林などに生息し、極彩色で体から泡のような毒を分泌する。ただ、コオロギなどをエサに飼育すると毒が無くなるので、野生のエサであるダニに注目した。

 また、アリがプミリオトキシン類のアルカロイド*を蓄えている例もある。しかしながら、ある種のアリはダニを食べることが知られている。アリで見つかったアルカロイドは、ダニ由来かもしれない。食物連鎖の生態は未知の部分が多く、非常に興味深い。自然体験などを通じて、子供たちにも生命の多様なダイナミズムを感じてほしい。
* アルカロイド:窒素を含む塩基性の有機化合物。少量で毒性や強い生理・薬理作用を示す。モルヒネ、キニーネなど。

 ダニは警報フェロモンを持っていて、1匹をつぶすと「危険だ!」とばかりに、近傍のダニが一斉に逃げ出す。その分泌物は質量分析計で分析した。ダニは嫌なやつの代名詞になっているが、その匂いは、イメージに反して、レモンの香りである(笑い)。

 「農業とは何か」を考えることは、「生命とは何か」が原点にある。そして「生命」というものは、「分子レベルのメカニズム」と「生態学」の、両方の観点から捉えることが重要だ。

(SciencePortal特派員 成田優美)

京都大学大学院 農学研究科 応用生命科学専攻 准教授 森 直樹 氏
森 直樹 氏
(もり なおき)

森 直樹(もり なおき)氏のプロフィール
石川県立金沢錦ヶ丘高校卒、1986年筑波大学第二学群農林学類生物応用化学専攻、88年京都大学大学院農学研究科農芸化学専攻修了後、呉羽化学工業(株)錦総合研究所に入社。96年京都大学大学院農学研究科農芸化学専攻博士後期過程修了、同大学農学研究科助手を経て、1998-2000年米国農務省研究所へ博士研究員として留学。帰国後、京都大学農学研究科助手、助教授を経て、07年から現職。農学博士。主な著書は『昆虫科学が拓く未来』(京都大学学術出版会)、共著に『次世代バイオミメティクス研究の最前線-生物多様性に学ぶ-』(シーエムシー出版)など。

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