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生物の飛翔が導く“マルチサイエンス” 医学や宇宙分野にも(劉 浩 氏 / 千葉大学大学院 工学研究科 人工システム科学専攻 教授)

2012.09.10

劉 浩 氏 / 千葉大学大学院 工学研究科 人工システム科学専攻 教授

バイオミメティクス・市民セミナー「蛾に学ぶ:羽ばたき飛行ロボット」(2012年7月7日、北海道大学総合博物館・バイオミメティクス研究会共催)から

千葉大学大学院 工学研究科 人工システム科学専攻 教授 劉 浩 氏
劉浩 氏

 1903年に米国のライト兄弟が世界初の有人動力飛行に成功して以来、人間はジャンボジェット機をコンピュータで設計できるほどになった。しかし地球には、3億年前から翅(はね)を持つ昆虫がいた。空中を自由自在に飛ぶ昆虫や鳥は、雨や風の外乱を受けても優れた飛行性能を保持する。彼らの運動原理は今後さらに、さまざまな科学技術分野で活用が見込まれるが、まだ謎が多い。「計算科学」をベースとした学際的な取り組みが求められている。

 私は元々船舶技術が専門だった。93年に科学技術振興事業団の戦略的創造研究推進事業(Exploratory Research for Advanced Technology:ERATO)で、「自然に学ぶものづくり(バイオミメティクス)」の研究がスタートした。世界で初めて「計算流体力学」の解析システムを開発して、魚の遊泳や昆虫の飛翔の推進メカニズムの解明に応用した。

 同じ年、ケンブリッジ大学のチャールズ・エリントン教授が見せてくれたスズメガの古い映像に触発された。それは体長約5センチメートルのスズメガが、最初は低空飛行をしていて、次に静止飛行から全身飛行に切り替わる瞬間を捉えた貴重なフィルムだった。エリントン教授は「昆虫の飛行原理」の権威である。私は羽ばたきと翅の形の変化に興味を持ち、空気力学で解析したいと思った。

 飛行機などの人工飛行体と生物の飛行の違いは何だろう。3つの観点から比較する。

  1. 飛ぶ原理

     例えばジャンボ飛行機は、プロペラとジェットエンジンで推進力を出し、一定のスピードを超えると固定翼で揚力を得る。これは技術力のなせる技だ。離陸の際には、飛行機雲のように見える非常に強い縦渦が機体の周りに発生する。その縦渦は燃費を悪くするので、飛行の安定性を保つためにも、大抵大きな主翼に小さな翼がついている。戦闘機にはつけない。戦闘機は、敵に攻撃されたとき、いかに素早く逃げるかが大事で、安定性よりも操縦性を重視する。おそらく昆虫も同じ理由で、安定性よりも機動性を優先して進化してきたようだ。

     生物の羽ばたきは、主に翅を上下させるフラッピングと翅をひねるフェザリングで成り立つ。翅を打ちおろしたり打ち上げたりすることにより、「揚力」と「推進力」の2つの力が同時に発生している。これまで、アザミウマやミツバチ、ショウジョウバエ、チョウ、スズメガ、トンボの6種類をモデルに、スーパーコンピュータで飛行運動を再現するシミュレータを作って調べてきた。計算すると、羽ばたきには共通現象が1つあった。翅の表面に非常に強い空気のマイクロ渦が発生して、より大きい揚力と推進力を生み出しているのである。

     昆虫の翅が動く仕組みは大体2つに分けられる。「直接飛翔筋駆動タイプ」は、主に大きな昆虫で、筋肉で直接翅を動かす。「間接飛翔筋駆動タイプ」は小さな昆虫に多く、胸部の振動によって翅が一緒に振動して、より高い周波数が得られる。また蝶の離陸には次のような仮説がある。羽ばたきで自分の体重以上の揚力を出せない場合、足のジャンプ力によって補い、速度を得ている。地上すれすれに飛んでいるときは、空中よりも大きな揚力が出るという「グラウンド効果」が働く。

  2. サイズと形

     生物のサイズと羽ばたき周波数(回数)は反比例する。つまり、サイズが大きくなると羽ばたき回数が少なくなる。例えば1秒間にスズメガは約26回、ミツバチは約250回だ。体長1ミリメートルほどのアザミウマは1,000回といわれ、翅は膜ではなく毛なので摩擦が少ない。流体力学的には、飛行機のような流線型の方が安定した力を生み出す。しかし虫の翅の多くは平板な形で、流線型より大きな揚力が出る。ただ小さな虫は、飛行速度が非常に遅くて揚力が小さいが、その代わり羽ばたき回数が多いので、体重を支える以上の揚力を稼げる。

     

  3. 飛行能力

     実際のスピード(時速)は、飛行機が大体1,000キロメートル(km)以上、ミツバチは50kmだ。ただ飛行機を体長約70mとして、ミツバチ(体長約1.3cm)の大きさに単純換算すると、飛行機は時速0.2km以下になってしまう(※)。ミツバチの方が相対的に優れた飛翔能力を持つことになる。さらに1秒間に自分の体長の何倍の距離を進むかで比較してみる。ミツバチは約1,000倍で、最高時速3500kmを超える超音速戦闘機SR71(体長約33m)でさえ、30倍ほどだ。

      ※ 7,000cm÷1.3cm≒5,385と、飛行機の長さはミツバチの5千倍以上であり、この割合で飛行機の速度を換算すると、1,000km/時×1/5,385=0.1857km/時。

 ミツバチの優れた飛翔の秘密は翅にある。1つは超軽量の構造。スズメガの翅の表面から、燐粉を落として重さを量ると、翅4枚で体重の3%に満たなかった。それでも、激しい羽ばたき運動を支える高い強度を持っている。もう1つは、しなやかに変形する柔軟性である。スズメガの力学モデルを作り、世界で初めてコンピュータで解明した。形状だけでなく面積も変化し、力が約2割増え、飛行効率も1割以上アップすることが分かった。

 米国では、国防高等研究計画局(Defense Advanced Research Projects Agency:DARPA)が、90年代から小型無人飛行体(Micro Air Vehicles:MAVs)を開発している。火星探査機にもつながるといえる。計算シミュレータで性能を検証しており、海洋探査や災害救助、危険地域の偵察などに期待される。

 私は5年前、昆虫の羽ばたきを規範にした飛行体(ロボット)の研究開発をスタートさせた。当初は「横幅5cm、総重量5グラム(g)、滞空時間5分以上」と、数字の5で揃えた。機体にカメラを搭載して、撮影や監視をできるようした。その後、ハチドリを模した飛行体を作った。ハチドリは世界最小の鳥で、ほとんど重さ3 gに満たない。羽ばたき周波数は、実物より少し低い20-30ヘルツくらいにした。翅のほかにギアとバッテリー、モーターでできており、2つのチャンネルで制御する。

 翅自体が柔らかいので、都合よくフェザリングが起る。ハチドリと同様に、瞬間的に翅の表面に強い渦が生まれ、揚力と推進力の風圧領域をうまく利用させている。これは非常に重要な点だ。屋内で飛ばすと、割と自由自在に飛び、安定性が良い。滞空時間は、いまのところ最大約6分間強。

 ただ、いくら形状を精密に再現しても、運動や制御機能が大事だ。センサーとアクチュエータ(駆動装置)を今後どのようにしていくか、非常に難しい。将来的には、人工筋肉を使って翅を動かす高度な技術が必要になる。従来の流体力学と飛行力学のほか熱力学、構造や材料、機械、制御などの工学に生物学が加わり、1つの複雑なシステムとして考えていかなければならない。

 2011年7月に、「千葉大学・上海交通大学 国際共同研究センター」が設立された。“システムバイオメカニクス部門”を基盤に、 “バイオロボティクス部門” で生物・生体を規範とするロボットを創製する。一方 “バイオメディカルエンジニアリング”では、機械工学や電子工学が融合して、医療機器の開発や予防医学を目指している。

 そして、例えば人体の血流の力学や肺の中の空気の流れを解明するのに、“計算”と“力学”の分野が必要なことで、多面的、複合的に学問が派生していく。実は数年前から、理化学研究所の方々と「マルチスケール・マルチフィジックス・シミュレーション」という課題名で“生体力学シミュレーション研究”を行っている。人体のあらゆるレベルで起きている現象を、遺伝子レベルから分子、細胞、組織、器官と最終的に全身の状況までミクロ・マクロ的に分析する。同時に時間的な面からも現象を捉えるという“マルチスケール”の方法で、総合的な解明を図る研究である。「フィジオーム(Physiome)」という、生命と全体を意味するラテン語の造語も示され、研究概念の一端をあらわしている。

 実際に、臨床的な応用として「循環器系生命現象の統合的解明」「リハビリや薬効評価」「心血管系手術計画と予測」など多岐に渡って大きな役割が期待される。技術の発展に向けて一層頑張りたい。

(SciencePortal特派員 成田優美)

千葉大学大学院 工学研究科 人工システム科学専攻 教授 劉 浩 氏
劉 浩 氏
(りゅう ひろし)

劉 浩(りゅう ひろし) 氏 プロフィール
1981年中国・大連理工科大学工学部応用力学科卒、92年横浜国立大学工学部工学研究科修士課程。92年運輸省船舶技術研究所研究員、93年科学技術振興事業団・創造科学研究推進事業研究員、98年名古屋工業大学助手。2000年理化学研究所専任研究員、03年から現職。11年千葉大学・上海交通大学 国際共同研究センター・センター長。工学博士。専門は計算力学、バイオメカニクス、生物飛行・遊泳、バイオミメティクス、MAV(micro air vehicle)、循環器系統合シミュレーション、バイオエンジニアリング。著書は『生物流体力学』(分担執筆、朝倉書店)、『エアロアクアバイオメカニクス』(分担執筆、森北出版)、『昆虫ミメティクス』(分担執筆、エヌ・ティー・エス)、『メカノクリーチャ 生物から学ぶデザインテクノロジー』(分担執筆、コロナ社)、『Aerodynamics of low Reynolds Number Flyers』(共著、Cambridge University Press)など。

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