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成功はビジョンを持つことから(山中伸弥 氏 / 京都大学 iPS細胞研究所長、2010年京都賞受賞者)

2011.01.18

山中伸弥 氏 / 京都大学 iPS細胞研究所長、2010年京都賞受賞者

第26回京都賞記念講演会(2010年11月11日、稲盛財団 主催)から

米国と日本の研究環境の違い

京都大学 iPS細胞研究所長、2010年京都賞受賞者 山中伸弥 氏
山中伸弥 氏

 私が3年間留学した米国は、日本と研究環境が全く違いました。「頑張って研究を続けるぞ」と米国から日本へ帰ってきましたが、一年もしないうちに、まるで病気のような状態に陥ってしまいました。私は勝手に『PAD=ポスト・アメリカ・ディプレッション』(米国後うつ病)と名付けていましたが。「もう研究をやめよう」と、本当にやめる直前までいきました。

 つらかったことは自分の研究を理解してくれる人があまりいなかったことです。帰国後は医学部で研究をしていたのですが、周りの先生から「君の研究は面白いとは思う。けれども、もっと医学に役立つことをやった方がいいんじゃないか」と忠告されました。

 日本は天然資源や人的資源に乏しく、科学技術や知的財産の基盤となる研究が非常に大切です。その研究を支える科学者がもっと社会的に認められるようなシステムに変えていくべきです。野球の好きな少年たちは、プロ野球選手の姿を夢見てプロの世界を目指します。それと同じように科学者が認められる世の中が来たならば、若い世代の人たちは夢を抱いて参入してくるようになると思います。

 米国の3年間は充実した研究生活を送りました。サンフランシスコの煉瓦造りの古い建物で過ごしたグラッドストーン研究所のポスドク時代です。ポスドクとは研究のトレーニングを積む身分である博士研究員のことです。スタッフに恵まれ、また自分の研究成果をディスカッションする人にも恵まれ、好きな研究を朝から晩までしていました。

共同研究における信頼関係

 私は現在、日本と米国双方で研究活動を行なっていますが、多くの人は「患者さんを救いたい」という考えで一致しています。だから共同研究をする際には、互いに協力し合う関係をつくれます。研究のある部分は秘密にせざるをえなかったとしても、他の部分では協力関係を築くことができるのです。

 共同研究における信頼関係を築くためには友人になることが大切です。そのためには実際に会って話をすることが重要だと思います。

留学への道のり

 日本で基礎研究の勉強をしていた大学院生時代に私は「もっとしっかりした研究者になりたい。そのためには日本にいてはだめだ。米国に行こう」と思いました。ですがわずか3、4年しか研究の経験がない人間でしたので、給料を払って雇おうという米国の研究所はなかなか現れません。ネイチャーやサイエンスなど科学雑誌をめくり人材募集の広告ページを見て、自分がひきつけられるような研究をしている米国の研究所を見つけては、片っ端から応募していたのです。しかし手紙を出しても、出しても連絡は返って来ません。

 そんな中で受け取ったのが、サンフランシスコからの返事でした。「一度電話で話をしたい」と記されているのを見て30分ほど話をした後に「じゃあ契約成立です。大学院修了後の4月からこちらへ来なさい」との言葉を頂きました。これが大学院修了前の11月だったと思います。

 この時私を雇ってくれたトーマス・イネラリティ(Thomas Innerarity)先生の指導の下、サンフランシスコで学んだことが私の基礎となっています。

「ビジョン」と「ハードワーク」

 そしてこの時代に学んだことを常に私は心がけています。それは「ビジョン」と「ハードワーク」でした。研究者として成功するために、また人間として成功するためには、この二つを守ったら大丈夫だと教えてもらったことです。これは米国時代の恩師であり、またグラッドストーン研究所のプレジデントでもあったロバート・マーレー(Robert Mahley)先生の教えでした。

 私を含めて日本人は「一生懸命に働いてはいるけれども、何をしているのかがわからない」という状態に陥ることがあります。日本人はしっかりとビジョンを持つということが苦手なのです。ハードワークは得意なのですが。

 まずビジョンを持っておくこと。その上で、そのビジョンのためにハードワークすることが大切なのです。科学者を志す若い人へアドバイスしたいことは、他の人のまねをせず、本当に新しいことに挑戦するためにビジョンを持って、粘り強く取り組むことです。

 『米国後うつ病』の状態から回復し、研究者を続けることができたのは二つの出来事のおかげでした。一つ目はその当時に自分の研究分野だったES(胚性幹)細胞研究が医学に役立つと注目を浴びるようになったこと。そして二つ目は新しく奈良先端科学技術大学院大学へと移り研究室を任されたことです。この大学は米国に負けないような研究環境があり、優秀な研究者と学生が集まっていました。

 ここで立てたビジョンが「受精卵以外の細胞からES細胞のような細胞を作ろう」ということでした。(「受精卵を使う」という)ES細胞の倫理的な問題を解決する、これに成功したならばどれだけ素晴らしいか。難しいことだというのは承知していましたが、このビジョンを大学院の学生へ向けて話しました。

 奈良で徳澤佳美さんと高橋和利君、そして一阪朋子さんたちが私の研究室のメンバーとなってくれました。彼らは私の人生にとってかけがえのない大切な仲間です。彼らの活躍でiPS細胞(人工多能性幹細胞)の樹立が成功したのです。

京都大学 iPS細胞研究所長、2010年京都賞受賞者 山中伸弥 氏
山中伸弥 氏
(やまなか しんや)

山中伸弥(やまなか しんや氏のプロフィール
大阪教育大学附属高校天王寺校舎卒。1987年神戸大学医学部卒業、93年大阪市立大学大学院医学研究科修了、米国グラッドストーン研究所postdoctoral fellow 、95年同staff research investigator、96年大阪市立大学医学部助手、99年奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センター助教授、2003年同教授、04年京都大学再生医科学研究所教授、08年京都大学物質-細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター長、2010年4月から現職。医学博士。胚性幹細胞(ES細胞)と異なり、受精卵を用いずにさまざまな組織に分化する可能性を持つ人工多能性幹(iPS)細胞をマウスの皮膚細胞から作り出すことに成功(06年8月米科学誌「Cell」に論文発表)、新たな研究領域の開拓者となる。同じ方法で07年ヒトの皮膚細胞からiPS細胞を作り出すことにも成功した。コッホ賞(08年)、ラスカー賞(09年)などに続き、2010年京都賞(先端技術部門部門)を受賞。

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