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医学の結集でがんの予防と克服を(杉村 隆 氏 / 日本学士院幹事・国立がんセンター名誉総長・東邦大学名誉学長)

2010.09.17

杉村 隆 氏 / 日本学士院幹事・国立がんセンター名誉総長・東邦大学名誉学長

「がん予防学術大会2010札幌」 特別講演「がん予防の重要性」(2010年7月15日)から

日本学士院幹事・国立がんセンター名誉総長・東邦大学名誉学長 杉村 隆 氏
杉村 隆 氏

 一般的に、がんについては早期発見・早期治療が強調されている。しかしこれは「がんの二次予防」に位置する。「がんにならないようにする、がんが発生する環境中のリスクを避ける」ことが、まず心がけるべき一次予防である。

 なぜがんが起こるか。歴史的に染色体異常説や遺伝子突然変異説などさまざまな学説が議論されてきた。いろいろな因子が絡み合っていると考えられるが、約8割が「環境由来」、2割が「遺伝性」といわれる(注1)

 環境的な要因は「環境発がん」とも総称され、特定の物質によって生じる職業がんも含まれる。人間が日々摂取、あるいは曝(さら)されているすべてを指す。中でも遺伝子の突然変異を誘発させる化学物質の作用が問題である。これは「変異原性」というもので、イコール発がん性ではないが両者は密接に関係していることが分かってきた。その他ウイルスと細菌の発がんへの寄与もある。従って食事や生活の見直し、感染などのチェック、診断の機会を増やすことが予防の基本になる。

 ちなみに世界で最初にがんに気がついた人は18世紀英国の外科医P.ポット卿で、煙突掃除人に陰のうがんが多いことから皮膚に付着する煤(すす)に着目し、1775年報告した。ところが数年前、水の美しい街フランスのアヌシーで聞いたところ、身体をよく洗う習慣が予防になって同様の発症はまれだったそうだ。

 がんのメカニズムを追うには何が重要か。今日遺伝子、間質細胞、血管、とりわけDNAのメチレーション(注2)やエピジェネティックス(注3)が盛んに研究されている。ただ「Science」5月号の論文「Genome-Wide Evolutionary Analysis of Eukaryotic DNA Methylation」には、われわれが実験によく使っている線虫や酵母、バクテリアなどではメチレーションが起こるのはほんのわずかと書いてある。1つにこだわらず種々検討していくべきだろう。

 日本人は世界に先駆けて発がん実験に成功し、後世に大きな業績を残している。1915年、東京帝国大学の山極勝三郎教授が学生の市川厚一を助手にウサギの耳にコールタールを塗り続け、皮膚がんを発生させた。海外から高い評価を得た。残念なことにタールの中の物質が何であるか明らかにするに至らなかった。32年、佐々木研究所の佐々木隆興博士と吉田富三博士がアゾ色素(アゾ化合物)でラットに人工肝がんを確認、39年には癌研究所の中原和郎所長が、世界で初めてビタミンB2でその発生を抑制する実験結果を得た。

 発がん物質に高い相関性をもつ変異原性物質に対して、1971年に米国のB.エームズ教授が試験法を考案した。(現在も「エームズ試験」として世界中で実施)。そのころ日本では、魚肉ソーセージの防腐剤、通称AF-2の変異原性が指摘されていた。当時の国立衛生試験所がAF2に発がん性があることを突きとめ、74年に使用禁止になった。

 食品に含まれる亜硝酸と体内のアミンが胃酸による酸性条件下で反応してニトロソアミンという発がん物質が生成することはよく知られている。その後、焼き魚、焼肉などの焦げた部分からヘテロサイクリックアミンという物質を分析し、発がん性を証明した。ラットに大腸がん、前立腺がん、乳がんができた。

 研究者は、がん予防のためにさまざまな発がん要因をリストアップしてきた。上記のほかタバコ、大気汚染や排気ガス、塩辛い食物、放射線、アスベスト、高温で揚げたポテトにあるアクリルアミド、ピーナッツなどのカビ毒素(発がん性の強いアフラトキシンを産生)などである。

 アスベストは中皮腫や肺がんを引き起こすが、米国では有害性が分かると小学校のグランドの舗装まではがしたのを見たことがある。危険性が明らかになるにつれアスベストの値段が世界的に下がり、日本では逆に輸入が増えたと聞いた。われわれはサイエンスにもっと謙虚でありたい。専門家として、科学の知識が人々の生活に与える影響を真摯(しんし)に考える姿勢が大切ではないだろうか。

 いま脚光を浴びているナノ粒子の安全性はまだ研究途上にある。用途が多いので科学者はリスク管理も頭に入れながら研究することが大切だ。行政はリスクとベネフィットをきちんと受け止め、行政にだけ責任を負わせるのではなく、社会全体が判断して使うこと。アスベストの轍(てつ)を踏まないように、日焼け止めや食品にも使われている酸化チタンの物理的な作用にも注意したい。また、近ごろ現われた電子タバコは、微量でも習慣性になるニコチンが含まれている可能性はある。ニコチンそのものは発がんに関係ないが、煙が出なければいいのではなく、これらもきちんと調べていく必要がある。

B型肝炎などのウイルス感染や細菌感染、炎症性疾患も環境発がんの要因であり、予防策も立てられている。2008年に発表された「ヘリコバクター・ピロリ除菌の胃癌再発予防効果」を示す研究論文(北海道大学 浅香正博教授)は画期的な成果である。成人T細胞性白血病では母子感染しないように出産後の断乳が推奨されている。ヒトパピローマウイルスは性的行動で感染するが、なぜか男性の陰茎がんはほとんど見られなくなったにもかかわらず、女性の子宮頸(けい)がんは増加傾向である。現在、このウイルスの感染予防ワクチンが使用されるようになった。

 全身の脂肪代謝の促進も必須だ。メタボリックシンドロームといわれる内蔵脂肪や高脂血症は大腸腫瘍(しゅよう)の発症リスクを上げる。若いうちから食生活を見直して気をつけよう。

 一方、遺伝性の要因では、網膜芽細胞腫、神経芽腫のように、他のがんの統計学的な解析研究にも留意し、新しい原因遺伝子の発見につながる成果を期待する。

 発がんの「機構、要因、抑制」の解明には、診断機器と技術の進歩、施設整備も欠かせない。国立がん研究センターの森山紀之がん予防・検診研究センター長が東芝と開発したヘリカル・コンピューテッド・トモグラフィーなどの装置は、がんの早期発見に貢献してきた。機械は最初のうち高価でも導入が増えると安くなっていく。

 「がん医療水準の均てん化」に関して、国立がん研究センターが、よそと同じということは、センターの進歩が止まっていることにもなる。当センターの患者さんの平均在院日数と院内死亡数はよそより低い。一定の治療が終わると転院してもらうので、がん難民をつくっているといわれた。そもそも「Cancer refugees がん難民」という言葉が誕生したのは、たぶん「The Wall Street Journal(June 10 1999)」が最初だろう。在院日数を増やすと、当センターに入院前の人の待ち時間が長くなり、新難民がたまる。根本的な解決にならないけれど、心のこもった説明で、一時期の冷たいという印象はかなり改善した。

 患者さんには治療薬の副作用の苦労もつきまとう。分子標的薬の抗がん剤イマチニブ(商品名グリベック)は、あるタイプの慢性骨髄性白血病や胃・腸管間質細胞腫瘍(GIST)に劇的に効果がある。特定の遺伝子変化ががん化に強く作用している場合は、その変化に薬が適合するとうまくいく。いろいろ複数の遺伝子変化が作用する場合は治療がなかなか難しい。同じ部位のがんでも性質が違うと薬の作用機序も異なるので多くの課題がある。生存期間が少し長くなるだけの場合があり、その間のQOL(生活の質)も問題であり、多額の医療費に比べて得られる効果は少ないことがある。

 がんの治癒の目安となっている「5年生存率」は、がんの専門病院では50%近い。今後がんになる人を減らすことを重点目標にして、がんに罹患(りかん)する年齢が遅くなり、天寿をまっとうするころ発症するのなら、予防が間に合ったことになる。一方で、全体の治癒率は早期診断、早期治療により高まっていく。膵臓(すいぞう)がんなどの難治がんに研究診断のエネルギーを費やすとよい。

 人間は同時に多様なものに影響されている。化学物質は複合的な、相乗的な影響を来し、いろいろなケースが起こりうる。長期の蓄積が何をもたらし、どう変化していくのか検証していくことが重要だ。サイエンスの原点に立ち、境界を越えた取り組みが求められる。関連分野の科学者が連携して、さらに幅広いがんの予防研究が進展することを願うものである。

(SciencePortal特派員 成田優美)

  • (注1)
    ドイツのカリ・ヘミンキ博士がスウェーデン、デンマーク、フィンランドの双生児を対象に、がんの罹患要因を統計的に解析した(2000年)
  • (注2)
    遺伝子の活動を抑え、タンパク質を変化させる
  • (注3)
    DNAの塩基配列の違いによらず、後成的に遺伝子発現パターンの多様性を生み出す仕組み
日本学士院幹事・国立がんセンター名誉総長・東邦大学名誉学長 杉村 隆 氏
杉村 隆 氏
(すぎむら たかし)

杉村 隆(すぎむら たかし)氏のプロフィール
1926 年東京生まれ。旧制府立高等学校卒、49年東京大学医学部卒、54年財団法人癌研究会癌研究所助手。57年米国立がん研究所、59年ウェスタンリザーブ大学に留学後、国立がんセンター研究所生化学部長などを経て74年国立がんセンター研究所長。84年国立がんセンター総長。92年同名誉総長。70-85年東京大学医科学研究所教授を併任。1994-2000年東邦大学学長。1969年高松宮妃癌研究基金学術賞。76年恩賜賞・日本学士院賞。78年文化勲章、米国環境変異原学会賞。81年米国バートナー癌研究学術賞、米国ジェネラルモータース癌研究基金モット賞。96年フランス共和国国家功労章オフィシエ。97年日本国際賞など受賞。98年勲一等瑞宝章。財団法人国際協力医学研究振興財団理事、財団法人高松宮妃癌研究基金学術委員長ほか役職多数。米科学アカデミー、米医学アカデミー、オランダ学士院、スウェーデン学士院などの外国人会員。著書に「発がん物質」(中央公論社)、「がんと人間」(共著、岩波書店)、「がんよ驕るなかれ」(岩波書店)など。

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