ハイライト

21世紀の科学教育-科学の知見を用いて科学を教える(カール・ワイマン 氏 / ブリティッシュ・コロンビア大学 教授、ノーベル物理学賞 受賞者)

2009.10.07

カール・ワイマン 氏 / ブリティッシュ・コロンビア大学 教授、ノーベル物理学賞 受賞者

シンポジウム「学士課程における科学教育の未来」(2009年9月25日、京都大学高等教育研究開発推進センター主催)講演から

科学教育のビジョン

ブリティッシュ・コロンビア大学 教授、ノーベル物理学賞 受賞者 カール・ワイマン 氏
カール・ワイマン 氏

 すべての教授(ティーチング)は、学習の研究に基づくべきだ。すべての大学の学生が、とりわけ科学やテクノロジーの分野においてよりよい教育を受け、それによって21世紀の社会において活躍するようになり得る。教えることは、学生にとってより効果的であると同時に、教師にとっても効率的で報いのあるものになり得る。

 これを達成するにはどうすればよいか。まず、教授(ティーチング)と学習についての2つの対照的なモデルを提示したい。次に、科学学習に関する研究について述べる。それには、「科学の熟達化(expertise)の構成要素」、「熟達化の程度の測定」、「効果的な教授と学習」が含まれている。最後に、教室でこれらの原理をどう活用するかについての事例をいくつか紹介したい。

科学教育の2つのモデル

 1つのモデルは、教師が主題について納得し、それを学生に説明することだ。このモデルには長所と短所がある。学習する準備の整った脳に基本的知識を伝達するにはよい。また、うまくいっているかどうかをテストするのも容易だ。短所は、教師の望む学習が、複雑な分析や判断、大量の情報の組織化を必要とする場合、もしくは新しい概念を学習し応用できる能力を要する場合には、うまくいかないことである。このようなより複雑な学習は、ただ知識の断片を付加するだけでなく、脳の構造の変化を伴うものだからだ。

 現代社会では、このような複雑な学習や熟達した学習者が必要である。これには、別の教育モデルが求められる。教師がまず目標を定め、それらの目標を達成するための教育的経験を設計し、学生に試し、成果を測定し、そして教師の望んだ学習が獲得されるまで目標や対処法を修正するモデルだ。このすべてのステップは、先行研究によって導かれる。科学研究を行うモデルと似ている。このような科学的アプローチは、科学の教授(ティーチング)における伝統的な講義によるアプローチの有効性についても新しい知見をもたらしてくれる。

熟達化と学習について何が学ばれてきたか?

 過去10-20年間の脳研究、認知心理学、科学の授業研究における発展は、学習をどのようにして達成するかについて一貫性のあるイメージを示してきた。その中には、熟達化を構成するものは何か、効果的な教授(ティーチング)と学習の構成要素とは何かということについての知識も含まれている。こうした研究によると、熟達者の能力とは、どんな主題においても、事実的知識、効果的な知識の検索や応用を可能にする独特な心的組織化の枠組み、自分の思考や学習をモニターする能力(自分はこれを理解しているか? どうやってチェックできるか?など)といったものを含んでいる。このうち、後者の二つは新しい思考法であり、習得するためには、指導と省察を伴う数千時間にも及ぶ徹底した実践を必要とする。このような長期にわたる努力が、脳の構造を十分に変えるためには必要なのである。

 科学における知識は、概念によって組織化されている。概念の学習と使用については物理学入門で広く教えられてきた。研究によると、伝統的な講義法を用いた場合、どんなにすぐれた教師であっても、学生は、事前に知らなかった概念についてせいぜいその30%しか学習しない。これに対して、学生に、熟達者的な思考を能動的に実践させるような新しい教授法を用いた場合には、これまでの教授法に比べて2倍から3倍もの内容を学習できるのである。

 科学の熟達者は、初学者とはまったく違うかたちで科学をとらえている。科学とは何か、どのようにして学習されるか、問題解決のためにどのように活用されるか、といったことについてだ。熟達者と初学者の違いを研究する中で分かってきたことがある。それは、ほぼすべての物理や化学の入門コースは、授業を受ける前よりもいっそう、学生たちを科学の熟達者的理解から遠ざけているということだ。彼らは、科学とは記憶すべき恣意的な事実の集まりであり、教室の外の世界とはほとんど関係のないものとしてとらえているのである。

効果的な教授・学習の構成要素

 以下の4つの要素は、すべての状況におけるすべてのレベルの学習にあてはまる。

 第1は「作動記憶への不必要な要求を減らす」ことだ。脳は新しい情報を記憶し処理する上で“作動記憶”に依存している。認知科学はこれまでに作動記憶の容量はきわめて制限されていることを示してきた。個人が記憶し処理できる新しい項目は、7個未満とされている。これは、典型的な科学の講義で提示されている項目数よりもかなり少ない。

 このため、学生は講義によって教えられた内容のごく一部しか保持できていないと推測される。測定結果もこれを立証している。私の研究でも、新しい事柄を教えられた15分後には10%しか記憶できていないことが示された。このことは、授業中の不必要な作動記憶への要求を減らすことにより、学習が改善される、ということを示している。ジャーゴン(仲間うちにだけ通じる用語)を必要最小限にし、図を使ったり、すぐれたアナロジー(類似)を用いて説明したりすることで達成できる。

 第2は「動機づけ」だ。学習する意欲がなければ、学習は生まれない。研究によれば、動機づけは個人の過去の経験に依存しているため複雑なテーマであるが、よい教師は学生が主題を学習するよう動機づけることに多大な注意を注いできた。一般的に学習を動機づけるとされてきたのは以下のようなことがらである。

 主題を学習者にとって「関連性があり」「有用であり」「興味をそそるもの」にするような文脈。さらに、主題を習得できるという感覚や、学習プロセスを学習者自身がコントロールし、選択しているという感覚を与えることが重要になる。

 第3は、「熟達者の思考の明確なモデリングと実践」を提供することだ。学生は、熟達者的な思考を明確にターゲットとした、チャレンジングだが解決できる問題を解くことによって、熟達者的な思考を実践する必要がある。そのためには、「概念とメンタルモデルを能動的に発展させる」「問題解決に関連のある情報と関連のない情報を認識し、比較する」「自己チェック、意味生成、省察(リフレクション)する」ことが必要だ。

 教師は、学生がこれらの課題を解いている問、彼らを導く効果的なフィードバックを与えるべきである。

 そして4番目に重要なことは、これまでの思考と結びつけ、その上に構築する、ということだ。すべての学生は“既有知識”を持っている。それは学習のあらゆる側面を形づくっているので、認識され、きちんと扱われるべきである。

授業で学生に熟達者的な思考を実践させるには

 授業での質問に答えるための学生用個別応答システム(student personal response systems)のような適切なテクノロジーを活用することが必要である。ここでは、効果的な指導、フィードバックを用いながら熟達者の思考を実践している、ある授業の事例をあげよう。

 授業の前に、学生は電流についての章を読み、基本的な事実と用語を学習する。授業の冒頭で確認のための小テストを行う。授業は、クリッカーを使った一連のチャレンジングな問題により構成される。問題に答える前に概念について考え、学生同士で討論するよう促す。その後、講師の指導のもと、クラス全体でそれぞれの推論について討論するのである。この事例の場合、回路の中を移動する電子を示すのにPhET(Physics Education Technology)のインタラクティブ・シミュレーシヨンを用いる。

 能動的な教室はよいスタートではあるが、十分ではない。教師は熟達者的な思考やフィードバックを必要とするような宿題を出さなければならない。情報の長期保持率は、宿題の出来具合によって最も的確に予測できるとされている。これは、熟達者になるために脳を十分に創り変えるには、授業で使用可能な時間よりはるかに多くの時聞が必要とされるという研究成果と合致している。

 以上述べてきた教授法と伝統的な講義法を比較すると、講義により得られた情報の保持率は10倍以上改善し、基本的な科学的概念の学習率は2-3倍になる。そして、学生の科学についてのとらえ方は、以前よりも、科学者のとらえ方と似てくるのである。遠ざかるのではなく。

  • 編集者注:
    ワイマン 氏の講演とパネルディスカッションの要旨、PPTスライド(ともに英語・日本語併記)をおさめた資料集を入手されたい方は、京都大学教育推進部総務グループまでお問い合わせください。
ブリティッシュ・コロンビア大学 教授、ノーベル物理学賞 受賞者 カール・ワイマン 氏
カール・ワイマン 氏
(Carl・ Wieman)

カール・ワイマン(Carl・Wieman)氏のプロフィール
2001年ボーズ=アインシュタイン凝縮に関する研究で、E・A・コーネル、W・ケターレと共にノーベル物理学賞を受賞。07年から古巣のコロラド大学に在籍しながら、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学で自分の名前を冠したユニット「カール・ワイマン科学教育イニシアティブ」を立ち上げ、科学教育の研究と実践に情熱を注いでいる。

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