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大槌町から世界へ発信 日本最長老級の二枚貝「ビノスガイ」の成長線から見えたもの

2018.01.19

橋本 裕美子 / サイエンスライター

 92歳の二枚貝が、岩手県大槌町で見つかった。この発見は、東京大学大気海洋研究所の白井厚太朗(しらい こうたろう)助教を中心とする合同チームによるもので、この二枚貝の貝殻に残された情報を読み解くことで、これまでに日本周辺の海洋で起きた長周期の環境変動が分析できることが突き止められたという。

写真1.ビノスガイの貝殻。写真の貝殻は横幅が約10センチメートルで、標準的なサイズ 写真:東京大学プレスリリースより
写真1.ビノスガイの貝殻。写真の貝殻は横幅が約10センチメートルで、標準的なサイズ 写真:東京大学プレスリリースより

貝の成長線を観る

 ドイツ語で「木のケーキ」を意味するバームクーヘンは、年輪のようなその断面の美しさが特徴的だ。樹木の年輪は、季節によって育ち方が異なることで現れる。地球の中緯度で四季のある地域に生息する樹木の場合、春から夏にかけては日差しを受けてぐんぐんと成長して幹が太くなっていくが、秋から冬にかけての寒い季節はほとんど成長しない。成長の早い季節に作られた細胞は大きくて色が薄いが、成長の遅い季節に作られた細胞は小さくて色が濃く、この色の濃い部分が年輪になる。こうした年輪の幅や色から過去の気候や環境変化を推定する学問には「年輪年代学」や「年輪気候学」等があるが、近年ではその手法を長寿の二枚貝に応用する研究例が飛躍的に増加しているという。

 樹木の年輪と同じように、貝殻にも成長の停滞期に「成長線」が現れるものがある。二枚貝の貝殻の表面をよく見ると細かい同心円状の線が見えるが、必ずしもこれと成長線が一致しているわけではなく、貝の年齢や年間成長速度は、表面を観察するだけで分かるとは限らない。今回、研究チームが注目した岩手県大槌町で採取した「ビノスガイ(写真1)」もそんな二枚貝の一種で、成長が停滞する冬を越すと成長線が現れるが、貝表面の線とは一致しない。

 そこで、研究チームは、ビノスガイの貝殻をまず切断し、丁寧に研磨したその切断面に見える成長線を顕微鏡で観察した(図1)。次に、目視で1950年以前の成長線と判断した部分に、1950年代に行われた核実験由来の特定の炭素が含まれていないことを確認することで、それより前の成長線であることの確かさを確認した。

図1.ビノスガイの貝殻の切断面に見られる成長線と模式図。表面の凸凹と成長線は一致していない。1年に1本刻まれる成長線の幅は等間隔ではなく、時期によって年間成長量が異なることが分かる 画像:東京大学プレスリリースより
図1.ビノスガイの貝殻の切断面に見られる成長線と模式図。表面の凸凹と成長線は一致していない。1年に1本刻まれる成長線の幅は等間隔ではなく、時期によって年間成長量が異なることが分かる 画像:東京大学プレスリリースより

太平洋の貝の成長が大西洋の気候変動と関係していた?!

 研究チームは、2010年9月・2013年3月・2013年9月に大槌町で採取したビノスガイ計3個を対象としてこの観察を行い、その年間成長量に40〜50年の周期があることを発見した(図2上)。1955年前後に年間成長量が低下し、その後、1970〜80年にかけて上昇した後、再び2000年頃まで低下し、2000年以降は横ばいもしくは微増する、というパターンが見られたのだ。

 年間成長量には、例えば、貝自身の年齢や個体の特性といった内的要因や、水質や水温、餌条件、土壌環境、周辺に生息する貝の密度といった外的要因など、さまざまな要因が影響する。研究チームは年輪年代学でよく使われる手法を応用し、貝の加齢に伴う成長の低下や個体差などの細かな要因を除いた長周期の気候変動の影響のみを抽出して、ビノスガイの生育環境の変化を詳しく調べてみることにした。その結果、ビノスガイにとって悪化した環境は1950年代後半を境に1970年代に向かって好転し、再度2000年頃に向かって悪化する曲線を描くことが分かった(図2中)。

 興味を掻き立てられるのは、ビノスガイは太平洋で採取されたにもかかわらず、このパターンが大西洋の長周期環境変動と似ていることだ(図2中および下)。海洋はさまざまな時間スケールで変動している。大西洋の主要な長周期環境変動のひとつに、「大西洋数十年規模変動(Atlantic Multidecadal Oscillation:AMO)」と呼ばれる北大西洋での海水温や気圧の平均的な状態が10〜20年周期で変動する現象があるが、図2のグラフからは、このAMOと成長量の周期や変化のタイミングがよく似ていることが見て取れる。

図2.いずれも横軸は年代。(上)ビノスガイの年間成長量を対数グラフで表したもの。グラフの上にいくほどよく成長したことを示している。40〜50年程度の周期が見られる。(中)年間成長量から環境の影響だけを抽出したもの。上に行くほど、貝の成長に適した環境だったことを示す。(下)PMOとAMOの変遷。ビノスガイに刻まれた過去の環境情報の波形は、AMOの波形とよく似ている 図:東京大学プレスリリースより引用
図2.いずれも横軸は年代。(上)ビノスガイの年間成長量を対数グラフで表したもの。グラフの上にいくほどよく成長したことを示している。40〜50年程度の周期が見られる。(中)年間成長量から環境の影響だけを抽出したもの。上に行くほど、貝の成長に適した環境だったことを示す。(下)PMOとAMOの変遷。ビノスガイに刻まれた過去の環境情報の波形は、AMOの波形とよく似ている 図:東京大学プレスリリースより引用

 今回の研究対象となったビノスガイの産地である太平洋には、太平洋十年規模変動(Pacific Decadal Oscillation:PDO)と呼ばれる約10年周期で変動する現象があるが、なぜかこれとは一致しない。AMOとPDOの間にどのような関連があるのか、現在はまだ分かっていないが、今回の研究成果がこの謎を解くきっかけになるかもしれない。

図3.太平洋と大西洋の位置関係。岩手県は太平洋に面しているにもかかわらず、ビノスガイの年間成長量は、大西洋の長周期変動パターンと類似していた。
図3.太平洋と大西洋の位置関係。岩手県は太平洋に面しているにもかかわらず、ビノスガイの年間成長量は、大西洋の長周期変動パターンと類似していた

ビノスガイという指標が教えてくれること

 そもそも研究チームは、なぜビノスガイに注目したのか。ビノスガイは過去の環境変動を明らかにするための「古環境指標」になる可能性があるからだという。

 地球の気候はさまざまな周期で変動している。例えば、前述のPDOは、太平洋で最も顕著な長期気候変動周期のひとつであり、北太平洋中央部の海面水温が通常より高い時期には、その東側を取り囲む外周部の海面水温が通常よりも低くなり、中央部の海面水温が低い時期には、外周部の海面水温が高くなるという空間的な変動パターンが10〜数十年周期で繰り返される。そして、それに伴って、黒潮等の海流や太平洋上の気圧配置も変動する。

 このような周期変動が地球の気候システムや温暖化にどのように影響しているかを理解することは重要だ。また、漁業資源は、これらの海洋周期に呼応して変動することが知られている。水産資源の変動メカニズムの理解と持続的な資源利用という観点からも、周期変動の理解は重要視されているのだ。

 一方で、観測機器による気温や湿度などの環境記録は1850年代以降のものしかなく、海洋観測データとなると1910年以降存在はするものの広域で観測されているのは1950年以降に限られてしまう。こうした観測記録のない時代の環境は、樹木の年輪やサンゴなど身体に環境情報を記録している動植物を古環境指標として解析することで見えてくるかもしれない。しかし、高緯度海域では高解像度の古環境指標になり得る動植物がこれまで見つかっておらず、PDOのような長周期気候変動メカニズムの理解がなかなか進まなかった。

 ビノスガイは、日本周辺海域においては東北以北の冷たい海域の水深5〜20メートル程度の砂地に生息することで知られる。研究チームは、2011年の東北地方太平洋沖地震以降、津波が生態系に及ぼした影響調査を続ける中で、岩手県沿岸で大型のビノスガイを複数個発見した。そして、北海道での調査を含む今回の一連の研究で、そのうちのひとつは99歳という長寿であることが分かり、それまで信頼性の高い手法で日本周辺海域を調べた例の中で日本一長寿の二枚貝であることが明らかになった。また、岩手県大槌町のビノスガイでは、年間成長量が前述のように大西洋のAMOと類似したパターンを示すことを発見した(ちなみに北海道のビノスガイは太平洋のPDOと類似していた!?という)。このようにAMOやPDOと成長量の変化との関係が確認できたことで、ビノスガイが古環境を復元できる可能性が高いことが明らかになった。

 つまり、ビノスガイは、これまで発見されずにネックになっていた高緯度海域の高解像度な古環境指標になり得るのだ。今回の研究で復元できた環境記録は過去数十年分に留まるが、解析対象は現在生きているビノスガイでなくても構わない。今後、既に死んでいる個体の殻を含む成長時期の異なるビノスガイを同様に解析し、似た成長パターンの部位を繋ぎ合わせていくことで、単一の貝の寿命よりも長期間に渡る過去の環境記録を解明することができるだろう。地球の気候変動や温暖化、水産資源変動メカニズムの解明に必要な新たな情報を提示していけるかもしれない。大いに期待が寄せられる。

大槌をフィールドにした研究成果を世界へ

 研究チームは現在、気候変動の記録を過去にさかのぼって復元する研究の他に、貝殻に含まれている放射性炭素から岩手沖の海流の変遷を復元する研究も進めている。「これらの研究を通して最終的には、過去数百年に渡る長周期の気候変動や海流の変化などを解明し、それらと水産資源変動の関連性について明らかにしたいと考えています」と白井氏は語る。また、縄文時代〜弥生時代の貝塚や史跡から発見されたビノスガイにも注目し、当時の人びとがどのような環境で暮らしていたのかを調べたり、地層から発掘される化石を用いて、地質スケール(数万年〜数百万年単位)の環境変動を明らかにする研究にも取り組むという。

 さらに白井氏は、次のようにも話す。「私は大槌に住んでいたことがあり、震災以降、愛着のある大槌のために何かしたいとずっと考えてきました。大槌から世界に誇れる研究成果を出すことで大槌の人たちに明るいニュースが提供できれば、と、こつこつ進めてきた研究が、今回やっと形になりました。こうやって大槌の研究成果が出せたことはとても嬉しく思います。今後も引き続き大槌をフィールドにした研究成果を世界に発信していきたいと考えています」。

大槌町の大槌湾内には、故井上ひさしさん原作のテレビ人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルとされる蓬莱島が浮かぶ。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた同町の復興シンボルとして再建されたこの島の灯台は、太陽と砂時計をモチーフにしたものだ。過去をひも解き海や気候の理解を深めて未来へ繋げる本研究もまた、大槌町の復興を照らしていくだろう。「ビノスガイ」を新たな古環境指標とする独自の視点で、未だ不明な部分の多い環境変動や水産資源変動を多角的に解明していく研究チームからの続報が待ち遠しい。

(サイエンスライター 橋本 裕美子)

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