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アーカイブ - レポート - 「科学技術政策世界の動き」アジア編

第1回「トップダウン政策で発展を続ける小国シンガポール」

科学技術振興機構 研究開発戦略センター 海外動向ユニット チャップマン純子 氏

掲載日:2009年7月9日

シンガポールは、人口約460万人、国土面積約700平方キロ(東京23区よりやや大きい)という小国であるにもかかわらず、近年は著しい経済発展を遂げ、一人当たりの国内総生産(GDP)は既に日本を追い抜くまでに成長している。IMD(注1)世界競争力総合ランキングでは第2位を獲得しており(2007、08年)、ビジネス効率や政府効率に関する複数項目においても、世界第1位あるいは上位にランクインしている。同ランキングにおいて小国が上位を獲得しやすいという傾向を勘案しても、シンガポールが急速な経済発展に伴い国際競争力を著しく向上させているのは明らかである。その成功の背景には、歴史的経緯によるユニークな国家政策がある。ここでは、シンガポール政府による特徴ある政策を紹介したい。(以下は個人的見解によるものであることを了承されたい)

 

政府による政策の特徴

シンガポール政府は「小国=小さい政府」であることを生かし、政策の一貫性とトップダウンによる計画の実行により多くの物事を進めている。一方で、小国ならではの対策をとらざるを得ない面もある。小国であるが故に国際社会において自国の影響力が弱いことを認識しているため、世界の情報を収集して自国のポジショニングを常に意識している。そして諸外国(特に先進諸国)の政策や現状を十分調査し、世界(特に先進諸国)の流れに乗ろうとしながらも、小さい自国を目立たせるために何か特色を出そうとし、先進国の例をそのまま模倣するのを避けているようにも感じる。特に追い上げの厳しい近隣諸国から自国を差別化させ、東南アジア地域では常に先駆者となろうとしているのも、政策の端々に表れている。また政府が小さいためその動きが迅速で、政策決定や修正を実行に移しやすく、適切だと思った政策を柔軟に採用しながら自国に合った政策を進めている。

 

海外資源の誘致政策と産業発展

シンガポールの政策で有名なのは、やはり海外資源の積極的な誘致政策である。小国シンガポールは、1965年の突然の独立により早急な自立が求められたことにより、自国の人材や知識などの資源不足の解決策を海外からの誘致に求めるようになり、現在に至るまで一貫して海外人材や企業を積極的に誘致してきた。それは一般的な労働力や財政投資だけでなく、研究開発(R&D)の面でもその能力や技術を海外から導入しようとしてきた。海外資源と自国のR&D能力の獲得の歴史を、産業発展の観点から簡単に紹介したい。

1965年の独立までの間、イギリスの植民地、自治領、またマレーシア連邦の一部という形態を経たシンガポールは、その地理的特徴を生かした中継ぎ貿易地として発展してきた。1960年代のシンガポールは、本格的な工業化着手や、マレーシアから半ば追放される形での分離独立を経た後、輸出志向工業化政策を採用することとしたが、当初は労働集約型産業が中心であった。そして人材や資源が限られたシンガポールは、それらを海外に求めるようになる。つまり近隣諸国からの外国人労働者に加え、海外直接投資や多国籍企業(MNCs)(注2)の受け入れを、税制優遇措置、産業用地の確保、低賃金の維持等により促進したのである。しかしこの当時は、シンガポールはまだMNCsから移転される技術に深く依存していた。

1970年代後半になり第一次オイルショックから景気が回復すると、シンガポールの労働者市場は賃金高騰と労働者不足という問題に直面する。低賃金で労働者を雇用できる東南アジアの他国がより低価格での製造を実現すると、シンガポールは自国を差別化させるため、高付加価値産業・ハイテク産業に注目するようになる。そしてこのころになるとMNCsで働くシンガポール人は、業務上で習得した技術を自ら採り入れ改良することができるようになる。同時にMNCsをサポートするための地元請負業者が出現し、顧客であるMNCsと取引を重ねることにより、MNCsの技術を習得して利用しようとするようになる。

1980年代後半からは徐々にR&D拠点をシンガポールに設立するMNCsの数が増加し、公的R&D機関数もこの時期に増えたことに加え、高等教育機関がR&D活動を拡大させ、地元企業もR&D投資を本格化させる。つまりこの時期に、MNCsによる海外技術移転への依存からシンガポール国内のR&D活動拡大へと移行し始めたのである。

さらに、地元企業の多くがそれまでは納入業者としてMNCsの請負製造が中心だったが、1990年代後半になると情報技術やバイオテクノロジー、ライフサイエンスといった分野でより技術革新志向の地元企業が多数、事業を開始する。そしてベンチャーキャピタルが資金源としてより重視されるようになり、大学や公的R&D機関からのスピンオフ企業も現れ、その数は年々増加していった。シンガポール自国によるR&Dが拡大し、自立へと歩み始めたのである。

このように、突然の独立に直面した小国シンガポールの産業発展は、海外企業、特にMNCsの誘致なしには成し遂げられなかったと言える。積極的にMNCsを受け入れることにより、地元企業への技術移転を通して海外技術を徐々に採り入れ吸収し、国内のR&D能力の向上や人材育成に努め、経済発展を遂げてきたのである。

 

一党独裁制の必要性とそれによる不利益

もう1つのシンガポール政策の特徴として挙げられるのは、同国ではトップダウン政策がうまく機能し、政府の強いリーダーシップが発揮される場面が多いということである。これはシンガポール政府が事実上の一党独裁制であることによる。

独立以来シンガポールは、リー・クワン・ユー(李光耀)首相(当時、現・顧問相)が1954年に結成した人民行動党の事実上の一党独裁制を維持している。「事実上」というのは、決して一党独裁制を法律などで定めているわけではなく、野党の存在は認められており、実際に2006年の総選挙では、労働党とシンガポール民主同盟が議席を獲得している。しかしその数はわずか1席ずつで、残りの82議席は人民行動党が占めていることから、「事実上」の一党独制裁なのである。

この一党独裁により言論の自由が侵害されているという指摘がある。「独裁」や「言論統制」というと一般的にイメージが悪いが、シンガポールの場合、在住の外国人も含めて、この「言論統制」が意外に評判が良い。シンガポールのような小国で発展途上にある多民族国家には、やはりある程度の言論統制はやむを得ない、という意見なのである。またシンガポールが海外企業誘致に成功した要因の1つは、同国がテロと無関係な国だということである。それが民族間・宗教間の争いからテロの脅威が発生すれば、小国であるが故に国全体が大きな被害を受けることになる。そのようなテロの可能性をなくすためにも言論統制は必要である、という意見も聞かれる。

しかし、この「評判の良い言論統制」が裏目に出た事実もある。シンガポールでは海外の有名大学の誘致に成功した例が多くある一方で、海外の大学や研究者からは、シンガポール進出に関する懸念・問題点が指摘されることもある。それは主に、シンガポール政府による外国人研究者の政治的発言に対する抑圧にあることが多い。同国は政治的に民主化されているものの、多くの欧米人にとっては一党独裁制と民主化が両立できるとは理解し難い。社会科学分野で有名な英国のウォーリック大学がシンガポール政府による誘致計画を、2005年10月、学内の教授陣の投票により最終的に拒否することを決定した際に、言論統制がその理由の1つとして挙げられた。学問的自由の確保や人権の欠如に関しての懸念を払拭(ふっしょく)することができなかったのである。

このように、国内事情による一党独裁制の維持は、海外との関係においては不利益を被ることになる場合もある。しかし、シンガポールのこれまでの成功の経緯を探ると、科学技術・イノベーション政策においても、政府のトップダウン政策が功を奏している場合が多く、シンガポール政府が近い将来、大きな転換を図ることはないと予想できる。

 

  • (注1)IMD: International Institute for Management Development
  • (注2)MNCs: multinational companies

 

研究開発戦略センター「科学技術・イノベーション動向報告~シンガポール編~

 

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