サイエンスポータル SciencePortal

アーカイブ - 編集だより -

2009年10月2日編集だより

小岩井忠道

ボランティア活動をいとわない人を昔から尊敬している。それに反してわが身は、と反省したまま人生を終えてしまいそうだ。というのにおこがましいが、ボランティア活動をするならできれば本業と全く関係ないことを、と思っている。ところが、現実はままならない。ささやかなボランティア的活動の経験しかないのに、文章を扱う仕事を引き受けることが一度ならずだ。高校の同窓会では会報委員長というのをやらされたことがある。本業の記者稼業が暇になりかけたころだからよかったが。

いま、やっているのは学生時代世話になった育英会(財団法人)で寄宿生OBの機関誌編集の仕事だ。初年度は前任者の大先輩らの支援で何とか発刊にこぎ着けたが、2年目の今年辺りから少しは頭を使った跡も見せなければ、と現役寄宿生を引き込む企画を考えた。無理を聞いてもらえる寄宿生同期の元日弁連副会長、軍司育雄氏に頼み、後輩の大学生にインタビューさせるというもくろみである。テーマは今年司法界の最大の話題「裁判員制度」だ。

1日、日本記者クラブの会員談話室で待ち合わせ、法学部の大学生2人が軍司氏にインタビューするのを脇で聞いていた。裁判員制度については大量のニュースが流れたので、新聞記事も相当読んでいたつもりだったが、やはり知らないことは多い。

裁判員制度は、判決に普通の国民の声を反映させることにあるのだから、裁判官だけの価値判断だけでは判決は決められない。有罪か無罪か、量刑をどのくらいにするかで意見が一致しなかった場合は、裁判官3人と裁判員6人の多数決で決める。ただし、被告人に不利な判断が多数を占めた場合、不利な判断に賛成した人が、裁判官側と裁判員側双方に存在しないと効力を発揮しない。裁判官3人が死刑と判断しても、裁判員のだれもが死刑に同意しなければ、死刑という判決はない。裁判員制度は、一般国民に新たな義務を負わせる一方、裁判官の方にも一定の制約を課した制度だ-。

軍司氏の説明になるほどと思った。こんなケースが現実に起こりうるかどうかしらないが、裁判官3人が死刑と判断したのを、司法の素人である裁判員が阻止する。こういうことも可能な社会は悪くないのでは、と。

無事、インタビューを終えた後、しばし、寄宿舎の先輩後輩4人で歓談する。これも先進国で最も裁判員ないし裁判員制度を取り入れるのが遅れた国、つまりは司法が国民の大半から遠い国故の現実だろうか。普通の主婦がちょっとしてきっかけで借金をし、家族に知られたくないあまり隠れて高利の金を借り続け、ついに追い詰められて自殺してしまう。弁護士に相談すれば、自殺などするようなことではないのに…。日本でよく起きている、と軍司氏が話す例示に考えさせられた。

話が離婚のことに及ぶ。欧州の某国などでは、離婚専門で億の年収を稼ぐ弁護士も珍しくない。これに対し、日本はそもそも離婚する際に裁判に持ち込むケースが非常に少ないという。こちらは司法の壁が高いか低いかの問題ではないらしいというのが面白い。

「宗教のせいだろう。キリスト教徒は神の前で結婚を誓うから、離婚も2人だけで勝手に決められず、裁判で片を付けるほかない、となるのでは」

ページトップへ