レポート

地方都市で考える「食の未来」と「培養肉」

2019.10.03

室井宏仁 / サイエンスライター

 「培養肉」は世界的に人口の増加が続き、将来世代における食肉の供給不足も予想される中で新しい代替タンパク源として注目されている。その培養肉を一般市民の手で生産しようとしているサークルのメンバーを招いたサイエンスカフェが8月18日、北海道の函館市で開かれた。先端技術を用いた食糧生産と、それが実現する社会について地方都市を舞台に考える取り組みを追った。

 今回訪れた「培養肉カフェ」は、函館市とその周辺地域を会場とする「はこだて国際科学祭」の一環として開催された。話題提供者の田中雄喜(たなか ゆうき)さんが函館市に隣接する七飯町出身という縁で企画が実現した。田中さんは東京大学大学院で生命科学を専攻するかたわら、一般市民の手で食用に耐える培養肉を作ろうという「Shojinmeat Project(ショウジンミート・プロジェクト)」に参加している。

 この有志団体の目的は、一般市民の手で培養肉の生産を実践し、そのことを通じて将来の食を支えうる科学技術への意識を高めることだという。田中さんをはじめ、高校生や会社員、専門の研究者からアーティストなど、多様なメンバーがそれぞれの興味や関心に合わせて幅広い活動に参加している。その内容も、細胞の培養実験からメディアでの情報発信、高校生を対象とした出前授業まで幅広い。サイエンスカフェは、培養肉開発の現状とショウジンミート・プロジェクトによる実践活動の両方を、質疑応答を挟みながら紹介する形式で行われた。

会場となった函館市中央図書館内の「カフェ ボルヤン」
会場となった函館市中央図書館内の「カフェ ボルヤン」

「細胞農業』としての培養肉開発とその課題

 現在行われている培養肉生産の試みは、「細胞農業」と呼ばれる食糧生産法の一つに位置付けられる。細胞農業とは、生物の体を構成する細胞を使ってこれまで農・畜産業を通して生産されていた肉や皮革製品、ゼラチンなどの有用物質を作ろうとする取り組みのことをいう。ここでいう「肉」とは、特定の形状や役割を持つ細胞が増えてできる「組織」がさらにより集まったものだ。細胞や組織を生物の体外で人工的に増やす技術が「培養」であり、これは生命科学の分野で一般的な実験手法として用いられている。

 つまり培養肉とは、基礎研究の技術である細胞培養を食糧生産の方法として用いたものともみなせる。こうした細胞培養による食肉生産の研究は1990年代からスタートしていたが、概念自体は19世紀には提唱されており、その点では長い歴史を持っている。

 ただ、多くの先端技術と同じく、実際の培養肉開発にはコストの壁が常に立ちはだかってきた。田中さんによると、細胞の大量培養の効率化が十分でなかったために、2013年の時点で培養肉の価格はキログラムあたり1億円以上にもなっていたという。これをいかにして需要を見込めるレベルにまで圧縮するかが、現在に至るまでの大きな課題となっている。

 高コストの原因の一つは、細胞の培養に必須な「培地」にある。培地とは、細胞が生きていくための栄養素となる糖分やミネラル、細胞の増殖に必要なタンパク質を含む液体成分の血清をはじめとして、多様な成分が溶け込んだものだ。

 研究機関で使用される培地は各成分の純度が極めて高く、かつ厳密な品質管理の下で製造されており非常に高価だ。培養肉の生産には細胞を大量に増やすことが必要だが、それには同じく大量の培地が必要になる。このため、市販の培地をそのまま培養肉の生産に用いる場合、莫大な出費となる。

 ショウジンミート・プロジェクトのメンバーたちは、この培地に目を付けた。きっかけは、筋肉細胞向けの培地に含まれる成分のうち、糖分やミネラルは市販の清涼飲料水に比較的似ていると分かったこと。また、血清はそのほとんどが研究目的での使用を前提としているために、食品に添加することができない可能性が考えられた。

 ここから、「市販の培地に含まれる成分を何らかの形で別のものに置き換える、という発想が出てきた」と田中さん。培地と清涼飲料水の混合比をいろいろな条件で検討した結果、培地が最低4割含まれていれば細胞が生育・増殖することが確認できた。

 さらにミネラルは市販のサプリメントを砕いて得た粉末で、血清はパンや酒造りで用いられる酵母の培養液で代替しても細胞の生存に影響がないことが分かった。これらさまざまな工夫の結果、培養肉生産のコストはキログラムあたり30万円程度にまで低減されてきている、と田中さんは話す。市場に流通させることはまだ難しいものの、それでも2013年の段階に比べれば大きな進歩といえるだろう。

 もちろん、実用化のためには価格以外にも解決すべき課題は多くある。コストが低下傾向にあるとはいえ、生産量は依然として限られる。このため現状では、食感などのテクスチャの評価はまだ十分に行われていない、と田中さんは語る。

Shojinmeat Project(ショウジンミート・プロジェクト)による取り組みを紹介する田中さん
Shojinmeat Project(ショウジンミート・プロジェクト)による取り組みを紹介する田中さん

 また、培養肉の利用が現実的になった場合に想定されるのが「培養肉の名称問題」だという。カフェの中では、海外のとあるバイオ企業が開発した培養肉を「Clean meat (クリーン・ミート)」という製品名で売り出そうとしたところ、食肉業界や畜産業界から猛反発を受けたケースが紹介された。食品の名称は消費者の受容やブランディングにも直結するだけに、市場流通を目指すのであれば避けては通れない問題だろう。

 消費者の立場からすれば、培養肉の食品としての安全性も気になるところだ。ショウジンミート・プロジェクトでの取り組みでは、サンプルの少なさから「目的外のものができるリスクの検討はこれからの課題(田中さん)」とのことだが、実際に流通する場合、既存の食肉と同様の安全基準をクリアできるかがハードルとなる。さらに、仮に安全性の評価がクリアされたとして、消費者を含む一般市民がそれを安心と捉えるかはまったく別の問題でもある。

 「安心とは人間の心の状態なので、安全が確保されたとしても安心につながるかは分からない」「安心だと思えるかは、開発した人が信頼できるかや、その人が持っている価値観に同意できるかが大切になるのではないか」。サイエンスカフェの会場からはこんな意見が出された。こうした声に応えるためには、作り手が積極的に情報を開示し、市民とコミュニケーションを取る姿勢が必要になる。田中さんによると、プロジェクトでは培養肉の生産実験を含めた活動記録を、動画投稿サイトなどを通じて公開している、という。こうしたオープンアクセス型の試みは、営利や研究成果を第一の目的におかない団体だからこそ可能な科学コミュニケーションの形と言えるだろう。

「市民による有志団体」が実践する意味

 サイエンスカフェでは話題提供が一段落した後も、会場の参加者を交えた質疑応答とディスカッションが活発に続いた。函館市内から参加したある男性は「細胞を増やしてつくられる培養肉を流通させる場合、培養のような手法で生産されたものが食卓に載るという方向に食文化を変えていく必要があるのではないか」と問題提起した。これに対し、田中さんはその必要性を認めつつ「培養肉を目の前に出した時にあえて食べる人はまだまだ少数派だと思われるので、現状は既存の食文化の中に導入することを前提に実験を進めている」と答えた。

 このやり取りを受け、ほかの参加者からは「人類の歴史の中で、『食べる』という行為には人のつながりをつくり出すという文化的な意義もあった。そう考えると、人間はただ栄養を摂取するためだけにものを食べてはいないのではないか」という指摘も出た。文化とは一朝一夕に形成されるものではない。培養肉が将来の社会に浸透するには、消費者となる市民が細胞培養という技術について知り、理解を深めるプロセスが重要になるだろう。

 ショウジンミート・プロジェクトが有志団体として活動する意義はここにある。「かつて遺伝子組換え食品が登場した時には市民を中心に大きな反発があったが、それは研究機関や企業が開発した技術をトップダウンで与えるような方法が採られたためだと思う。それを踏まえると、具体的な生産方法も含めた培養肉のあり方を皆で考え、つくっていく流れも必要ではないか」と田中さんは語る。

 こうした考えの背景には、生物実験に必要な器具や試薬や情報へのアクセスがしやすくなって起こってきた「DIYバイオ」と呼ばれる運動がある。培養肉のような特定の科学の話題に興味を持った有志が、自ら実験を行いながら知識や技術を得ることが可能になっているのだ。このようにバイオテクノロジーが個人化している中で、一人一人が培養肉の可能性を探りながら自分なりの意見を形成することこそ、将来的な実用化に向けて重要となるのではないだろうか。

カフェ後半での質疑応答の様子
カフェ後半での質疑応答の様子

地方で培養肉について考える

 現在のところ、こうした市民による生命科学の実践は、主に東京を中心とした首都圏で行われている。地方で行われた今回の「培養肉カフェ」は、その点で画期的な取り組みだったと言えるだろう。

 特に函館は周囲を山と海に囲まれた農水産物の産地であり、それらを利用した食の発信地でもある。このような食品の生産・利用に関心の高い地域で未来の食を考えることは、生産者や消費者の視点を食に関わる科学技術に向けてもらう上で有意義な試みになるだろう。「東京でこうしたイベントを行うときは、培養肉や培養技術に対してなじみのある人が来られる傾向がある。函館では、より多様な参加者の方から意見をいただけた」。田中さんも大いに手ごたえを感じたようだ。

 今回のサイエンスカフェのように、未来の食を支えるであろう科学技術について考える試みが今後も続くのか、そして市民によるバイオテクノロジー実践の動きが地方からも生まれてくるのか。引き続き注目していきたい。

関連記事

ページトップへ