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「日本の科学と産業の停滞と復興」テーマに公開シンポジウム開催

サイエンスポータル編集部

掲載日:2017年7月3日

「日本の科学と産業の停滞と復興」をテーマにした公開シンポジウムが6月22日、日本学術会議が主催して東京都港区の日本学術会議講堂で開かれた。日本の科学技術力、特に大学を中心とした研究力が低下していることを示すデータや分析が盛んに公表されている。こうした「科学技術立国」の基盤を揺るがす現状への学術研究関係者の強い危機感が今回の企画につながった。登壇者からは公的研究資金の現在の在り方などについて問題提起や注文が相次いだ。

主催は日本学術会議の総合工学委員会未来社会と応用物理分科会で共催は応用物理学会。
シンポジウムの冒頭、同会議の大西隆会長は「停滞しているとするならば何が次の飛躍の契機になるのかは日本にとって極めて重要なテーマだ。その点を科学的に分析して新しい飛躍の糸口をつかみとっていくことがこのシンポジウムの趣旨だ。議論の成果に大いに期待したい」などとあいさつした。

写真1 あいさつする日本学術会議の大西隆会長
写真1 あいさつする日本学術会議の大西隆会長

「富と人口に見合った研究費を」と豊田氏

続いて鈴鹿医療科学大学学長の豊田長康氏が「日本の大学の研究力はなぜ失速したのか?」と題して講演した。豊田氏は大阪大学医学部出身の臨床医で専門は産婦人科学。三重大学医学部で産婦人科教授を務めた後学長に就任して地域に根ざした大学づくりを実践してきたほか、国立大学財務・経営センターの理事長も務めるなど大学の経営課題にも詳しい。また世界各国の論文数の分析などを通じて日本の研究力の低下やその要因についても積極的に発信している。

日本の研究力の低下については英科学誌「ネイチャー」を発行する出版社が3月に「日本の科学成果発表の水準はこの10年間で低下して他の科学先進国の後れをとっている」とする特集を発行した。この中で「2016年の日本の論文数は12年と比べて8.3%減少した」「日本は2001年以来科学への投資が停滞しており、その結果日本の研究機関では高品質の研究を生み出す力に悪影響が出て、その力に衰えが見えている」などと指摘されている。

豊田氏はこの日、日本の研究者による論文数の国際比較をデータで示しながら講演した。「日本の研究力の惨たんたる状況を俯瞰(ふかん)したい」と切り出し「日本の学術論文数は2004年ごろをピークに停滞、そして減少し世界の2位から5位に落ちている。欧米では国際共著論文数が大きく増えている中で日本は増えていない。ネイチャー(英科学誌)やサイエンス(米科学誌)などの国際的に著名な学術誌への掲載数も4位から8位に落ちている」などと指摘して「日本の研究論文は停滞ではなく低下した」「日本は人口と富に見合った論文を生産していない」と述べた。その上で物理学、化学、工学、生命科学など自然科学の分野別論文数の減少を示すグラフを説明しながら「理工系や生命科学といったかつて頑張ってきた分野ほど低下が著しい」と述べた。

また、「FTE」と呼ばれ、研究者数を実際の研究時間を考慮して換算する「フルタイム換算研究者数」で研究者の数を比較する必要があるとして「日本の研究者数はFTE換算で2002年から08年にかけて大きく減少している」「運営費交付金などの政府からの研究資金は人口1人当たりに換算すると先進国の中で最低で、GDP(国内総生産)当たりでも最低だ」などと指摘した。また、大学の常勤教員数と運営費交付金は論文数と正の相関があることをデータで示しながら「国立大学の論文数の減少は基盤的な運営費交付金の削減とFTE換算研究者数の減少によるものだ」と述べた。

豊田氏は講演の中で「『選択と集中』政策は集中化されたところは『収穫逓減の法』により、されなかった集団は収穫が低下し、全体として生産性が低下する」と問題提起。「(学術研究の)国際競争に打ち勝つためには、研究費を消費ではなく投資と考えて公的研究資金を人口や富に見合った額に増やして(研究時間の確保を含んだ)人に投資するべきだろう」などと強調して講演を終えた。

豊田氏は2015年11月に科学技術振興機構(JST)が主催して行われた「サイエンスアゴラ」で講演し、「広く浅く配分する研究費と選択と集中で重点的に投じる研究費のバランスが重要で、選択・集中に偏りすぎると競争力は低下する。もちろん研究費総額を減らすとどうにもならない。総額を減らして尻をたたいても研究者が疲弊するだけだ」と発言している。

写真2 講演する豊田長康氏
写真2 講演する豊田長康氏

豊田氏に続き、かつて東京大学大学院工学系研究科教授や大阪大学特任教授、東京工業大学監事などを務め「電子立国は、なぜ凋落したか」(日経BP社)などの著書で知られる技術ジャーナリストの西村吉雄氏が登壇した。講演テーマは「電子立国の凋落に何を学ぶか」。

西村氏は、産業界の動向に照らしても日本の科学技術力の低下が著しいことを示す実例として電子産業を引き合いに説明した。自著「電子立国は、なぜ凋落したか」の中国語訳版が出たことを紹介して中国の関係者からは「中国が日本のようにならないために(参考にしたい)」と言われたと紹介して話を始めた。

少子高齢化進み2030年~60年の日本はたいへんな時代に

西村氏は「日本の電子産業がどのような軌跡をたどってきたか、マクロ的に見ていきたい」と、1955年からの電子産業の軌跡を解説した。それによると、電子産業の生産金額は全盛期には26兆円だったのが2016年には12兆円になり、現在の電子産業は貿易収支赤字。この産業は、かつては貿易黒字を生む代表格だったが9兆円の黒字をピークに16年には1兆円を超える赤字に転落したという。また、コンピューターの生産部門については、以前は7兆円近くあった生産金額はその後輸入が増えて今や1兆円あるかないかのレベル。通信機器とコンピューター両部門で4兆円の赤字で電子部品だけがかろうじて黒字を出している惨状という。

西村氏は電子産業の衰退について具体的に説明した。「半導体メモリーのDRAMは、1985年ごろは世界の8割を日本が生産していたが現在の占有率はゼロだ。1985年以降状況ががらりと変わった。中国とインドがハードウエアの製造工場を増えして20億人の低賃金労働市場ができた。日本はバブル経済が膨らむ中で米国では新興企業が増えた。グーグルやアマゾンなどの新興企業はグローバルな分業体制をつくった」。

西村氏によると、1985年ごろからハードとソフト、設計と製造の分業が進み、例えばパソコンではOSを作るマイクロソフトとマイクロプロセッサーを作るインテルが分業し、ハードの組み立ては台湾に行くという水平分業ができた。半導体産業は工場を持たない設計企業と工場を持つ企業の分業体制が確立したという。同氏は「日本の電子機器メーカーは設計も生産も両方しなくてはならないという考えが強く、両方をやる小さな工場が手をつないで衰退していった」「85年にソ連の共産党書記長にゴルバチョフ氏が就任したことが一つの契機になって東西冷戦時代が終わり、西側首脳にとってソ連は脅威でなくなり、米国を中心に日本の経済発展を代表とする東アジア脅威論に移った。そして円高誘導が始まった。日本国内では円高が進んで内需拡大策が推進されてバブル時代になった。バブルがはじけた後は長く衰退した。バブルがはじけた後は多くの国家プロジェクトが作られたが日本の(電子産業の)シェアは減った」などと分析した。

西村氏はさらに「バブル崩壊後の経済低迷が続く中で1995年に科学技術基本法が制定され、96年から科学技術基本計画がスタートした。以降毎年4~5兆円の公的資金が投入されて累積すれば100兆円近くなるはずだ。しかしこの20年間日本経済が活性化した兆候は見出せない」と述べた。同氏はこれからの日本の科学と産業を見る上で極めて大きな要因となる「少子高齢化」にも触れ「2025年に団塊の世代が後期高齢者になり、30年に団塊の世代が80歳を超えてその後60年には団塊ジュニアが80歳になるがこのジュニアは子どもが少ないので支える人口が少ない。30年から60年はたいへんな時代になる」と強調した。背景に映し出されたパワーポイントは「2030~60年の日本は地獄」という衝撃的なタイトルだった。日本の人口が6000万人ぐらいになる2100年にならないと少子高齢化の極めて厳しい環境は変わらないという。そして厳しい未来予測について「団塊の世代ジュニアもいなくなる2100年にならないと日本は明るくならない」と断言したが、最後に「淡水や海水の両面で日本の水資源は世界でも群を抜く。豊かな水のほか日照や適度な温度に恵まれ植物生産性は高い。こうした要素を今後どう機能させるかだ」などと日本の復興に向けて可能性も指摘した。

写真3 グラフを示しながら講演する西村吉雄氏
写真3 グラフを示しながら講演する西村吉雄氏

「産学連携の在り方再考を」

この後、政策研究大学院大学助教授の牧兼充氏が「スター・サイエンティストと日本のイノベーション」と題して講演した。「スター・サイエンスティスト」とは、多くの論文を執筆、数多く引用され、多くの特許も出願するなど卓越した研究業績を残す研究者のこと。具体的には、各研究分野で論文の引用数トップ1%に入る研究者や、ノーベル賞など世界的に評価が高い賞の受賞者ら。牧氏は米国でのスター・サイエンスティストが科学技術研究、特にベンチャー企業をはじめとする産業界にどのような貢献をしているかについて研究を続けている。

牧氏は講演の中でスター・サイエンスティストが関与するとベンチャー企業の業績が上がること、さらに企業と連携して共著論文を出すスター・サイエンスティストは論文数も被引用数も増えて研究者としての業績も上がることを示すデータを紹介して、こうした卓越した研究者の重要性について詳しく解説した。

その上で1980年代の日米の研究環境について触れ「ある研究者の定義では80年代のスター・サイエンスティストが一番多かったのは米国で50%だったが、日本は何と2番目で12%もいた。その多くが企業と連携していた。つまり当時は日本も産学連携がうまくいっていた」と指摘した。牧氏によると、1998年に大学等技術移転促進法(TLO法)が成立し、大学が特許を保有してライセンスする制度がスタートした。さらに大学発ベンチャー育成計画も始まったが、こうした諸制度ができる前でも、大学と企業が正式な契約なしにインフォーマルに研究し、特許は企業が出すというシステムがうまく機能していたという。

牧氏は、日本の産学連携が米国より20年遅れているとの前提に立って、この20年間の日本のイノベーションシステムの変革の過程をしっかり捉える重要性を指摘しており、この日の講演でも「産学連携の在り方を再考する必要があるのではないか」と問題提起している。

写真4 スター・サイエンスティストについて説明する牧兼充氏
写真4 スター・サイエンスティストについて説明する牧兼充氏

最後に金沢工業大学学長の大澤敏氏が「若者が切り開く産業の未来」と題して講演した。同大学は地域に根ざした地方大学として積極的に産学連携を進めていることで知られる。大澤氏は多くの学生と向き合ってきた体験から学生のやる気を尊重して背中を押してあげる教育や先駆者に学ぶプロジェクト型研究の重要性を指摘した上で「研究論文も大事だが社会実装して初めて(研究の)本質が分かることがある」と述べ、研究成果を具体的な適応例で社会実装しつつさらに研究を続けるイノベーションの進め方の大切さを強調した。

(サイエンスポータル編集部 内城 喜貴)

写真5 シンポジウムの最後に行われた総合討論。左端は進行役の河田聡・大阪大学名誉教授、右端が大澤敏氏
写真5 シンポジウムの最後に行われた総合討論。左端は進行役の河田聡・大阪大学名誉教授、右端が大澤敏氏
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