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海外レポート [シリーズ] 諸外国における製造業強化のための研究開発戦略 〈第5回〉英国 (前編): 競争力回復目指し製造業を支援 1/2

2015.11.13

津田憂子 氏 / 科学技術振興機構研究開発戦略センター海外動向ユニット

 この[シリーズ]では、諸外国の製造業強化のための研究開発戦略や政策をレポートする。第5回は、英国。英国では、1990年にGDPの約17%を占めていた製造業が、現在10%程度に落ち込んだ。経済成長、特に輸出と生産性を拡大するためには製造業が重要な役割を担っており、英国政府は強い製造業の復活を模索し始め、さまざまな支援に乗り出している。

1.はじめに

 英国では、2008年のリーマンショック後に、それまでプラス成長だった実質GDPがマイナスに落ち込んだ。2009年の年平均では−5.2%のマイナス成長となり、英国経済は大きな打撃を受けた。このリーマンショックによる金融危機を受け、金融を中心としたサービス業だけでは国際競争力を維持することが難しいと考えた英国政府は、18世紀に始まる産業革命時代に栄華を誇った製造業を英国経済の礎の一つとすべく再注力し、製造業による国際競争力の盛り返しを模索し始めた。このような背景には、製造業を中心に景気を改善したいという政府の切実な意向があったと考えられる。

 こうした経済情勢を背景に、英国における次世代製造業を支援する取り組みは、2008年の金融危機後に本格的に発表・実施されてきた。人材育成および拠点整備と並行して、政府が最も力を入れているのが、製造業分野における研究開発の推進である。産学連携の拠点となるべく、既存の7研究所を統合して2011年に開所した高価値製造業カタパルト・センターでは、研究成果の迅速な商業化が目指されている。学術界に目を転じると、例えばケンブリッジ大学・製造業研究所は、技術開発、政策研究、教育システムの研究といった、製造業に関する多様なアプローチをアンダー・ワン・ルーフで実施しており、このような学術界の取り組みも注目に値する。

 英国では産業の基本戦略として、ビジネス・イノベーション・技能省(Department for Business, Innovation and Skills: BIS)から「産業戦略(2012年※1および2014年※2)」が発表されている。同戦略では、現時点で英国が強い分野、今後支援が必要とされる重要かつ有望な分野、また、優先的に技術開発が促進される分野が取り上げられている。この中には、英国製造業の主力を占める自動車、航空宇宙、建設といった産業も含まれている。

※1 BIS Economics paper No.18

※2 Industrial strategy -government and industry in partnership

 製造業に関して近年発表された英国政府の政策や取り組みは主として、(1)製造業のビジョン・戦略、(2)製造拠点のさらなる整備、(3)人材育成(若者の製造業でのキャリア促進)、(4)製造業サプライチェーンの強化、(5)次世代製造業に関する研究開発の推進、の5点に収斂される。

 本稿では前編として(1)?(4)を取り上げる。(5)については次回の後編で紹介することとしたい。

2.製造業のビジョン・戦略

 英国政府は、次世代製造業のための具体的ビジョンを、フォーサイト・プロジェクト「製造業の将来(The Future of Manufacturing)」の中で明確にしている※3

 ※3 The future of manufacturing:a new era of opportunity and challenge for the UK

 フォーサイト・プロジェクト「製造業の将来」では、世界的なトレンドや課題を調査し、将来の不確実性に対してレジリエンスを備えるため、政府、産業界、学術界、その他のグループがそれぞれ起こすべきアクションを決定している。同プロジェクトの主たる目的は、新しい産業や技術の出現、競争の激化、製品やサービスに対する需要の変化を考慮して、2050年を見据えた英国の製造部門の長期的な重要課題を分析し、英国の製造業の発展と回復のためにどのような政策ニーズがあるのかを提言することにある。

 同プロジェクトには、計300人もの有識者および多様なステークホルダーが参画し、25カ国に及ぶ国際的な事例も参照された。多分野にわたる学術界と産業界からの著名な専門家から構成されるLead Expert Groupが、政府科学局(GO-Science)のフォーサイトチームと協力して、エビデンスベースによるプロジェクトを主導すると同時に、BISのヴィンス・ケーブル大臣(当時)を議長とするHigh Level Stakeholder Groupでは、産業界のリーダーたちが同プロジェクトに対して戦略的インプットも行った。専門家による研究成果や、英国内外でのワークショップによるインプット、また将来のシナリオ等を用いて、プロジェクトは遂行された。

 同プロジェクトにより、従来はばらばらな形で発表されてきた英国製造業に対する将来的な戦略がひとつにまとめ上げられ、製造業が具体的にどのように経済成長およびレジリエンスに貢献しうるのかに関して明確な目標が示された。2012年1月に開始された同プロジェクトは約2年かけて実施され、2013年10月、その最終成果は250頁に及ぶ報告書「製造業の将来: 英国のための機会と挑戦の新たな時代(The future of manufacturing:a new era of opportunity and challenge for the UK)」として発表された。(図1)

図1.「製造業の将来」フォーサイト・プロジェクト
図1.「製造業の将来」フォーサイト・プロジェクト

 報告書では、未来の製造業ビジョンとして、(1)従来型の「作って売る」という製造業ではなく、サービス・再生産(製造を中心とするバリューチェーン全体)を重視、(2)より速く、より敏感に顧客のニーズに対応、(3)新たな市場の機会の顕在化、(4)持続可能な発展、(5)質の高い労働力へのニーズ増大、の5つを提唱している。(図2)

3.製造業の拠点整備

 製造業分野のイメージ改善策として、2011年11月には、「Make it in Great Britain(英国で製造しよう)」キャンペーンが開始された。これは、「英国では製造業が衰退して何も製造していない」という誤ったイメージを払拭しようとするキャンペーンである。その一環として、将来が期待される最先端の市場化前製品や製法を見つけ出し、2012年に開催されたロンドン五輪に合わせた展示会で発表した。(写真1)

写真1.「Make it in Great Britain(英国で製造しよう)」キャンペーン

 英国政府は、海外企業の製造拠点の誘致推進にも積極的である。製造拠点の誘致は雇用の創出に直結するため、経済的のみならず社会的安定のためにも重要な政策である。実際、自動車産業に代表されるように、英国に生産拠点を有し、特に最先端の技術を必要とする製品を製造し、欧州市場への足掛かりにしようと考えている海外企業は少なくない。

 例えば自動車産業では、日産が、電気自動車リーフとリチウムイオンバッテリーの量産を欧州で初めて英国で行っている。英国経済は慢性的な貿易赤字であるが、自動車を含む道路走行車両は、例えば2013年度の輸出を見ても前年比8.8%増となっており、堅調な輸出を維持している。英国内の自動車生産台数は2013年に159万台となり、うち乗用車が約150万台である。

 最も生産台数が多いのは30%強を占める日産自動車で、続いてランドローバー(英国の自動車メーカー)が20%強、トヨタ自動車が約12%を占めている。他にも、鉄道車両に関しては、日立製作所が約8,200万ポンドの建設費を投じて北東イングランドのダーラム州ニュートン・エイクリフにおいて2013年以降着手してきた鉄道車両の生産拠点建設工事が終了し、2015年9月に生産工場の開所式が行われた。これは、純粋に英国内向けの受注に対応するためのものだが、式典には、キャメロン首相やオズボーン財務相をはじめとする英国政府の閣僚が出席し、英国政府としてもこの生産工場の英国経済に与える効果に大きな期待を寄せていることが伺える。

4.製造業における人材育成

 英国政府は、製造業への就業を軽視する伝統的な風潮を打破し、若い世代を製造業に引き入れ多くのエンジニアを育成しようとする取り組みにも着手してきた。2011年に開始された「See Inside Manufacturing」プログラムがその代表例である。これは、自動車産業が中心となり、企業見学や就業体験などを通じて、若者に「製造業の内部を見て(=See Inside Manufacturing)」もらい、製造業やエンジニアリングの仕事について理解を深め、やりがいある仕事として関心を高めて製造業でのキャリアを目指してもらおうというキャンペーンである。2011年10月には、自動車産業に含まれる40社以上が、同キャンペーンのため各社の拠点に地元学生を招いたイベントを英国中で100以上も開催した。

5.製造業サプライチェーンの強化

 2011年12月には英国の先進製造業サプライチェーン向上のため、1.25億ポンドの資金を投入することが決定された。この「先進製造業サプライチェーン・イニシアチブ」は、自動車や航空機等の既存産業のみならず、英国が世界的にリードできる可能性の高い再生可能エネルギーや低炭素技術の分野においても、英国の製造業が世界市場においてサプライヤーとして重要な役割を果たせるよう支援するものである。

 2015年2月には、BISから行動計画「英国製造業サプライチェーンの強化」が発表された。同行動計画では、サプライチェーン強化のため、製造業部門全体の共通課題として、イノベーション、技術、資金援助へのアクセス、中小企業の能力強化、サプライチェーン全体における協力業務の強化、レジリエントなサプライチェーンの構築の6点が掲げられている。例えばイノベーションに関連した具体的な施策では、EUの「ホライズン2020」を利用する形での製造技術開発の促進と新たな欧州市場の獲得や、高価値製造業カタパルト・センターを通じた中小企業サプライヤーの育成と増加、彼らによる研究開発プロジェクトへの支援等が打ち出されている。

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