レポート

大災害と医療の安全への取り組み -日本予防医学リスクマネージメント学会-

2012.07.02

成田優美 / SciencePortal特派員

札幌医科大学 学長 島本和明 氏
札幌医科大学
学長 島本和明 氏

 「東日本大震災に学ぶ」をテーマに、日本予防医学リスクマネージメント学会の第10回学術総会が4月26、27の両日、札幌市内で開催された。会長の島本和明・札幌医科大学 学長が、「リスクマネージメントは医療者側だけの問題ではない。患者の方々や国民に何を求められているのかを念頭に、大災害や医療事故などへの対応策を考えていきたい」とあいさつした。初日、2日目に開かれた2つのシンポジウムの模様を報告する。

シンポジウム「医療事故への対応-これまでの10年、これからの10年」(26日)

 最初に厚生労働省医政局の宮本哲也氏が「我が国の医療安全施策の動向」と題して、医療事故の背景、法制度の改正や各種事業の歩み(*注)を詳しく解説した。宮本氏は、現在「医療安全推進室」の室長で、2001年に同推進室が設置されて以後、さまざまな施策がなされている。例えば06年、医療法第6条の改正案が国会で成立し、医療機関の安全管理体制において、医療の安全を確保するための研修や措置などが義務づけられている。同時に、都道府県や市の保健所などに対して「医療安全支援センター」の設置が同法に明記された。このセンターは、医療に関する患者や住民などの相談に対応してくれるようだ。

 10年には、厚労省に「医療裁判外紛争解決(ADR)機関連絡調整会議」が発足した。ADR(Alternative Dispute Resolution)は、裁判によらずに民事上のトラブルを解決しようとするもので、法務大臣の認証を受け、主に各地の弁護士会が運営している。同会議では、医療に関するADR機関、医療・法曹界及び患者団体などの代表者が意見交換を重ねている。宮本氏によると、08年に医療事故の原因究明と再発防止についての「医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案」が出されたが、いまだ成案に至らずとのこと。医療現場の「大きな事象が発生した場合のダメージを考えると、費用がかかるけれど日頃の予防活動に力を入れた方が、長い目で見て更に有効な方策」という声を伝え、医療の「安全・安心」の両立を図りたいと結んだ。

 水谷渉氏は、日本医師会総合政策研究機構の主任研究員で、弁護士活動もされている。まず、1999年に相次いだ、横浜市立大学病院(手術患者の取り違え)と都立広尾病院(血管への消毒薬の誤注入)の事故の経緯を述べ、当時の加熱報道をふり返った。戦後から2008年までの、医療刑事裁判の判決数や判決結果を、社会情勢とリンクして分析した。日医総研では、11年にシンポジウム「更なる医療の信頼に向けて-無罪事件から学ぶ」を開催、シンポジウムでは「杏林大学割り箸事件」ほか2件を議題に掲げ、検証した。水谷氏は「起訴前に十分に調査をしていれば、有罪にはならないと分かっただろう」と再認識したという。

 医事関係訴訟(民事)では、「認容率」(原告の勝訴率=病院の敗訴率)が07年を境に低下、つまり患者側が勝てなくなっているらしい。そして、医療事故の医学的な真相究明に特化した機関と事実認定をする法律家との役割分担を提案した。「法律家は、当事者の言葉を縦糸に、関係者の言葉や現場の状況を横糸にして、矛盾と整合性を証明する訓練を受けている。法律家はオブザーバー、あるいは企業でいえば監査役的に入っていくのが、意味があるのではないか」。

札幌医科大学 学長 島本和明 氏

 大阪大学医学部附属病院の中島和江教授は、「人間は優れた能力を持つが、失敗もする。コインの裏表のような、その特性と限界を知ることが大切」と、人の行動に影響を与えるあらゆる要因に眼を向け、「ヒューマンファクターズ・アプローチ(a human factors approach)」を提唱している。「錯覚、先入観、混同、ヒューリスティクス(heuristics)」ほか、エラーを誘発するメカニズムを、画像や事例を交えて解き明かしていった。米国の心理学者、ダニエル・シモンズの有名な実験、「見えないゴリラ」の動画を見せられた。人間が1つのことに集中していると、全体を俯瞰して状況に即した認識ができなくなりやすいことを実感した。

 事故調査の検討では、「何々すべきだったのに」という「後知恵バイアス」を出さないように、そして「いろいろな業務が、同時に複雑に絡み合う医療現場では、生理学や人間工学、脳科学領域からの、知覚や行動の科学的な解明が不可欠」と訴えた。コミュニケーションだけでなく、意思決定やリーダーシップなどのノンテクニカルスキル、いわゆる専門知識や技術以外の能力の向上を図ることが重要という。柔軟で復元力のある組織づくりに向けて、海外では「レジリエンス・アプローチ」が新しく注目されているそうだ。「1万回に1回の失敗の場合、なぜ9999回うまくいっているか考え、成功に着目すること」が鍵らしい。

 札幌医科大学の松本博志教授(法医学)は、厚生労働省補助事業である「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」を主に、診療関連死における第三者機関の必要性を論じた。同事業は、05年、日本の内科・外科・病理・法医の4学会の協議を基に発足した。「第三者機関として解剖を行うとともに、臨床経過を総合して死因を明らかにし、診療行為が死因にどう関わったかを判断、再発防止を考えるシステム」という。松本教授は、日本の医療事故に関するデータを挙げ、モデル事業の実績や現況、運営経費などを丁寧に説明していった。

 この事業の継承を目的に、「日本医療安全調査機構」が10年に設立され、実施している。調査依頼に応じて、解剖医など医師に法曹関係者が加わった「評価委員会」が地域ごとに設けられ、医学的評価を行い、結果を報告するそうだ。松本教授は、「死因究明を当該医療機関だけで行うのかどうか。医師、あるいは医療界の自立責任として、この機構のような第三者機関を運用する時代に入ってきたのではないか」と問いかけた。同機構は厚生労働省の外郭団体などではなく、天下りも全くないそうで、法による制度化を目指している。「国内の医学会が連携して、教育・研修を行いたい。各院内事故調査委員会のー助になり、ご遺族の方々にもお考えを頂ければ」と展望を語った。

 最後に、埼玉医科大学高度救命救急センターの堤晴彦教授が、2011年11月17日の全国医学部長病院長会議の定例記者会見の内容を解説し、今後の医療事故対策について率直に私見を述べた。記者会見で発表された基本的な概念は、日本救急学会の提案が採択されたもので、「Professional autonomy」という理念が根底にあるそうだ。

 堤教授は、医療事故調査委員会の創設をめぐるこれまでの議論について、将来に向けた「安全対策・再発防止」と「責任追及・紛争解決」の分離が曖昧だと指摘した。「医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案」に触れ、「チーム医療で当事者は処罰、関係者は処分の場合やシステムエラーのときの責任はどうか」と問題を提起した。医療事故の刑事訴追に明確な基準が示されているようには見えない現状に、強い懸念を示した。

 「医療の側が被害者に誠実に向き合うこと」を要望する一方、「患者側の一部の弁護士に、争いに火をつけるかのような言動が見られる」と注意を喚起した。メディアの報道姿勢にも、こう苦言を呈した。「民事訴訟開始や書類送検の時点で実名報道は、いかがなものか。それなら判決についても報道を。ジャーナリズムは、世の中を良くするためにあると思う。医療が変わるには、社会全体も変わらなければならない」。

 ディスカッションでは、「医療事故に対して、赦(ゆる)すということは、どういうことか」についても、各演者の方々の思いが述べられた。会場から「いかに日本の医療がありがたい仕組みか、医療のコストを中高校生に教えていくことが重要」と意見があった。

シンポジウム「東日本大震災 - 行政と市民の活動と今後」(27日)

 福島県富岡町の遠藤勝也町長は、ハザードマップの活用や自衛隊の縦走支援など、東日本震災の発生当時を語り、「初動対応そのものが不透明だと一番心配になる。いまなお対策が進んでおらず、若い人たちが故郷に戻るかどうか」と今後を憂慮した。北海道警察本部の上杉延嗣氏は、延べ4万3千人に及ぶ長期的な災害警備活動の模様を報告した。「NPO法人ねおす」理事長の高木晴光氏からは、燃料も乏しい厳しい環境のなかで、本来の業務である野外活動のノウハウが活かされたことが伝えられた。

 陸上自衛隊北部方面隊の原口義寛氏の次の言葉は印象的だった。「自衛隊は水や食糧、燃料などを自前で賄い活動する“自己完結型”の組織だ。災害の急性期に必要で、各国も投入している。しかし災害のための備えでは不足。もちろん戦争に使わない方が良いが、基本的には防衛や戦時を想定しているから、それだけの装備と機動力を持っている」。

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自治医科大学 学長 永井良三 氏
自治医科大学
学長 永井良三 氏

 同学術集会では、自治医科大学の永井良三学長による特別講演「医療事故と予防医学から学ぶリスクマネージメントの考え方」も拝聴した。永井先生は、16世紀末に英語で書かれた最初の科学書、『Record The a Castle of Knowledge』の「運命の天球と運命の輪」の絵を基に、人間の営みの儚(はかな)さ、有為転変にどう立ち向かうかを説いた。他方、佐久間象山の「和魂洋才」や橋田邦彦の「行としての科学」ほか、日本が西洋科学を取り入れた源を辿った。明治時代、現在の東京大学医学部に招かれた医師ベルツは、「日本は科学の枝先の成果を切り取って、受け入れている」と批評した。永井先生はデカルトの「科学の樹」の比喩を示し、「いま日本の若手が枝先に追いやられているのでは」と思いやった。

 日本では、戦後入ってきた推測統計学が停滞に陥り、いろいろなデータベースを統合して活用する意識やシステムが十分ではなかったらしい。現在は、臨床医学における医療情報データベースの構築が重視されているそうだ。そして恩恵とリスクを併せ持つ医学・科学の二面性に対して、社会の中で検討・検証する必要性を述べた。「“人知を尽くして天命を待つ”という言葉が、これからの日本人が、しっかりと運命に立ち向かっていくための根幹を表しているのではないか」。

 西洋哲学・科学の流れと日本の精神文化との邂逅(かいこう)、日本の医学、科学のあり様について考えさせられた。会場にも深い感銘の余韻が満ちていた。

※「主な医療安全関連の経緯」(厚生労働省 医療安全対策)

(写真提供:同学術総会事務局(札幌医科大学医学部法医学講座)

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