レポート - 研究開発戦略ローンチアウト -

第79回「デジタル統合アグリバイオ技術(Internet of Agri-bio Things)」

科学技術振興機構 研究開発戦略センター ライフサイエンス・臨床医学ユニット 齊藤 知恵子 氏

掲載日:2017年3月30日

齊藤 知恵子 氏
齊藤 知恵子 氏

はじめに

IoT(Internet of Things)、この1~2年で新聞や雑誌、書籍などでもよく目にするようになった単語です。本稿で紹介するIoAT(Internet of Agri-bio Things)は、その農業版、加えて、生物による物質生産版で、日本語では「デジタル統合アグリバイオ技術」とでも申しましょうか。私たちが今後打ち出していきたいと考えているコンセプトおよび技術群で、21世紀の食料生産や物質生産において極めて重要と位置づけています。

その技術により何を達成したいのか? 一言で言えば「超スマート生産」です。第5期科学技術基本計画に謳われている「超スマート社会」※1の実現の一翼を担うものを目指します。2050年には90億人超を養わなくてはならないという世界的・地球的な課題にも貢献可能なだけでなく、大変革を迫られているわが国の農業事情を一気に逆転するためのコア技術となる可能性を秘めており、さらに、植物や微生物などを用いた医薬品などの高付加価値生産にも役立つ基盤技術として、わが国の今後の産業を支えることが期待されます。

社会的背景
90億人を養い、地球も守るためには?

世界の人口は増え続け、2050年には90億人を突破すると予想されています※2。また、中間消費者層(年収2万ドル~7万ドルの消費者層)が増えることによる肉の消費量の増加も、農作物の需要を増加させます※3。しかし、これまで農作物の増収に大きく貢献してきた農薬や化学肥料に、今後は頼れなくなるかもしれません。大気中への温室効果ガスの排出、水圏汚染、ミツバチの大量消失(蜂群崩壊症候群)など、環境への悪影響が懸念されているからです。

わが国に目を移してみると、高齢化に伴い農業従事者が激減しています※4。少ない人数で、より低労力・低コストで、農業生産基盤を維持しなくてはなりません。若い人たちや異業種からの参入を促すためには、より儲かる、という要素も重要となってくるでしょう。国内では特に、穀物などの、価格が比較的低廉な農産物を増産するというよりは、むしろ、より価値の高いものをいかに効率的に作るかということが重要になってきます。

IoATの方向性
一斉・均一投入から適時・適量へ、経験と勘から科学的な判断へ

これまでは、農薬も肥料も、一斉かつ均一に投入されてきました。しかもその量や時期については、長年の経験と勘に基づいているとはいえ、科学的な根拠に乏しいものもありました。例えば必要ない場所にも予防的に農薬散布を行う、十分な肥料が土壌にあるにもかかわらず施肥を行う、などといったことも含まれます。これらは環境へ負荷がかかるのはもちろん、農業生産者にも不要なコストがかかっていることを意味します。また、わが国の地理的地勢的な状況から、一枚一枚の田畑の面積が小さく、オーストラリアや米国が行うような超大規模な畑の一斉管理がそもそも困難であるという状況もあります。一人の生産者が、条件がバラバラでかつ多数の田畑をマネジメントするには、これまでのやり方では限界があります。

ではこれらの課題は、どうやったら克服することができるでしょうか。鍵になるのは、大量のデータと科学的根拠に基づき、農業生産を最適化することです。ディープラーニング、AI(人工知能)などの技術の発達により、人間の能力ではとても処理しきれない膨大な量のデータを解析することが、今まさに可能になりつつあります。またセンサーから送られてくるデータをもとにその状況を判断し、自動的に操作がなされるようになれば、そのインパクトは甚大です。ガリレオ・ガリレイの言と伝えられる”Measure what is measurable”(測れるものは測れ)※5,6に従い、栽培計画・栽培・収穫・流通・販売といったさまざまなステップでデータをとにかく集め、モバイル機器などにより集積し、ディープラーニングやAIなどでその時点での最適解を導き出し最適判断につなげる、というのが大枠です。

ガリレオの言には続きがあります、”and make measurable what is not so”(測れないものは測れるようにせよ)。日本は幸い、他国と比較し、センサーやロボットの開発では優位性を持っています。農業生産に重大な影響を及ぼすデータ、例えば土壌や根圏の微生物叢(そう)などに関しては、効率的なデータ収集方法の確立、安価なセンサーの開発なども必要でしょう。また、収穫物の価格は、市場価格や季節変動に大きく左右されます。いつどこでどのくらいの収穫があれば収益が最大化できるか、それもデータの解析によって最適化できることの一つです。さらに、見た目や大きさといった基準だけでなく、栄養価や機能性成分の量などについてもデータが付随し、それが価格として評価されれば、生産者と消費者ともにメリットが生じるでしょう。

IoATの先導的具体例

農業生産におけるIoATの先導的な具体例について、3つ紹介します。一つ目は、佐賀県の農林水産部、佐賀大学農学部、ITシステム開発会社オプティムの連携による、「アグリドローン」による自動害虫駆除です。ドローンで撮影された画像を人工知能で学習させ、害虫被害を受けている場所を特定し、その場所にだけ農薬を散布します※7, 8, 9。2017年の出荷を予定しているそうです。

もう一つは、農業ベンチャー企業のベジタリアが開発した水田センサー「Paddy Watch」です。水田にセンサー(Paddy Watch)を設置し、水稲生産に重要な水位・水温などを自動計測・蓄積します。異常値を示すとスマホやアップルウォッチに警告が来るシステムで、効率の良い水田の管理が可能となります。平成27年度から実証プロジェクトが開始され、平成28年には43都道府県で行われています※10。さらにもう一つ、ベジタリアで開始されているサービスを紹介します。土壌病原菌による作物病害の防除です。これまでは、土壌病害発生のリスクの高低にかかわらず、土壌消毒を一斉に行うのが一般的でした。あらかじめ土壌診断を行い、そのデータに基づき必要なところにだけ介入(この場合は土壌消毒)を行えば、作業量も消毒剤使用量も減らせます※11

IoATによる高効率高付加価値生産
植物工場における医薬品生産などにも

一般的な農業生産のほかに、作物や栽培法の高度なデザインを行って高付加価値生産を行う場合にも、データは非常に重要となるでしょう。植物が作る二次代謝産物は、栄養素としてのビタミンから、抗がん剤のリード化合物(創薬過程の出発点となる新薬候補化合物)まで、幅広く人間の健康に関わります。その数は1,000,000種とも推定されています※12。次世代シーケンサーの開発と普及により、遺伝子配列情報(ゲノム)解析コストが劇的に下がったことで、さまざまな作物のゲノム情報がオープンになってきています。

遺伝子組み換え技術で有用物質を作る例では、例えば田辺三菱製薬の子会社のMedicago社(カナダ)によるタバコを用いたエボラ出血熱に対する抗体医薬の生産技術開発が挙げられます※13。また産業総合技術研究所と農薬販売のホクサンが開発した、イヌ用の歯肉炎治療薬は、遺伝子組み換え植物そのものを原料とする医薬品の承認としては、世界初の例です※14, 15。インターフェロンを産生する遺伝子組み換えイチゴを植物工場で栽培し、イチゴの果実をフリーズドライにして用いるのだそうです。

今後は、ゲノム編集という方法でもっと自由自在にゲノムをデザインできるようになり、植物や微生物を用いた物質生産の最適化手法がますます多く開発されていくでしょう。カイコなどの昆虫もその応用範囲に入るかもしれません。遺伝子組み換え技術を使わなくても、もともと生物が有用物質を微量にでも産生している場合は、その代謝経路や輸送経路を最適化することで、産生量を劇的に増加させることも可能になるでしょう。その際にも、目的の物質生産には、どの遺伝子群が関わるのか、組織、器官、細胞のどこに蓄積されるのか、などの基盤的なデータが必要です。またどういった条件で栽培すれば、目的の物質が最も高濃度で蓄積されるか、そういった情報も鍵となってくるでしょう。これらはリアルタイムにクラウドに集積されるような類いのデータではなく、むしろ基盤情報として扱うためのデータベースのような形態になりますが、データを散逸させずに整備・維持して利用していくことが必須であると考えられます。

今後の取り組み

今後このテーマについては、さらに調査を進め、日本と海外の技術動向比較、研究開発を実施した場合の社会・経済的効果、科学技術上の効果、具体的な研究開発課題と推進方法などを考察し、刊行物としてまとめていく予定です。

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