レポート

研究開発戦略ローンチアウトー第69回「原子力の報告書から見た私の思うところ」

2016.01.29

鈴木康史 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター 環境・エネルギーユニット

 2015年11月末、原子力サブユニットで約1年半かけて作成した報告書を発刊しました(現在のところ非公開)。内外の専門家の方々との意見交換を経て作成したこの報告書の内容から、私なりに色々なことを考えてみました(あくまでも私見ですので、ご容赦ください)。

日本と西洋

 唐突ですが、近代の日本史を呼び起こしてみたいと思います。日本が西洋と大きく関係を持ち始めるのは、江戸末期頃からで、今から約150年前になります。ペリーの来航により鎖国体制は崩壊し、その後、生麦事件が発端となった薩英戦争やポサドニック号事件(ロシア軍艦対馬占領事件)のような列強諸国との確執もありましたが、辛うじて独立を保つことができました。このような背景を鑑みると、当時の日本の至上命令は独立を保つことであったと推察できます。そのために「富国強兵」を掲げ、経済力と軍事力の発展を指向することになります。

科学技術への期待と不審

 第二次世界大戦以降、我が国は、軍事力を背景にした戦争を行っておりませんが、経済力を背景にした競争は継続中のようです。これといった資源を持たない我が国において、科学技術の発展は経済の発展とも関係があるでしょう。震災以前は、この経済発展と相まって科学技術への信頼は一定程度あったと思われますが、東北地方太平洋沖地震による福島第一原子力発電所の事故によってその信頼性は揺らいでいます。

 さらに、事故当時、正確な情報が出にくかったこともあり、情報統制の疑い(本当にいわゆる“情報統制”というものが行われたかは分かりませんが)も重なって、政府関係者や科学者への不信感も助長されることになりました。SPEEDIの予測結果の公開が遅れたことなども、これらに影響を与えたものと思っています。

原子力の歴史とその専門家の位置づけ

 サンフランシスコ講和条約締結後に始まった、我が国における原子力の平和利用の歴史は、昭和30年(1955年)に成立した原子力基本法まで遡ります。当然のことながら、原子力のような巨大科学の産物は、国家以外がなし得ることができないので、その開発が国家主導で行われることは必然であったと思われます。一方で、エネルギーの安定確保は、日本の至上命令だったので、原子力は、国家と二人三脚で発展してきました。

 このため、出口に近い研究開発を行っている原子力の専門家は、他の専門家に比べて自分の技術が社会に実現することに関して確信に近い信念を持っているように、私には感じられることがありました。これは、原子力の歴史・性質から、原子力の専門家が行政に近い立場にいることによるものと思っています。

 しかし、このことは原子力に関するコミュニケーションを妨げる方向に作用しているようです。コミュニケーションには態度変容の余地が必要になります。この意味において、エネルギーの安定確保のようなミッションを持っている人は、少なくとも当該対象の事柄に関するコミュニケーションを行うことは難しいように見えます。

 これは、原子力の専門家が、過度にテクノクラート化したことによるものかもしれません。原子力の専門家は、自分の学問領域を越えた行政の部分まで責任を負わなければならないかのごとく考えていたように感じます。時にその考えは、専門家としての自由な発言を妨げてしまうことになるかもしれません。震災直後の原子力に関する情報は、この意識から自己統制されていたように映ります。ただ、今から考えると、震災以前に原子力の是非について、国民との議論があまりなされてこなかった副作用のようでもあります。

※テクノクラート/technocrat。科学技術の高い専門知識を持つ上級技術官僚。

現状の論点

 このような状況の中、福島第一原子力発電所の事故が起こりました。それまであまり議論されてこなかった原子力の是非についての議論が噴出することになります。国論を二分するこの問いかけが、収束する状況にはなさそうです。

 そもそも、国論を二分している本質的な理由は何なのかと考えてみました。原子力がなくても安定したエネルギーを確保できるのか、再生可能エネルギーの導入はスムーズにいくのか、その経済性はどうか、将来世代への負荷をどう考えるか、はたまた、エネルギーを消費した後に残る廃棄物や地球温暖化の問題にどのように対応するか、論点はたくさんあります。

コンセンサス形成に必要なこと

 ここで、歴史の問題に戻ってみたいと思います。日本は「独立を維持する」ために、「富国強兵」の政策を行ってきました。このとき、「独立を維持する」という命題が否応なしに降りかかってきたのです。「独立を維持する」という命題がほぼ達成された後、「強兵」の意味する戦争は、第二次世界大戦で終結することになりました。しかし、「富国」の意味する経済競争は、未だ継続中であり、いつ収束するかも分かりません(収束しないのかも・・・)。当然、科学技術は、この競争に巻き込まれています。「独立を維持する」ことができている現在、日本においての「富国」の位置づけは、と考えてしまいます。

 原子力問題が泥沼化しているのは、この「富国」に対する考え方の違いが原因と考えています。結局、個々人によって、信条と現実の折り合いの付け方が違うことに起因するようですが、少なくとも、「我々はどのような社会を実現したいのか」という根本的な命題に対する一定のコンセンサス形成は必要ではないでしょうか。なぜなら、すべての命題がその下層に存在しているので、この命題に一定のコンセンサスを形成しておかなければ、原子力に限らず、他の命題に対しても、議論の収拾がつかなくなると思うからです。

 ただ、このコンセンサス形成のノウハウを自然科学者は、ほとんど持ち合わせていないので、人文社会科学者の登場が待たれます。この意味で、文理融合は、自然科学者が考えている以上にメタなレベルで行わなければならないのではないかと感じています。

原子力への向き合い方

 原子力の専門家に限らず、自然科学の専門家は、概してこの「富国」に対する考え方のコンセンサスが形成されているかのごとく振る舞っているように窺えます。そもそも自給自足で食料を得、薪でエネルギーを得て生活することで十分だと考えている人にとって、科学技術のイノベーションも情報化社会も原子力発電も全く必要のないものでしょう。そのような人が大勢を占めることになれば、その(科学)技術の専門家は、その技術を捨てざるを得なくなります。原子力の専門家は、原子力がこのような状況に置かれていることに気が付いているのか、疑問が残ります。

 もし、原子力の専門家が、「我が国には原子力発電が必要」と考えているのであれば、原子力に一票を投じてもらわなければならないことになります。政治家が政治の蘊蓄を語っても一票に結びつくとは思えません。国民の思いや考えを知ることから始める必要があります。それならば、逆説的ですが、原子力の専門家は、原子力から距離を置き、国のエネルギー政策に対して一線を画すことにより、態度変容の余地を作ることが必要になるでしょう。このとき、初めて、国民が抱く原子力に対する思いを謙虚に受け止めることが可能となると、私は考えています。

私の思うところ

 原子力は一例ですが、今までの硬直した考え方や過剰な?責任感が、社会変革の妨げになっていることは、よくあると思います。日本人は、今なお継続しているかのような富国強兵政策から、少し考え方を解放した方がいいかもしれません。個々人が、性別や信条などに囚われない、自分の生きたい生き方をもっと求めていいような気がします。現在の社会には、男性の家事や育児への協力、女性の社会進出に象徴されるように多様性が必要とされているので、比較的自分の生き方を追求しやすいのではないでしょうか。これを実現するためには、国民全員(もしかしたら全人類)の意識改革が欠かせないと思っています。このような考えに基づき、さらなる多様性を追求する私は、我が家において、妻に「あなた(私の妻)のように社会でバリバリ仕事している女性がいるんだから、朝から家で酒を飲んでいる男性が一人くらいいても、いいんじゃね」と、常時、提唱しておりますが、全く受け入れてもらえません。

 このように、極めて柔軟性のない考えを持った、たった一人の人間ともコンセンサス形成ができていない私の見解に、どれほどの合理性があるのかにつきましては、読者の判断に委ねたいと思います。

ページトップへ