レポート - 研究開発戦略ローンチアウト -

第68回「ロシアの科学技術・イノベーション最新動向: ロシア科学アカデミーと大学の改革」

科学技術振興機構研究開発戦略センター海外動向ユニット 津田憂子 氏

掲載日:2015年12月10日

本レポートでは、日本でなじみの薄いロシアの科学技術に焦点を当て、研究と教育の両分野における近年の動向について考察します。

ロシア科学技術の現状

最初に、ロシアの科学技術の現状について少し言及します。ロシアは、ユーラシア大陸にまたがる大国ですが、英国、フランス、ドイツといったヨーロッパの主要国から見ると、ヨーロッパの辺境で、科学技術の発展に関してはこれら諸国の後塵を拝していました。

ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦 1922-91年)の誕生はこの状況を根本から変え、特に第二次世界大戦後の米ソ冷戦時代には、軍事的な要請もあり宇宙や原子力開発に国策として注力し、目覚しい業績を残すこととなりました。しかし、強大な軍事・政治・科学技術大国として世界に君臨したソ連は1991年末にあっけなく崩壊し、社会主義から自由主義経済へと体制が大転換するなか、ロシア経済はどん底を経験し、市場の混乱と経済の低迷に連動するかたちで科学技術の水準も大幅に落ち込みました。研究開発費はソ連時代の約半分となり、そのGDPに占める割合(対GDP比)も、3分の1程度に縮小したのです。また、劣悪な研究環境や処遇を逃れるため海外への頭脳流出や転職が増え、研究者数はソ連時代の約3分の1まで減少しました。

2000年代に入りプーチン大統領の登場とともに、原油など資源価格が高騰し、ロシア経済はエリツィン時代の経済縮小から回復の時代へと突入しますが、研究開発費が1990年時の値を超えたのはようやく2007年に入ってからです。現在(2013年)のロシアの研究開発費総額は、米国の10分の1以下、中国の8分の1程度で、日本の3分の1弱しかありません。

では、ロシアの科学技術に関するパフォーマンスはどうでしょうか。以下の指標により確認してみたいと思います。まず基礎科学の指標である科学論文数を見てみましょう。科学論文の世界シェアの推移を示したのが図表1です。ロシアは、ソ連崩壊前後の1992年ごろは世界シェアで5.3%を占め、第6位の位置にいました。しかし以後は順位を下げ、直近の結果を見ると、世界シェアが2.3%の第15位となっています。これは、かつて圏外にあった韓国よりも低い状況です。

図表1.科学論文数の世界シェア(整数カウント)
国名 1991-93年 (平均) 2001-03年 (平均) 2011-13年 (平均)
シェア(%) 順位 シェア(%) 順位 シェア(%) 順位
米国 35.2 1 31 1 26.1 1
日本 8.5 2 9.7 2 6.2 5
英国 8.3 3 8.4 4 7.1 4
ドイツ 7.9 4 8.7 3 7.4 3
ロシア 5.3 6 3.3 9 2.3 15
中国 1.7 14 5.2 6 14.9 2
韓国 圏外 - 2.3 14 3.8 11

出典: 科学技術政策研究所「科学研究のベンチマーキング2015」

分野ごとのトップ1%論文数におけるロシアの順位を示したのが図表2です。ソ連時代から比較的自由な環境で研究ができ優秀な研究者が集まりやすかったと考えられている物理学では、かろうじて上位を維持していますが、その他の分野では、政府からの研究資金が十分に確保できない時期が長期に続いたことで研究成果としての論文のクオリティーに陰りが見られました。かつては上位25か国にランキングされていた化学、計算機科学・数学、工学は、直近の結果では圏外です。臨床医学や基礎生命科学などのライフサイエンスは、そもそもソ連時代から振るわなかった分野です。というのも、ライフサイエンスは、政治的なイデオロギーの統制下で自由を失い、ルイセンコ事件※1等を経て壊滅的な打撃を受けました。現在においてもロシアはこの分野では強くはありません。

※1 ルイセンコ事件/1930年代にメンデルの遺伝学を否定したルイセンコが、スターリンやフルシチョフといったソ連指導者の後ろ盾を得て支配的立場となり、彼の学説に反対する科学者たちを追放した事件。いわゆるルイセンコの反遺伝キャンペーン(遺伝形質は環境によって変えられるという獲得形質の遺伝を主張、また、ダーウィン主義の基本である種内競争の否定等)により、遺伝学や生物学など多くの研究機関で経験豊かな指導的研究者が追放・処刑された。同時に、細胞遺伝学や植物細胞学関連の研究所・研究室は閉鎖され、ソ連科学は国際的孤立を強める結果となった。フルシチョフ解任後に遺伝学の復活が図られ、ソ連の科学界全体がほぼ正常に機能したのは1960年代半ば以降であった。結果的に、ソ連のライフサイエンス全般(特に遺伝工学)は欧米諸国に大きな差をつけられることとなった。

図表2.ロシアのトップ1%論文数におけるロシアの順位(整数カウント)
  1991-93年 2000-03年 2011-13年
化学 15位 24位 圏外
材料科学 14位 19位 24位
物理学 10位 7位 13位
計算機科学・数学 16位 23位 圏外
工学 21位 圏外 圏外
環境・地球科学 16位 18位 25位
臨床医学 圏外 圏外 圏外
基礎生命科学 21位 圏外 圏外

出典: 科学技術政策研究所「科学研究のベンチマーキング2015」

ロシアは、帝政ロシア時代、ソ連時代、現在の新生ロシアに至るまで、科学技術関係のノーベル賞受賞に関しては自然科学分野で14人が受賞しましたが、うち11人が物理学賞です。物理学だけは現在でもそれなりの存在感を放ってはいますが、上の図表の指標からも分かるとおり、全体として、ロシアの論文アウトプットに見る質の低下が進んでいることは否めません。

このような科学論文の質の低下に加えて、ロシアは、研究者数の減少、研究者の年齢構成のゆがみ(研究開発の中核的役割を担う30∼40代の研究者の割合が比較的小さい)、民間の技術開発の不活発等の問題を抱え、どのように質の高い研究開発のアウトプットを確保していくかが大きな課題として立ちはだかっています。

ロシア科学アカデミー(RAS)の改革

近年のロシア政府は、質の高いアウトプットの確保および研究成果の実用化を早急に求める傾向にあり、予算投入に見合う成果が出ていないとしてロシア科学アカデミー(RAS)への批判を強めていました。RASとは、約10万人の職員(うち研究者は半数)、約430の研究所を擁する、自然科学および人文・社会科学の基礎科学研究を担う総合的な学術組織です。日本を含む主要国では、大学が研究と教育の双方を担う機関として発達し、その後、特定の分野において研究開発を実施するために国立研究所等が設置されてきたという経緯があり、研究開発活動の拠点として大学の果たす役割は大きいと考えられています。しかし、ロシアでは、研究機関であるRASが教育機関である大学を附置した歴史を有していて、大学では教育のプライオリティが高く、研究はRASを中心に行われてきました。

政府によるRAS批判は、大学における研究開発の比重を高める政策と並行して進行中です。RASの改革については、(1)肥大化した組織機構のスリム化、(2)RASの運営および資産管理を新設の連邦科学機関庁(FASO)に移管、(3)研究人材の若返り、(4)競争原理の導入、(5)評価制度の導入、の5点が主たる方向となっています。改革が始まってまだ2年ほどしか経っていませんが、(1)∼(5)の点について何が行われているのか、以下で簡単に説明したいと思います。

(1)に関しては、医科学と農業科学の2つのアカデミーをRASに統合した上で、研究所の重複を排除するため機関の統廃合を進めています。先述のとおり、そもそもRASだけでも430の研究所を有しており、2つのアカデミー傘下の研究所を合わせると、1,000以上になります。

(2)は最も論争を起こした点です。つまり、これまでどおり資産等をRAS自らが自由に管理できず、FASOの監督下に置くということです。この資産とは、(1)の結果としてまとまった1,000以上の研究所も含みます。従来はRASを通じて支給されていた予算が、研究者・事務職員の給与や建物の光熱費から国際協力に係るすべての項目を含め、現在はFASOから支給されているというわけです。問題なのは、FASOは財政等が専門の役人の集合体であり、科学技術分野の改革の中心を担う機関として大丈夫なのかという点です。

(3)は、定年制の導入が大きなポイントとなっています。ロシアでは、ソ連崩壊後から続く若手研究者の頭脳流出問題と併せて、人材の高齢化が懸念されていますが、いまだこの問題に対して有効な手立ては立てられていません。研究所所長、室長等の幹部の定年を70歳に設定するという改革案が以前議論されたこともありましたが、最終的には採用されませんでした。年齢制限は人権侵害にあたるとの見解がRAS内にあるのも事実で、定年制導入により自らの既得権益を失うことを恐れた上層部の反対が大きかったと考えられます。RAS改革では、定年を65歳とする案が出ているようですが、具体的な結果にはまだ結びついていません。

(4)は、外部からの競争的資金の獲得を奨励する等、RAS内に競争的環境を生み出すことを目指しています。そして(5)は、RASの研究所(現在はFASO傘下)に対する評価制度を実施することです。2014年10月には、この評価を行う委員会のメンバー構成が発表され(1/2は大学や研究機関関係者、1/4は実業界や社会団体、1/4はFASO職員)、研究を含む活動全般に係る効率性の評価、金融経済活動の調査等が実施されていくことになります。

これら改革は、約300年に及ぶRAS史上(創設は1724年)においてかなり抜本的な意味を持っていると考えられます。プーチン大統領は、1年ごとに見直しを行い、改革を段階的かつ漸進的に進めていくとの立場を見せていますが、実際にはリストラ等の痛みを伴いながら進められていくことになるでしょう。

大学の改革

RAS改革と並行して進められているのが、大学改革です。現状では、国際的な大学ランキングにおいてロシアの大学は上位に入っていません。例えば、英国の民間情報会社であるQS社(Quacquarelli Symonds Ltd.)が取りまとめている世界の大学ランキング(2015年度)を見ても、上位100の中にロシアの大学は1つも入っていません。モスクワ国立大学が108位、サンクトペテルブルク国立大学が256位、ノヴォシビルスク国立大学が317位、バウマン名称モスクワ工科大学が338位となっています。これは、先述のとおり、ロシアの大学は教育活動を中心に行ってきたという歴史的背景があり、大学の科学研究のレベルが概して低かったことを考慮すると当然の結果と言えます。

しかし、このような大学の現状を打破すべく、2013年にロシア政府は「2020年までにQS社の世界大学ランキングのベスト100にロシアの大学を5校入れる」との目標を掲げました。これは、「5-100 program」と呼ばれ、大学の競争力強化を図るためロシア全土の大学約1,000の中から15校を選抜し、2014年度は当該15大学に対しては計100億ルーブル(約200億円、1大学平均13億円)の特別予算が措置されます。同プログラムの下、今後も重点的な投資が約束されており、この特別予算を用いて、重点15大学においては、研究ポテンシャルの向上、施設拡充が進められています。

この大学改革の骨子は大学の研究能力の強化・向上にありますが、具体的な進め方についてはまだ方針が定まっていません。上記プログラムのように投資を強化することで研究環境を向上させることも一つの方法です。また、RASの研究所の一部を大学の傘下に移し変えるという意見もありますが、まだ議論は継続中です。RASの研究所にはこうした移転には根強い反対があるのも事実です。

このように、ロシアでは現在、研究成果の質の高いアウトプットを目指して、研究、教育の分野でそれぞれ改革が進行中です。ただ、問題も多く山積しています。例えばRASと大学はこれまで研究と教育の分野で密接な協力関係を有しており、単純に研究の機能をRASから大学に移すだけで研究成果が上がるのかとの疑問を禁じ得ません。また、大学に対しては、追加的な予算投下が大学の研究・教育活動のモチベーションを上げていることは確かですが、将来的にどのような成果が出るのかについて現時点で全く未知数です。これら改革の最終的なビジョンは、日本や英国、米国のような研究開発活動の拠点としての大学の構築を想定していると思われますが、そこにRASがどのように位置付けられようとしているのか、現時点ではよく分かりません。ロシアという土壌で新たな研究・教育体制を作り上げようとする動きはまだ始まったばかりと言えるでしょう。

*トップページ及び記事一覧ページの写真の出典:wikimedia commons、写真提供:Синий чулок
The source of the photography ‘Russian Academy of Sciences’ on our top page and article list page : HP 「wikimedia commons」, Photo by Синий чулок

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