レポート

研究開発戦略ローンチアウトー第26回「視覚科学研究者の非常勤フェロー生活」

2011.08.20

栗木一郎 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター フェロー

栗木 一郎(科学技術振興機構 研究開発戦略センター フェロー)

科学技術振興機構 研究開発戦略センター フェロー 栗木 一郎 氏

 2010年4月から、非常勤フェローとして、研究開発戦略センター(CRDS)の電子情報通信ユニットにお世話になっております。本務では、東北大学の電気通信研究所に准教授として勤務しています。

大学での研究について

 大学での私の研究テーマは視覚研究です。「人がどのようにして世界を見ているか」「人間がどのように視覚世界を体験して(感じて)いるか」のメカニズムを調べ、情報通信技術(Information and Communication Technology:ICT)への応用につなげることです。ICTとは、人と人の間で行われる情報の伝達を媒介するシステムに関する技術であり、人とシステムの接点が適切に設計される必要があります。そのためにも、人が視覚情報を受容する仕組みの解明を目標としています。その中でも特に、「色を見るしくみ」に関する研究をしています。

 当たり前のように目で物を見る生活をしている人にとっては、そのメカニズムまであらためて考える機会は少ないと思いますが、調べてみるとすぐに分からないことだらけだということに気づかれるでしょう。私の研究対象である「色」は特に、手で触って確かめたりすることができない感覚でありながら、他人と同じ「感覚」を共有しているように漠然と感じています。でも、全ての人の脳の中で同じ神経活動を生じていると断言できるでしょうか? どのようにしたら確かめられるでしょうか?

境界領域の研究

 初対面の方に「『視覚のしくみ』を研究しています」と自己紹介すると、「お医者さんですか?」と聞かれる事があります。視覚の情報処理は脳の中で大半が行われているため、脳内のシステムも知る必要があり、脳波や脳磁計、MRI(磁気共鳴画像装置)を使った脳活動の計測や、脳損傷患者の視覚を調べる神経科学のような仕事もします。一方、人の感覚量を定量的に測る方法として、心理学の一分野である実験心理学があります。私の研究は、物理的な光刺激に対して人間の感じ方がどう変わるか、を客観的に測定する必要もあり、視覚心理物理学(visual psychophysics)と言われる研究手法も用います。これらの複数の手法による研究結果を総合的にまとめ、工学・医学・心理学の3分野の境界を行き来しつつ研究を進めています。

 これらの3分野のいずれにおいても、いわゆるコア研究領域ではないので、研究資金の調達にはそれなりに苦労します。それでも共同研究者の先生方にも援助していただきながら何とか研究を続けてこられたのは、分野間の共同研究にもほどほどに成功してきたためと言えるのではないかと思います。

 他分野の専門家と共同研究をするには、研究テーマについて共通の明確な目標を持つこと、互いの分野の文化を尊重すること、互いの仕事を信頼できることが必要です。知識や能力が完全に相補的な「お任せ」状態では必ずしもうまくいかず、互いの領域にある程度身を投じる「覚悟」が必要ではないかと思います。例えば脳損傷患者さんに関する研究では、病院の外来に出向き、お医者さんと一緒になって患者さんの傷ついた脳の中で何が起きているかを考え、患者さんの負担を考えながら症状を的確に描出するための最適の検査法を探る必要があります。直接的な治療・治癒には結びつかない場合が大半ですが、患者さんご自身は「自分自身がどういう状態かを知りたい」という悩みを抱えていらっしゃる場合も多く、脳機能の現象的側面を調べる心理物理学的な検査だけでも役に立つことがあります。患者さんにお願いできる検査とできない検査、患者さんにとって何が苦痛になるかを学び、お医者さん・患者さんの両方の視点を加味しつつ、基礎研究として有益なデータを得るのに十分な検査方法を考えます。他分野の文化に腐心しつつ基礎研究として何らかの成果を出すには、研究者として一定の練度を必要とすると思います。

 こうしたことに気を遣いながら医学や心理学の領域の先生方と共同研究を始めたのは、学位を取った直後からでしょうか。その間の約15年間、勤務先も大学と企業の研究所の間を約5年間隔で転々とし、さまざまな領域の研究者の生態を見ながら、自分の研究課題に対する「愛情」を深め、徐々に自分の「看板」が決まってきたように思います。

CRDS勤務について

 CRDSでは電子情報通信ユニットに所属し、分野の俯瞰(ふかん)と重要研究開発課題の抽出、研究開発課題の提案などの業務に携わっています。前述の通り、私自身はこれまで境界領域の研究に主に従事してきたため、コア領域の研究での課題にはなかなか思いが及びません。これまで傍(はた)目で見ていた研究テーマに真正面から取り組む必要に迫られ、それまでの自分の視野の狭さを思い知らされた気がしました。

 現時点では、おそらく私は研究者人生の中間点くらいにいると思います。そのタイミングでこのように広い視野で研究テーマを一望する機会を得ることができたのは、自身の研究の位置づけを見直す意味では大変有益でしたが、一方で研究開発戦略の立案の難しさも身に染みました。研究領域を見渡す視野の広さという視点では、常勤のフェローの方々にはいまだに足元にも及びません。

 私自身に課せられた課題はおそらく、現役の研究者としての視点からCRDSの業務に貢献することと、広い視野に立つ機会を得た上で自分の研究の位置づけをあらためて見直し、科学技術の発展に貢献することの2点ではないかと考えています。

ページトップへ