レポート

研究開発戦略ローンチアウトー第15回「社会の課題解決に科学技術が貢献するには」

2010.08.30

前田知子 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター フェロー

前田 知子(科学技術振興機構 研究開発戦略センター フェロー)

 科学技術は広く社会の課題解決に貢献すべきだという考え方が、近年、特に強く言われるようになった。中でも地球環境問題や高齢化・人口減少社会への対応は特に重要視されている課題であり、第4期の科学技術基本計画の策定においても、この2つの問題を柱として、課題解決のための研究開発のあり方が議論されている。

 科学技術はこれまでも、1960年代〜1970年代の日本の高度成長期を支え、その後の産業競争力強化に寄与してきた。科学技術の分野では従前から、研究のための研究だけが行われて来たわけではない。しかし、これまでと大きく違うのは、生活の場を含めた社会全体の“しくみ”の中で科学技術が機能していくことが、先進国だけではなく途上国も含め、全世界的に求められているという点である。これは、日本にとって、科学技術が技術導入とキャッチアップの段階から脱したということ以上に、大きな変化ではないだろうか。

 そのため科学技術の研究開発戦略の立案に際しても、われわれが生活する社会をどうとらえ、社会の中で何が必要とされているか(社会ニーズ)を把握することが重要になってくる。

 では、どのような方法によって社会ニーズを把握することが、研究開発戦略の立案には有効なのだろうか。

 研究開発戦略センター(CRDS)は、「社会ニーズを充足し、社会ビジョンを実現させる科学技術の有効な発展に貢献する」(注1)ことを組織のビジョンとして掲げ活動している。その活動の一環として、社会ニーズをどのように把握するかという検討を行ってきた。

 2008年度には、社会ニーズの充足のために科学技術が解決すべき課題として、(1)国際的な産業競争力の強化、(2)生活の質の向上、(3)地球規模の課題解決—の3つを特定し、それぞれについて検討した(注2、3)。また現在のCRDSでは、顕在化している社会ニーズだけではなく、社会が何を求めているのかを潜在的なものも含めて把握する、「社会的期待」の検討が試みられている。

 しかし、科学技術政策という公共政策において、社会ニーズを適切に把握することは容易ではない。

 以下では、筆者がかつて携わった「(2)生活の質の向上」に関する検討結果を踏まえつつ、またCRDS内での研究開発戦略立案の方法論に関する議論も参考に、社会の課題解決に科学術が貢献するためには何が必要かについて述べてみたい。

 「生活の質の向上」に関する検討(注4)では、まず、ワークショップでの議論の結果などに基づき、“生活の質が高い”とはどのような状況が実現されていることなのかを、キーワードとなる単語や短いフレーズ(最大で15字程度)で表現し(「エレメント」)、これを関連性の深いもの同士でグループ化した(「クラスタ」)俯瞰(ふかん)マップを作成した(図1)。 また、エレメントの例をいくつかのクラスタごとに示す(表1)。“生活の質”というと先進国の付加価値的なニーズと取られがちであるが、基本的な社会インフラに支えられているだけでなく、グローバルな国際関係や地球環境とも密接にかかわっていることが示される。

 次に実施したのは、これらのエレメントを実現するための“技術にして何をしてほしいか”、すなわち技術への要求の検討である。2回目のワークショップでの検討などを通じて明らかになったのは、あるエレメント(ニーズ)を実現するためには、複数の技術への要求が必要であり、逆にある技術への要求は複数のエレメントに寄与しうる、ということである。

 例えば、「快適な(患者のストレスが少ない)医療」というエレメントの実現には、「検査技術の高度化」、「副作用の少ない薬」、「何種類も服用せずに済む薬」といったものが必要であり、一方でこれらは、「有害物質からの安全」「生きることへの意欲」「自己尊厳の獲得」といったエレメントの実現にもつながりうる。

 さらに、あるエレメントの実現には他のエレメントが実現していることが前提になる。例えば、「安全で生存に必要な量の水」の実現なくして「おいしい水」は実現されない。表1に挙げた、クラスタ「個人的マインド」にあるエレメントの実現は、「より良い健康状態」の実現へとつながりうる。ニーズそのものが複雑なネットワークを形成し、さらに技術への要求との間も1対1ではない関係性を持っている。

 ところが、エレメント(ニーズ)の内容を単に詳細化していくだけでは、技術への要求は具体的には現れてこない。3回目のワークショップでの議論などを通じて明らかになったのは、ニーズの表現を、それをどう実現するかという観点から具体化する必要があるという点である(注5)。ここでは「年齢を問わずにチャレンジできること」というエレメントに対して、「高齢者が自在に出歩けるためには」というより具体化した表現として検討した例を紹介する(図2)。この表現を経由することで、技術への要求の列挙がかなり容易になった。なお、図2にある「個人機能条件」、「個人的環境条件」、「社会的環境条件」の3つの側面は、WHO生活機能分類(ICF)による生活機能モデルの考え方(注6)—心身機能・構造、活動、参加の3側面から生活機能をとらえる—を参考にしたものである。

 以上で見てきたような検討は、民間企業の新製品開発において、市場のトレンドや顧客ニーズを把握と、自社がもつ技術シーズや技術の強みをどう活かすかというかたちで実施されている。民間企業においては、おのずと自社製品としてとしてスコープが決まってくるであろうが、科学技術政策においては、公共的なニーズをとらえなくてはならない点で、より困難である。社会ニーズを把握し、これを技術シーズに結びつけていく方法論が十分に確立されているとは言えない。

 しかし、CRDSでの検討を通じて明らかになったことは、ニーズ側だけを検討し構造化しているだけでは出口は見えず、必ず、ニーズを実現するという視点が必要であるという点である(注7)。当たり前のことのようであるが、この点を押さえないと、解決のための検討にならず、検討のための検討に陥ってしまう。

 CRDSで現在取り組まれている「社会的期待」の検討においては、社会的課題を科学技術の研究成果(科学的知識)をどう結びつけていくかについて、社会的期待と科学的知識による実現の可能性を組にして考えること、「期待と実現解の両者からの接近」が必要であると述べている。そして、そのためには、社会的期待をその充足方法が見いだせるよう機能によって詳細化し、これに基づいて科学技術課題のイメージを得ていくことが必要であるとしている(注8)

 社会ニーズの側も、その実現に用いられる技術シーズの側も複雑な構造を持っている。社会的課題の解決に科学技術が貢献するためには、これら全体の関係性をとらえる必要がある。

 この問題に対応するための1つの考え方として、ニーズとシーズの双方にある複雑な構造を、システム構築という視点からとらえていくという方法があるのではないか。システム構築という視点を取り入れることによって、ニーズ側、シーズ側からのアプローチのそれぞれが持つ限界と独善性を超えることができるのではないか。最適なシステム構築を実現するためにどのような科学技術が必要であるのか、また、どのような施策や制度が必要であるのかについて明らかにすべき時期にあると考えられる。

  1. https://www.jst.go.jp/crds/about/
  2. 科学技術振興機構 研究開発戦略センター『戦略提言 国際競争力強化のための研究開発戦略立案手法の開発 -日本の誇る「エレメント産業」の活用による「アンブレラ産業」の創造・育成-』(2009年 3月)
  3. 科学技術振興機構 研究開発戦略センター『科学技術による地球規模問題の解決策に向けて 調査報告書 〜グローバル・イノベーション・エコシステムとアジア研究圏〜』(2009年 3月)
  4. 科学技術振興機構研究開発戦略センター『“生活の質”の構造化に関する検討(Ⅰ) 社会ニーズを技術シーズに結びつけるために』(2009年3月)
  5. 科学技術振興機構研究開発戦略センター「“生活の質”の構造化に関する検討(Ⅱ) 社会ニーズを技術シーズに結びつけるために」(2009年12月)
  6. 大川弥生『生活機能とは何か-ICF:国際生活機能分類の理解と活用-』、東大出版会、2007.
  7. 科学技術振興機構研究開発戦略センター「ニーズから技術シーズへのアプローチ方法に関する一提案 -“生活の質”に関する検討結果をふまえて-」(2009年12月)
  8. 吉川弘之『研究開発戦略の方法論—持続性社会の実現のために』科学技術振興機構研究開発戦略センター,2010年

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