レポート

研究開発戦略ローンチアウトー第10回「見えてきた真に必要な食品研究戦略」

2010.03.29

永野智己 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター フェロー

永野 智己(科学技術振興機構 研究開発戦略センター フェロー)

科学技術振興機構 研究開発戦略センター フェロー 永野 智己 氏

 21世紀に入り、世界的な規模でナノテクノロジー(以下、ナノテク)への公的研究開発投資が始まって10年が経過している。そのような中にあって筆者は、科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センター(CRDS)でナノテク・材料分野に軸足を置き、研究開発戦略の調査・分析・立案に携わっている。本稿ではその過程のなかで派生的に検討している食品分野の研究開発について紹介する。その内容はナノテクの範疇(はんちゅう)だけで語られるものではなく、食品の機能性や健康効果・影響など、化学物質と身体との相互作用という根源的な課題へと及ぶ。

フードナノテク

 2000年以降、各国における研究開発投資が増大する中で、ナノテク・材料分野の技術は急速に発展し、「フードナノテク」や「ナノフード」といった言葉が近年欧米で生み出されている。フードナノテクとは、ナノテクを食品技術へ応用・展開しようとする動きから登場したキーワードである。欧米諸国では政府機関や産業界、大学、一般消費者を含めたシンポジウムなどが頻繁に開催され、フードナノテクの研究の方向や、安全性・社会受容についての積極的な対話が進展しており、科学・技術の発展を見据え、今後どのような取り組みが必要であるかについての議論が重ねられている。既に欧州ではオランダを中心に、FP6(欧州連合の第6次研究枠組み計画)以降現在のFP7の枠組みにおいて研究プロジェクトを推進し、米国は農務省主導のもとで研究開発を推進している。

 一方、日本では、大学等公的機関や産業界で安全性評価を含めた研究開発が部分的に進められているが、欧米ほどの顕著な取り組みにはなっていない状況である。わが国は現在、食料自給率が約40%、農産物については約30%といずれも低水準にある中で、世界的な食料価格高騰の流れにさらされている。また、食料輸入が増大する中、近年の冷凍食品輸入に際しての異物混入事件は、食の安全に関する新たな問題を投げかけている。

 こうした状況を背景にCRDSでは、日本の低い食料自給を補う食品産業はあるのかどうか、ナノテクは食品産業に貢献できる可能性があるのかどうかについて、安全性に関する取り組みを含めた日本の研究開発の方向を議論した(議論の詳細については「フードナノテクノロジー検討会報告書」を参照。CRDSウェブサイトからダウンロード可)。その結果、食品産業の各工程におけるフードナノテクの研究開発課題は、一例として、微細加工技術や微粒子化技術を用いることによって体内での消化吸収を助け、より少ない量で高い栄養価を得る技術の開発や、そのために必要となる素材評価法の確立などが重要視された。さらに、長期保存や輸送の観点で重要となる、包装材の高いバリア性能や、センサ技術による味やにおい、有害成分の検出技術などの発展が期待された。

 (* 現在、フードナノテクにかかわる研究開発は農林水産省のプロジェクト研究「食品素材のナノスケール加工及び評価技術の開発(2007-11年)」において実施中であり、さらに内閣府の食品安全委員会「食品健康影響評価技術研究領域」においても2010年度よりナノテク利用食品・容器包装に関する評価手法開発などの研究が開始される)

フードナノテクノロジーの研究開発概念
図1. フードナノテクノロジーの研究開発概念>

食品研究の課題と新たな方向性

 上記のような検討から浮かび上がってきたことの一つに、ナノテクに限らず食品と身体との相互作用は科学的にどこまで解明されているのかという問題がある。食品は、もともとカロリー源やビタミンなどの栄養素として考えられてきたが、それぞれの食品の成分に、身体に一定の有効な効果を示すものがあることが明らかとなり、それを食品の新たな機能として研究するサイエンスが展開されてきた(もちろん負の影響を及ぼす成分もある)。これが「機能性食品」の概念の登場(1980年代)であり、機能性食品は日本の食品科学研究者によって世界に先駆けて提唱され現在まで発展してきた。

 こうした研究のなかから近年、さまざまな食品中の身体に対する有効成分が明らかとなり、それらを積極的に活用・摂取することが、健康維持や疾病の予防・改善のために有効である可能性が示されてきた。このような有効性成分を利用した機能性食品は、「特定保健用食品」制度の発足(1991年)を契機としてさらに発展し(年間売り上げ6,798億円:07/市場調査、(財)日本健康・栄養食品協会)、今後も健康の維持という観点でさらに発展していくと予想される。

 一方で、現在までこうした食品の機能や効果の科学的検証は十分とは言えないまま、イメージが優先して扱われた製品がはんらんする傾向もある。これは社会における科学的知識の確立に悪影響を与える問題であり、また健康を正しく理解し守るという観点からも見過ごされるべきではない。さらに、効果が期待される成分であっても、特別に濃縮して長期間摂取することなどに対する安全性も懸念される。食品機能の科学的な検証・評価システム構築に対する社会の期待は高まるばかりであるが、このようなシステムはまだ確立しているとは言い難く、食の安全・安心の観点からも大きな課題である。

 こうした背景からCRDSではフードナノテクに次ぐ発展的な検討として「ワークショップ 安全・品質を担保するための食成分・機能情報の定量化」を開催し、その議論を踏まえ、研究戦略の提言書「戦略プログラム 複合的食品機能の定量解析研究 -農・工・医学融合による健康・安全へ向けた先進食品科学-」を策定した(CRDSウェブサイトからダウンロード可)。ここでは、食品機能を身体の組織、器官、個体の各階層レベルで解析することによる、新しい機能評価システムの構築にかかわる研究開発戦略についてとりまとめている。食品はそもそも複合・多成分系であることが問題解決の困難さを示しているが、その解決のためには、農学・工学・医学のアカデミアと産業界、そして臨床研究との連携など、既存の枠組みを越えた取り組みが必要であるとも結論付けている。

 その意味するところは、食品機能のような現代の社会ニーズと先端研究開発との接点にある課題は、単独の省庁だけによる施策に閉じて解決できることはまれであり、内閣府、文部科学省、農林水産省、経済産業省、厚生労働省など、省庁間にまたがる広範な取り組みによって解決への糸口がつかめるようなものであることを示している。しかし、府省連携のインセンティブはまだ弱いようだ。今後は分野横断的・省庁横断による施策の重要性はより高まると予想され、連携の調整をどう執っていくのかは大きな課題である。食品の機能や安全性に関する問題は、わが国のみならず諸外国においても例外ではない。今後一層の市場の拡大が見込まれる本分野で、わが国が新しい評価技術や評価基準を発信することは、概念を提唱したわが国にとって意義深く、また社会的・国際的な要請に応える上でも重要であろう。

 一方で、ナノテクや機能性食品に限らず、先端技術を食品や医薬品などの人が摂取したり直接触れる製品へ応用する際のパブリックアクセプタンスについては、科学的なリスク評価結果の社会への情報提供の仕組み整備と運用方法の充実、情報提供人材の育成、国際協調と標準化、社会・倫理的影響調査の必要性が課題である。欧米では、研究開発にかかわる意思決定に市民の関与・参加を求めていく「アップストリームエンゲージメント」が一早く進んでいる。これはいわゆる参加型の技術評価(テクノロジーアセスメント:TA)手法の一つである。

 市民との対話を支援する手法を使いながら、どのような技術や社会を作りたいかを協力して明らかにしていくことが、今後のわが国においても重要な検討事項となる。今後は、医学分野を含めた、食品研究者とナノテク研究者との連携や、社会科学的な面でも市民との対話を考えながらこのような新しい分野に相応しい、新しい研究開発の取り組みを、グローバルな視点を持ちながら検討・構築していくことが求められる。

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図2. 研究開発戦略:複合的食品機能の定量解析研究

 (* ナノテクノロジーおよびその政策動向については、本稿に先立ち2009年7月の掲載記事「科学技術を牽引し社会の要請に応えるナノテクノロジーへ(中山智弘)」も併せて参照されたい)

参考文献)

  • JST研究開発戦略センター 報告書「フードナノテクノロジー検討会 -食品産業へのナノテク・材料技術応用-」PDF(CRDS-FY2007-WR-17)平成20年1月
  • 日本学術会議 提言「学術の大型施設計画・大規模研究計画 -企画・推進策の在り方とマスタープラン策定について-」平成22年3月
  • JST研究開発戦略センター「戦略プログラム 生体ミクロコスモスによる健康評価 -消化管内の細菌等の動態・機能に基づく健康評価技術の創出-」PDF(CRDS-FY2007-SP-12)平成20年3月
  • JST研究開発戦略センター「科学技術未来戦略ワークショップ報告書『安全・品質を担保するための食成分・機能情報の定量化 -10年後の消費社会へ向けて- 』」JST研究開発戦略センター「科学技術未来戦略ワークショップ報告書『安全・品質を担保するための食成分・機能情報の定量化 -10年後の消費社会へ向けて- 』」PDF(CRDS-FY2008-WR-06)平成21年3月(CRDS-FY2008-WR-06)平成21年3月
  • JST研究開発戦略センター「戦略プログラム 複合的食品機能の定量解析研究 -農・工・医学融合による健康・安全へ向けた先進食品科学-」PDF(CRDS-FY2008-SP-04)平成21年3月
  • 「ナノテクノロジー」グランドデザイン ‐グローバル課題解決の鍵となる技術領域-(CRDS-FY2009-SP-07)平成22年3月

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