レポート

研究開発戦略ローンチアウトー第8回「計測技術分野における研究開発戦略の難しさ」

2010.01.29

武内里香 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター フェロー

科学技術振興機構 研究開発戦略センター フェロー 武内里香

 研究開発投資にあたり、社会的な意義や目的、効果を明らかにすることが、近年ますます求められるようになって来ている。科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センター(CRDS)は、JSTの研究開発戦略を立案するとともに、国策として重点的に支援すべき科学技術領域を提案することをミッションとして活動を行っており、運営ビジョンには、「社会ニーズを充足し、社会ビジョンを実現させるために科学技術の有効な発展に貢献します」という文言を掲げている 。(注)

 私がCRDSの一員として加わったのは2008年度、センターが設立されて5年目に入り、立案プロセスのガイドラインがある程度確立された時期ではあったが、具体的に、研究開発課題や重要政策課題をどのようなプロセスで決めていくかについては、まだまだ議論の余地がある。CRDSフェローの本質的かつ永遠の悩みといってよいのかもしれない。この場では、私自身が担当してきた計測技術分野を題材に、日々感じている難しさを述べてみたいと思う。

ニーズプルか、シーズプッシュか

 国策として重点的に支援すべき科学技術領域は、科学技術そのものの発展と同時に、社会的課題を解決するものでなくてはならない。これは先に述べた通りで、一般に、課題解決型基礎研究や目的型基礎研究と呼ばれている。

 では、どのような条件がそろっている場合に、今、重点的に支援していくべき領域であると考えるか。喫緊に解決すべき社会的課題に求められている科学技術領域を引きあげる(ニーズプル)という視点と、科学技術の進展が著しく今後ブレークスルーが起きかけている領域を押し上げる(シーズプッシュ)という2つの視点があるだろう。もちろん、どちらの視点により重みがあるかの違いであって、ニーズプルの場合でもシーズである科学技術の発展が起きなくては意味がないし、シーズプッシュの場合であってもニーズである社会的課題が解決されなくてはならない。この2つの視点のバランスが非常に難しい。

 CRDSには、ライフサイエンス、ナノテク、物質・材料などディシプリンに基づいたユニットが複数あるが、これまでさまざまな議論を聞いてきた限り、どの分野においても共通の悩みのようである。ここで、計測技術特有の難しさを挙げるとすれば、それは計測技術がツールであるがゆえの難しさだろう。

 ニーズプルで計測技術を考えた場合、計測技術は、課題解決のために複数挙げられる方法論のうちの1つであることがほとんどである(図1)。その関係の仕方も、

 例1:テロ・防災などの危機管理(=課題)→高度計測・センシング技術(=手段D)

 のように、課題と計測技術が直接結びついている場合もあれば、

 例2:新エネルギー創出(=課題)→太陽光パネルの生産(=手段B)→ナノ構造を評価できる分析・計測技術(=手段B2)という風に、階層を経て間接的に必要とされる場合もある。いずれにせよ、ある課題解決を考えた時、計測技術は必要不可欠であるものの、優先順位のトップにくることが少ない。

 また、新しい計測技術の開発に着手することよりも、既に製品化された計測技術の高感度化・高精度化などの改善やユーザビリティ向上が求められる傾向が強い(例えば、試料前処理技術の向上、分析の自動化、インフォマティクス技術との統合など)。計測技術以外の部分で斬新な研究開発のリスクを負うのであれば、そのためのツールである計測技術に対しては、実現可能性の見通しが付けられる範疇(はんちゅう)の技術開発にとどめるのは、目的達成のために、それはそれで必要なことかもしれない。例2のように、計測技術の進歩をもとに上位の手段が完成し、その手段が課題解決のために成果を出すという形であればなおさらだろう。

 将来の課題解決のために革新的な計測技術の開発にチャレンジするという行為と、完成した新しい計測ツールを用いて課題解決に取り組むという行為の間には、タイムラグがある。早急に最終成果を出すことが求められる課題解決プロジェクトの中で、計測技術分野に関してのイノベーティブな研究成果を期待することは適当ではない。従って、中長期的な視野で考えた課題解決を目的に掲げることが必要となってくるが、急激に変化していく社会の将来を予測する難しさに加え、切実さを帯びた短期的な要求が混入して、戦略の軸をうまく打ち立てることがなかなかに難しい。

課題側からの視点
図1 課題側からの視点

 それでは、シーズプッシュで計測技術を考えた場合はどうだろうか。論文情報を集めたり、有識者と意見交換を行ったりしながら、ブレークスルーが起きつつある個々の技術とそのトレンドを捕えることは可能である。しかし、計測技術分野の場合、それらを束ねて技術群として提示することは意外に難しい。なぜならば、図2に示したように、計測技術と社会的な課題は1対1で対応しているわけではないからである。

 ある計測技術が完成すればいろいろな課題に対して貢献することになるし、同じ課題に対して、複数の計測技術が関連することもある。例えば、2002年のノーベル化学賞に輝いた田中耕一氏の研究は記憶にまだ新しいが、対象となった「生体高分子の質量分析法のための穏和な脱着イオン化法の開発」は質量分析計で用いる要素技術のうちの1つである。これにより完成したMALDI TOF-MSは、ライフサイエンス分野のみならず、医療分野でも広範に使用されるまさに基盤技術である。

 一方で、生体高分子を測る手法は、TOF-MSのほかにも、NMR、共鳴ラマン、蛍光プローブ、AFMなど、さまざまな選択肢を取ることが可能であり、目指す目的によっておのおのの手法のメリットとデメリットは異なってくるだろう。

 仮に、複数の計測技術群に今プッシュすべき強みを見いだしたとしても、そこに共通項があるとは限らない。仮に何らかの共通項(対象物質や目的など)でくくれるとしても、それなりの幅を持った領域を切り出すためには大味のものになってしまい、どうしてもメッセージ性が弱まってしまう。逆に、メッセージ性をシャープに出そうとすると、極限られた狭い領域にしかならないという難しさがあるのである。

技術側からの視点
図2 技術側からの視点

計測技術の重要性と今後の課題

 先端科学技術・先端産業が進展するためには、優れた計測技術が必須である。先端科学技術・先端産業に関する国家的プロジェクトが行われると、そのニーズに応えるために計測技術が進展し、また、計測技術による計測フロンティアの拡大により、先端科学技術・先端産業もまた進展する。すなわち、先端科学技術と計測技術の進展は相乗効果を有する関係にあり、計測技術分野の発展の重要性は明らかである。

 新しい計測原理の発見や革新的な計測技術の創成を目指し、実用化に向けて戦略を立てるにはどうしたらよいのだろうか。かつてのように、後追いでやっていた時代ならば既存の計測装置で障害にならずとも、最先端の独自研究を行おうとした場合には、必ず独自の計測技術が必要となる。先端科学技術・先端産業で高度な計測技術を使うユーザー側の研究者と、革新的な計測技術の創成を担う研究者とが協力し、これまでの科学技術の潮流をお互いに理解・分析し、今後どのような先端科学がブレークするか、そこで必須となる計測技術は何か、長期的な視野を持ってターゲットを議論していく必要があるのではないか。

 この議論は一朝一夕ではできるようなものではないだろう。理論物理学などの仮説演繹(えんえき)的なアプローチを取る研究ならば、ある目的のために見えないものを見たいというニーズを切り出すことが可能かもしれないが、帰納的・統計学的なアプローチを取る研究の場合、見えないものが見られるようになり、データが取得・蓄積されて初めて研究が進展する。この場合、まずは測ることそのものが必要であり、その結果何が明らかになるかは、ある程度の予測は立てられたとしても明確には言えない。まだ測れない対象に対して、測れるようになった時のインパクトや優先順位を考えることはさらに難しい。だからこそ、最先端の研究を行う研究者と国が協力し、知略を尽くして戦略を練る必要があるのである。

 CRDSのフェローには、長期的な視野を持ちながら議論の成果を蓄積し、公平な視点で異分野間の橋渡しをしていくことが求められるだろう。先に述べたとおり、計測技術そのものも多岐にわたる技術があり、計測対象となる相手先の分野もほとんどすべての分野と言ってよい。今回は紙面の都合上触れなかったが、優れた基礎研究を計測産業につなげていくために、基礎研究〜実用化がつながらない死の谷の問題と、実用化直前まで達している、あるいは製品化されているのに市場拡大につながらない問題(ユーザーインターフェイス、標準化、ベンチャーの育ちにくさなど)についても、課題は山積している。

 幅広く横たわる課題に対処していくことはとても難しいことであるが、CRDS内の別分野担当のフェローや、外部有識者、関係省庁などとうまく連携を取りながら取り組んでいければと考えている。

  この記事は、多くの有識者各位ならびにCRDSフェローとの議論を通じて考えた現時点の私見です。

ページトップへ