レポート

研究開発戦略ローンチアウトー第5回「科学技術の健康、医療への応用と臨床研究の推進」

2009.10.01

川上浩司 氏 / 京都大学大学院医学研究科 教授、科学技術振興機構 研究開発戦略センター 臨床医学ユニットフェロー

京都大学大学院医学研究科 教授、科学技術振興機構 研究開発戦略センター 臨床医学ユニットフェロー 川上浩司 氏

 人類の健康の維持、向上と疾病の治療は、世界的に重要なテーマと認識されている。2009年4月27日に行われた米科学アカデミーでのオバマ大統領の演説では、政府研究開発投資を対国内総生産(GDP)比3%以上にすること、理系・科学人材の育成支援とならんで、米国立衛生研究所(NIH)の予算増加やがん研究への投資が発表された。米国のみならず、英国においても医薬品、医療機器の開発に対して政府や企業は多くの投資をしており、その成果が期待されているところである。また、治療分野のみならず、健康の維持、ヘルスケアという価値もますます重要視されている。

 しかしながら、日本の医薬品・医療機器産業においては、日本の誇るすぐれた基盤技術が、牽(けん)引産業として昇華できていないということが懸念されている(イノベーション・エコシステムの乖離)。これは、決して基礎研究や医療従事者の能力や努力が欠如しているためではない。規制や制度のあり方が旧態依然としており国際的なイノベーション戦略になじまないということ、また、政策・行政研究、システム研究といった横断的な研究、提言が医療分野では不足してきたことが原因と考えられる。

日本の医薬品・医療機器産業の現状

 わが国においては、医薬品、医療機器企業を製造、販売・流通の面から規制する薬事法においては、新規の科学技術の成果を医薬品などに応用していくという道筋はなじまず、米国などのように臨床研究と治験とを一体化させたInvestigational New Drug (IND) 制度、Investigational Device Exemptions(IDE)制度が存在しないために、医療応用化は非常に困難である。このような規制環境と、また、保険制度による薬価等収載の必要性から、産業界にとっては新規のチャレンジや開発は複雑なものとなっている。ひいては、アカデミアと産業界が連携しての医療、健康分野におけるイノベーションが起きるチャンスが減ってしまうという大きな問題を抱えている。保険の点はさておき、少なくとも規制環境を改革していくことは最重要課題である。以下に、科学技術振興機構 研究開発戦略センター 臨床医学ユニットがこれまでの活動で提案した、2点の解決案を示す。

臨床研究司令塔の設置

 科学技術の研究推進のために文部科学省が大学等研究機関に予算を配分し、経済産業省が産業振興を期待した施策の中で企業や研究機関に対して支援を行っている。しかしながら、医療分野においては、厚生労働省が規制当局として審査、承認を迅速に行わない限りはいつまでたっても技術や研究が社会に還元されることができない。このため、われわれなどからの提言により、2008年7月に内閣府に健康研究推進会議が設置された。

 これは、三省の大臣と科学技術担当相、総合科学技術会議議員の5人で構成され、内閣府が調整して三省が連携して医療開発を推進していこうという主旨で設置された、いわば臨床研究司令塔である。三省連携の最初の案件として、「スーパー特区」が公募、採択され、薬事支援などを軸とした医療開発が開始されている。現在、健康研究推進会議にはアドバイザリー会議が設置され、国家として重要な医療開発のあり方や課題について議論をしている。

レギュラトリーサイエンスと医薬品医療機器庁の設立

 レギュラトリーサイエンスとは、医薬品、食品、環境物質など、人体などに影響がある物質の適正かつ安全な使用のために、その基準値、安全性・有効性の評価、対応、上位では行政施策やシステムのあり方について、実験室での研究(ウェット研究)や社会学的研究・疫学研究(ドライ研究)、臨床研究を通じて検討していく分野である。ゆえに、行政施策や社会に対してきちんと正確な知見を情報発信していくことも重要である。

 レギュラトリーサイエンスを和訳直訳すると「規制科学」と訳されることから、規制をしてイノベーションの確度を落としてしまうような印象を与えることもあるが、これはまったくの誤りである。たとえば、再生医療などに用いられる新規性の高い細胞を医療応用化する場合、その細胞が本当に目的臓器を形成するのか、がん化しないのか、感染症のリスクはどうなっていくのかといった懸念事項をクリアしない限り、規制当局からの承認を受けることはできない。

 そのため、研究開発の各段階において、同じ時間軸でその評価系も構築し、動物実験や臨床試験データから安全性の情報を取得していく。またその科学的結果を行政・規制のガイドラインへと反映し、承認を迅速化していくという考え方は、国際的にも推進されているところである。わが国においても、レギュラトリーサイエンスの真の重要性を理解し、この領域を産官学ともに推進していかない限りは、せっかく日本発のすぐれた研究があっても、応用化の出口部分で時間をとられてしまって国際競争に敗北してしまうことになる。

 前述のように、臨床試験をめぐる行政対応と手続きは複雑であり、臨床応用という共通課題を促進するためには、今後わが国の認可行政の抜本的なあり方の見直しと強化(あるいは日本版FDA=医薬品医療機器庁の設立)などを含んだ改革が必要であると思われる。すなわち、科学的根拠に基づいて医療・医学・産業の目標を明確に持った省庁が国家の対応として臨床試験のIND/IDE申請と審査の一元管理により医療用品の審査・認可を行い、レギュラトリーサイエンスの考え方をよく理解した上で、研究開発の早期から医薬品、医療機器開発に対して強力な支援となることが望ましい。未承認薬の臨床研究と治験という区別をなくし、基本的には治験として臨床研究を一本化し、規制当局からの全面的な審査と開発の支援を企業のみならず大学などアカデミアに対しても行うような人員や制度の強化が必要と思われる。

重要な国民の理解と支援

 上述のような2点の改革推進や、保険制度のあり方の議論に加えて重要なのが、日本国民が健康という価値をどのようにとらえるか、医療開発や医療産業を世界に発信していくことを理解し、応援するかという問題である。これについては、マスコミなどにもよく理解をしていただき、国民への啓発活動を継続的に行っていく必要があろう。

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