レポート - 英国大学事情 -

2015年6月号「マンチェスター大学における炭素材料・グラフェンの応用研究」

掲載日:2015年6月17日

英国在住約40年のフリーランス・コンサルタント山田直氏が、新しい大学の生き方を求め、イノべーション創出、技術移転などに積極的に取り組む英国の大学と、大学を取り囲む英国社会の最新の動きをレポートします。

マンチェスター大学の研究者であるロシア生まれのDr. Andre GeimとDr. Konstantin Novoselovは、2004年に開発した1原子の厚さを持つ六角形のセル状の炭素原子シートであるグラフェンの製法に関する「二次元物質グラフェンに関する革新的実験」によって、2010年のノーベル物理学賞を受賞した。今月号では、その後のマンチェスター大学におけるグラフェンの応用研究および商業化の動きを紹介する。

1. マンチェスター大学の概要

  • マンチェスター大学(The University of Manchester)は、それぞれに歴史のあるVictoria University of ManchesterとUniversity of Manchester Institute of Science and Technology(通称UMIST)が、2004年に合併してできた大学である。
  • Victoria University of Manchesterは、産業革命後の人材育成のために、地元有力企業家であったJohn Owens氏の多額の寄付によって1851年に設立されたOwens College が母体であり、その後1872年にはRoyal School of Medicineを吸収合併して発展した歴史を持つ。
  • University of Manchester Institute of Science and Technology(UMST)は、夜間に職人たちに基礎的科学を教えるため、地元の産業人が資金を出し合って1824年に設立したManchester Mechanics’ Instituteを起源とする。
  • マンチェスター大学は「原子物理学の父」とも呼ばれるErnest Rutherfordをはじめ、現在および過去のアカデミック・スタッフや学生の内、25名のノーベル賞受賞者を輩出している研究重視の大学であり、英国の研究重視の24の有力大学で構成されるRussell Groupの一員でもある。

研究資金

2012・13年度において、総額2億8,000万ポンド(504億円)を超える研究向け資金を得ている。その内、HEFCEからの研究向け運営費交付金は8,400万ポンド(151億円)、リサーチ・カウンシルからの競争的研究助成金は7,100万ポンド(128億円)であった。

1ポンドを180円にて換算

学生数

(2012・13 年度)
  国内・EU学生 EU域外からの留学生 合計
学士課程 22,250名 4,835名 (18%) 27,085名
修士課程 4,980名 2,915名 (37%) 7,895名
博士課程 2,210名 1,240名 (36%) 3,450名
合計 29,440名 8,990名 (23%) 38,430名
  • マンチェスター大学は、学生数において英国最大のキャンパス・ベースの大学であり、400以上のディグリー・プログラムを提供している。(筆者注:学生数において英国最大の大学は、日本の放送大学に近い形態の英国のThe Open Universityであり、学生数は約20万名である。)
  • 学士課程初年度の学生は、希望すれば全員が大学内の寄宿舎に入ることができるように、現在約8,500室が完備されている。
  • 付属大学図書館は420万以上の印刷物の蔵書数を誇る。

スタッフ数

(2012・13年度)
アカデミック・スタッフ (1,975名は教育のみのスタッフ) 4,030名 (36%)
研究スタッフ 1,940名 (18%)
アカデミック・サポート 1,545名 (14%)
事務・セクレタリー (Clerical/secretarial) 1,620名 (15%)
業務・管理 (Administrative/management) 1,230名 (11%)
単純労働等 (manual/craft) 715名 (6%)
合計 11,080名

収入

(2012・13年度 単位:£100万)
授業料 302 (544億円) (37%)
運営費交付金 178 (320億円) (22%)
リサーチ・カウンシル等からの研究助成金及び企業等の研究契約 200 (360億円) (24%)
その他の運営収入 129 (232億円) (16%)
大学基金への寄付金及び投資収入 18 (32億円) (2%)
合計 827 (1,489億円)

起業とイノベーション

  • マンチェスター大学は、過去20年以上にわたり知的所有権の所業化活動を行っており、この間に100社以上の大学発スピンアウト企業を設立してきた。
  • 同大学のイノベーションと起業家や投資家との橋渡しをしているのが、マンチェスター大学のイノベーション・グループであるUMI3である。マンチェスター大学発のスピンアウト企業は過去9年間で、ベンチャー・キャピタルから総額2億2,500万ポンド(405億円)の投資を受けると共に、165件の概念実証(proof of principle)のためのIPプロジェクトも実施してきた。
  • 2008年には、大学によるスピンアウト起業への投資を目的とした専門のシード・ファンドである「UMIP Premier Fund」が設立された。このファンドは、当時、欧州最大の3,150万ポンド(57億円)の規模であった。
  • 「UMIP Premier Fund」は12のスピンアウト企業と26の概念実証(PoP)プロジェクトへの投資を行った。近年では、マンチェスター大学のスピンアウト支援活動は、社会的企業(social enterprise)の設立に興味をもつスタッフへの支援や、デジタルおよびソーシャル・メディア・プロジェクトを促進する学生への支援等、その活動範囲を広げている。

2. 画期的炭素材料グラフェン

  • 炭素材料であるグラフェンは、優れた物理的特性と広範囲な応用の可能性によって注目される。科学者達は約50年も前から、単一の炭素元素の厚さを持つ二次元のクリスタル・グラフェンの存在を知っていたが、何百万ものグラフェンのシートの層を持つグラファイトから単一のグラフェン・シートを取り出す方法が長年見つからなかった。
  • 2004年、マンチェスター大学のロシア生まれの研究者のDr. Andre GeimとDr.Konstantin Novoselovによって、単一グラフェン・シートの分離製法が確立された。

グラフェンの主な特性

  • 鋼鉄の200倍の強度
  • 地球上で一番薄い材料(髪の毛の約100万分の1)
  • 現在のところ、世界で最も電気伝導率の高い材料
  • 世界初の二次元材料
  • 透明性、柔軟性、不浸透性(ヘリウムも通さない特性)、不燃性

可能性のある主な応用例

  • ナノテクノロジー材料として、がん細胞等への治療薬の運搬役
  • 液体を分離できる膜としての特性を生かした、水の浄化装置や効率的脱塩プラント
  • 優れた伝導性を生かした、腐食を防ぎエネルギー効率を高める先端的ペイント
  • 微量のガスや危険な化学物質を感知するセンサーや、消費者に腐敗した食物を伝える食品包装材
  • 光を吸収し、それをエネルギーとして蓄える特性に加え、強度と柔軟性も持つことから、電池の寿命を長く、かつ曲げることができる携帯電話、カメラやウェアラブル・エレクトロニクス用
  • 超軽量で強度が非常に高いという特性を生かし、ポリマーや複合材料と共に利用することで、より安全で燃費効率の良い車等の交通手段への利用

マンチェスター大学の特許戦略

  • グラフェンに関するマンチェスター大学の特許戦略の基本方針は、「量ではなく質を追求する」ということにある。十分にリサーチされた、可能性の高い応用に対してのみ特許申請をする姿勢を採っている。
  • Dr. Geimは、Financial Times紙に「イノベーションは特許を取るだけではなく、それ以上を意味する。商業的製品への明確なルートが見えた場合のみ、特許を申請すべきである。」と述べたことがある。マンチェスター大学ではこのような方針を採用しているため、海外諸国でのグラフェンに関する特許申請数は英国より多い状況にある。
  • グラフェンは炭素の一形状であり、自然に生成された物質である。誰でもグラファイトから、例えばスコッチ・テープを使ってグラフェンを分離することが可能である。そのため、特許申請はグラフェンを含むデバイス又はその応用のみに限られる。

世界におけるグラフェン研究

  • 数十にのぼる海外の国々もグラフェンの応用研究に取り組んでいると共に、多くの英国の大学もグラフェン研究拠点を開設している。しかしながら、マンチェスター大学には、今年3月に6,100万ポンド(110億円)をかけたNational Graphene Instituteの新研究棟が完成し、英国のグラフェン研究のハブとして、英国の他大学との共同応用研究を進めている。
  • マンチェスター大学を含む多くの英国の大学は、EU17か国の産学連携研究グループをリンクする「Future and Emerging Technology」プログラムの下に、欧州委員会が10億ユーロ(1,300億円)の予算にて進めている、後述の「Graphene Flagship」に参加している。
  • マンチェスター大学には、現在200名近い研究者が、グラフェンおよび二次元材料の広範囲にわたる研究に従事している。

3. National Graphene Institute

  • National Graphene Instituteは、2004年にDr. GeimとDr. Novoselovが単一グラフェン・シートの分離製法を確立したことにより設立された研究所である。その後、2013年には、研究施設を拡充するために6,100万ポンド(110億円)の予算にて新たなグラフェン専用の研究棟の建築が決まり、2015年3月、財務大臣によって新研究棟の開所式が行われた。
  • 研究棟の新設に伴い、当研究所は新たに約100名のスタッフを採用する計画である。総面積7,600平米の新研究棟には2つのクリーン・ルームが設置され、その内1つのクリーン・ルームは1階のフロアすべてを占める大型施設である。
  • その他に、新研究施設の中にはマンチェスター大学のグラフェン研究者が企業や他大学の研究者との連携研究活動用の1,500平米の研究スペースもある。
  • この新研究棟の建設資金は総額6,100万ポンド(110億円)であったが、その内、3,800万ポンド(68億円)はリサーチ・カウンシル(EPSRC)から、2,300万ポンド(41億円)はEUのEuropean Regional Development Fundからの助成による。
  • National Graphene Institute は「ハブ&スポーク」モデルのハブとして機能し、グラフェン研究に従事している英国の他の大学や研究機関との連携研究を重視しているほか、世界的企業も当研究所との共同研究を行っている。現在のところ、世界中から35社を超える企業がマンチェスター大学とのグラフェン開発プロジェクトに調印している。

4. Graphene Engineering Innovation Centre

  • 2014年9月、マンチェスター大学はNational Graphene Instituteの活動を補完する目的で、6,000万ポンド(108億円)の予算にて、Graphene Engineering Innovation Centreの新設を発表した。当センターは、他の研究機関や企業とのパートナーシップを組むことによって、グラフェンの商業化を促進することに重点を置いている。現在、センターの建物は建設中であり、完成は2017年を予定している。
  • 総額6,000万ポンド(108億円)の建設予算の内、1,500万ポンド(27億円)はファウンディング・カウンシルのHEFCE、500万ポンド(9億円)は政府のTechnology Strategy Board、3,000万ポンド(54億円)はアブダビ政府系の再生エネルギー企業のMasdarからの助成による。1,000万ポンド(18億円)は、その他のリサーチ・ファンドや研究機関からの助成である。
  • この他、マンチェスター大学はアブダビの研究重視の大学であるMasdar Instituteとグラフェンの共同応用研究とリサーチ・フェローシップ・プログラムを検討している。
  • Graphene Engineering Innovation Centreは、既存の約200名の研究者を擁するNational Graphene Instituteを補完する役割を担う。マンチェスターのこの二つのグラフェン研究機関が協力し合って、マンチェスターがグラフェンの研究および商業化の中心となることが期待されている。
  • 当センターは、グラフェンおよび2次元材料の研究開発と応用のためのエコシステムの重要なギャップを埋めるために、複合材料、エネルギー、コーティング、エレクトロニクスおよび分離膜の応用研究と共に、パイロット・プロダクションと特性評価に重点を置く計画である。

5. EUによる「Graphene Flagship」研究イニシアティブ

  • Graphene Flagshipは、欧州連合による最大規模のグラフェンの応用研究支援イニシアティブであり、総予算は10年間で10億ユーロ(1,300億円)とかってないスケールの産学官連携への研究支援活動である。
  • Graphene Flagshipイニシアティブは2013年に立ち上げられ、欧州委員会の「Future and Emerging Technology Flagships」シリーズの第1弾である。「Future and Emerging Technology Flagships」のミッションは、長期にわたり学際的研究開発を支援することによって、時代が直面する科学的、技術的な大きな課題に対処することを目指している。
  • Graphene Flagshipのコーディネーター役はスウェーデンのChalmers University of Technologyが務めているが、Dr. Geimも同イニシアティブのStrategic Advisory Councilのチェアマンであり、マンチェスター大学は大きな役割を担っている。

Graphene Week 2015

  • 2015年6月末に、EUのGraphene Flagshipイニシアティブが主催する、5日間にわたる「Graphene Week 2015」が、マンチェスター大学、National Graphene Instituteおよびマンチェスター市の後援の下に、マンチェスターにて開催される。昨年の「Graphene Week 2014」はスウェーデンのChalmers University of Technologyにて開催され、35か国から450名の研究者が参加した。
  • 今年6月に開催されるGraphene Weekでは、以下のテーマが議論される予定である。
    • グラフェンの基礎物理および二次元材料
    • グラフェンに関する化学的、生物学的研究
    • グラフェンおよび二次元材料のエレックトロにクス、フォトニクス、スピントロニクスおよびセンサーへの応用
    • グラフェンの太陽電池、エネルギー貯蔵、燃料電池および水素貯蔵への応用
    • グラフェンをベースにしたナノ複合材料:最新の研究成果と応用
    • グラフェンに関連したヘルスおよび環境への研究
    • グラフェンのバイオメディカルへの応用
    • 大規模なグラフェンの製造

6. 筆者コメント

  • 2010年にノーベル物理学賞の受賞によって脚光を浴びたグラフェンの応用研究が、その後どのように進展しているのか気になっていたが、今年3月末、マンチェスター大学は、「エネルギー消費が少なく、長寿命で、製造コストの安い、グラフェンを利用した電球の開発に成功した。」と発表した。
  • また、BBCインターネット版も「グラフェンを利用した初めての一般消費者向けの製品と見られる、家庭用の新型電球が今年末までに英国にて販売されることになった。」と報じた。
  • この電球は、マンチェスター大学のNational Graphene Instituteとの戦略的パートナーシップの下に生まれたスピンアウト企業のGraphene Lighting PLCにて生産されるとのこと。マンチェスター大学は、このGraphene Lighting社の一部の株式を所有しており、商業化による利益を得ることになる。
  • BBC報道によると、この新型電球はマンチェスター大学によって設計され、グラフェンをコーティングしたフィラメント形状のLEDが採用されており、従来のLED型に比べてエネルギー効率が10%改善し、またグラフェンの優れた導電性のために寿命も長いとのこと。販売価格もLED電球より安く設定される見込みである。
  • 英国は、研究開発の成果を商業化するのが不得意と、従来から英国内でも言われているため、英国の大学の研究者がノーベル賞を取ったことをきっかけに一躍脚光を浴びたグラフェンの商業化には特に力を入れている。この3月にオープンしたNational Graphene Institute の新研究棟の開所式には財務大臣も出席してテープ・カットするなど、産学官が力を合わせてグラフェンの商業化を促進している。

(参考資料:マンチェスター大学ホームページより
http://documents.manchester.ac.uk/display.aspx?DocID=19310
http://www.graphene.manchester.ac.uk/explore/the-story-of-graphene/
http://www.manchester.ac.uk/discover/news/article/?id=14155
http://www.manchester.ac.uk/discover/news/article/?id=12777

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