レポート - 英国大学事情 -

2012年8月号「英国技術戦略委員会によるイノベーション促進策<カタパルト・ネットワーク>」

掲載日:2012年8月1日

英国在住30年以上のフリーランス・コンサルタント山田直氏が、新しい大学の生き方を求め、イノべーション創出、技術移転などに積極的に取り組む英国の大学と、大学を取り囲む英国社会の最新の動きをレポートします。(毎月初めに更新)

 

【1. カタパルト・ネットワークの発足経緯】
   英国の著名な電気機器の発明家であり、成功した起業家でもあるJames Dyson氏は、2010年3月、保守党の委託を受けてまとめた提案報告書「Ingenious Britain:Making the UK the leading high tech exporter in EuropePDF(通称:ダイソン・レポート)を発表した。
   その数週間後、英国のコンピューター企業を立ち上げた経験のある、発明家および起業家のDr Hermann Hauserは、時の労働党政権から委託を受けて作成した提案報告書「The Current and Future Role of Technology and Innovation Centres in the UKPDF(通称:ハウザー・レポート)を発表した。
   これらの2つの報告書は、共に、英国の科学研究基盤の強さは米国に次ぐ地位にあるが、それを商業化に結び付けるためには更なる努力が必要であるとしている。特に、「ハウザー・レポート」は、大学と産業界の間のギャップを埋める重要性を説いた。
   これらを受けて、2010年10月、キャメロン首相は産学連携に基づくイノベーションを更に促進するために、ビジネス・イノベーション・技能省(BIS)傘下の技術戦略委員会(Technology Strategy Board)を通じて、4年間で2億ポンド(260億円(*1))の予算にて、全国に技術・イノベーション・センターのネットワークを構築する計画を発表した。後に、これらの各センターはカタパルト(Catapult)と命名された。
   2011年初め、技術戦略委員会がカタパルト・センター・ネットワークの設立構想を発表した所、全国から500件を超える賛同意見や提案が寄せられた。これらの意見も参考にし、2011年夏から、産業界や大学を中心とする研究コミュニティーとの入念なコンサルテーションを実施した。
   各カタパルト・センターの設立に当たっては、以下の要件を満たすことが念頭に置かれた。

【カタパルト設置要件】

  • 年間数十億ポンド(10億ポンドは1,300億円)以上の世界市場がある分野
  • 英国が世界的にリードしている研究分野
  • 英国産業界が活用できる能力を持つ技術で、かつ研究投資を増やすことによって、バリュー・チェーンにおいて大きな占有率を獲得できる分野
  • 多国籍企業の知識集約的活動にとって魅力があり、その活動拠点を英国に引き留めておくことができる分野で、かつ英国の持続的な富の創造に貢献できる分野
  • 英国の国家戦略上、達成することが重要であると考えられる優先分野
   産業界や大学を中心とする研究者等とのコンサルテーションを経て、以下の7分野のカタパルト・センターの設置が決定した。

【7つのカタパルト】

  • 高付加価値製造カタパルト(High Value Manufacturing Catapult)
  • 細胞治療カタパルト(Cell Therapy Catapult)
  • オフショア再生エネルギー・カタパルト(Offshore Renewable Energy Catapult)
  • 人工衛星応用カタパルト(Satellite Applications Catapult)
  • コネクテッド・デジタル・エコノミー・カタパルト(Connected Digital Economy Catapult)
  • 未来都市カタパルト(Future Cities Catapult)
  • 輸送システム・カタパルト(Transport Systems Catapult)

 

【2. 高付加価値製造カタパルト】
   「高付加価値製造カタパルト」は、最初のカタパルト・センターとして、2011年10月に設置され、現在では以下のような7つの研究拠点が、主に各地域の大学内に設置されている。7拠点のスタッフ数は、合計で600名を超える。
   当カタパルト設置後、半年間で1,000万ポンド(13億円)の商業収入に加え、産業界からも同額の助成があった。又、同期間中に技術戦略委員会からの2,000万ポンド(26億円)の助成を含む、合計5,000万ポンド(65億円)の設備投資を行った。技術戦略委員会では英国の製造業を活性化するために、今後6年間で当カタパルトに1億4,000万ポンド(182億円)を超える投資を計画している。

【研究センター】

  • 高機能成形研究センター

    、グラスゴー地区ストラスクライド大学、スコットランド政府およびロールス・ロイス社やボーイング社との共同事業。板金加工、精密鍛造加工等。

  • 先端的製造研究センター

    、シェフィールド地区シェフィールド大学とボーイング社等の共同事業。機械加工、材料や部品の試験、ハイブリッドや金属複合材料等。

  • プロセス・イノベーション・センター

    、セッジフィールド地区化学処理、バイオテクノロジー、印刷可能電子部品等。

  • 製造技術センター

    、コベントリー地区バーミンガム大学、ノッティンガム大学、ラフバラ大学、企業および地域開発公社との共同事業。自動化と金型、組み立て、プロセス・モデリング等。

  • 全国複合材料センター

    、ブリストル地区地域開発公社の支援を受けて、ブリストル大学内に設置されているが、インペリアル・カレッジ、マンチェスター大学、シェフィールド大学、クランフィールド大学とも共同研究を行っている。GKN社やロールス・ロイス社も参加。複合材料の設計・製造等。

  • 原子力先端製造研究センター

    、シェフィールド地区政府および産業界の支援を受けた、マンチェスター大学とシェフィールド大学の共同事業。アレバ社、ウェスティングハウス社、ロールス・ロイス社を始め23社が参画している。民生用原子力発電部品の製造等。

  • ウォリック製造グループ

    、コベントリー地区ウォリック大学内に設置されており、自動車産業を中心に産業界との共同研究に30年の歴史を持つ。軽量製品システムの最適化、エネルギーの貯留と管理、デジタル証明等。

 

【3. 細胞治療カタパルト】
   「細胞治療カタパルト」は、細胞治療や先端的治療法の研究開発と商業化を支援すると共に、その製造法、品質管理、安全性や効率性を支援する技術を開発する。
   細胞治療は、医薬品としての生体細胞の利用を含み、組織や器官の再生、遺伝子治療、癌や感染症の治療等、多くの利用法がある。細胞治療は、2014年には世界で31億ポンド(4,030億円)の市場となり、その後、急速に拡大すると予測されている。
   英国は幹細胞や再生医療研究の最先端に立っていると共に、それを支援する規制環境、その主な市場としての国民健康保険制度(NHS)、資金調達のための成熟した金融市場や発達した製薬、バイオテクノロジー、医療器具製造等の産業分野が確立しているために、この新たな市場において大きな占有率を獲得できる可能性がある。
   細胞治療カタパルトは、2012年後半にロンドンのNHSトラストが運営するGuy’s Hospital 内に設置される予定であり、技術戦略委員会から今後5年間にわたり年間1,000万ポンド(13億円)の助成を受けることになっている。なお、当カタパルトには、ケンブリッジ、エディンバラ、ニューキャッスル、UCL等の大学の研究者が参画する予定である。

 

【4. オフショア再生エネルギー・カタパルト】
   「オフショア再生エネルギー・カタパルト」は、英国の産業界によるオフショア再生エネルギー関連の最新技術や新材料の研究、試験および実用化を支援すると共に、2020年までに再生エネルギー利用率を15%まで引き上げるという英国政府の目標達成を支援するという目的も持つ。
   最近、エネルギー・気候変動省(DECC)が発表した英国の再生エネルギー・ロードマップによると、英国は2020年までに18GWの洋上風力発電能力と400MWの潮力・波力発電能力を設置する必要があるとしている。
   世界の風力、潮力および波力発電の市場は、2050年までに合計で640億ポンド(8兆3,200億円)に達すると予測されており、英国産業界はオフショア風力発電市場の12%、潮力・波力発電市場の15%の占有率を獲得することが期待されている。
   公開コンペティションの結果、当カタパルトの運営は、Carbon TrustNational Renewable Energy CentreとOcean Energy Innovationによるコンソーシアムが担当し、設置場所はスコットランドのグラスゴーと北東イングランド地方のノーサンバーランドの2か所と決定した。開設時期は2012年の夏を予定している。
   当カタパルトは、技術戦略委員会から、今後5年間にわたり年間1,000万ポンド(13億円)の助成を受け、当該分野における英国のワールド・クラスの研究コミュニティーと産業界が共同して、商業化に向けた応用技術を開発することになっている。

 

【5. 人工衛星応用カタパルト】
   世界の人工衛星市場は、2030年までに4,000億ポンド(52兆円)に拡大すると予測されている。「人工衛星応用カタパルト」は、その世界市場における英国の6%という現在の占有率を2030年までに10%に引き上げると共に、1万名の高付加価値を生み出す職業を創造するという、「UK Space Innovation and Growth Strategy」にて設定された目標の達成を支援することを目的とする。
   当カタパルトは、人工衛星を利用した通信、放送、位置決めおよび観察という4つの成長分野に関する実用的な研究開発を目的とする。また、衛星軌道上における試験設備を提供することによって、企業が人工衛星を利用した新技術を宇宙空間にて実験できるようにする計画である。
   この他、地上におけるデータ管理機能を提供し、産業界がその機能を共同利用することによって、新技術開発に伴うリスクの軽減を図ることも目指している。これらによって、企業の研究開発経費を削減すると共に、宇宙空間における新型機器や技術の初回実験へのリードタイムを短縮できると期待される。
   当カタパルトは2012年秋の開設を予定しており、人工衛星によってもたらされる新サービスの開発を支援するための、データの取得や解析用の先端システムへのユニークなアクセスを、中小企業を含む産業界に提供することも計画されている。

 

【6. コネクテッド・デジタル・エコノミー・カタパルト】
   英国は、世界で最も競争力のあるデジタル市場の一つである。英国のICTとソフトウェア分野だけで740億ポンド(9兆6,200億円)の市場があり、コンテンツ分野を含むと1,000億ポンド(13兆円)になると言われている。最新の調査によると、英国のインターネット経済は人口1人当たり世界最大である。
   英国のインターネット経済は、今後4年間で年率10%成長し、2015年にはGDPの10%に達すると予測されている。「コネクテッド・デジタル・エコノミー・カタパルト:Connected Digital Economy Catapult」は、英国の持つこの強みを最大限に活用するための更なるステップ・チェンジを目指す。
   今後10年間の市場の成長は、主にクリエーティブ産業からの製品やサービス、データ、デバイス、デジタル・サービス、電子機器間のコミュニケーション等の一体化(convergence)によってもたらされと見られ、これを「connected digital economy」と名付ける。
   大規模で競争力のあるクリエーティブ、メディア、金融やサービスの各産業分野があり、かつ、これらの産業がデジタル化をいち早く進めたことによって、英国はデジタル・イノベーションやその活用において、世界でもトップ・クラスにある。
   英国は人口1人当たりのICT関連の研究論文数では世界トップであり、特にクリエーティブ産業、デジタル・メディア・テクノロジー、データ分析、サイバー・セキュリティーやコミュニケーション分野に強みを持つ。
   当カタパルト設置計画に伴い、関係者へのインタビューやコンサルテーションを実施した結果、以下のような克服すべき課題が浮かび上がった。

  • 商業化および競合前の、継続的で安定した共同研究メカニズムの欠如
  • 破壊的で変革をもたらすソリューションへの高い投資リスク
  • 新たなアプリケーションやサービスの導入に必要なシステムに対する、ますます複雑化する技術の統合化
  • エンドユーザーとICT産業との間の、頻繁に起こる商業的、文化的、技術的な食い違いやイノベーション機会を妨げる高度の細分化
  • 大規模な商業化の実現に必要な、経済的、法的、人的等、技術以外の能力の欠如
   今後、企業と大学を中心とした研究者の間の連携を促進し、英国が直面する、より大きく、複雑な問題点の克服に取り組む計画である。なお、当カタパルトは2013年春の開設を予定している。

 

【7. 未来都市カタパルト】
   「未来都市カタパルト」は、企業が未来都市に必要な新技術にアクセスできるようにすることによって、経済成長を促進させることを目的とする。
   全世界で、今後10年から15年間に6兆5,000億ポンド(845兆円)以上が都市インフラに投資され、統合都市システム(integrated city systems)にアクセスできる市場は、2030年までに年間2,000億ポンド(26兆円)に上ると推測される。
   都市は将来の世界経済の発展に重要であり、2050年までには、世界人口の70%以上が都市に住むことになると予測される。また都市は経済的生産性が高く、かつ人口1人当たりの平均的環境フットプリントは、その他の地域に比べて低いと推測される。
   しかしながら、都市は気候変動、人口変動、混雑、ヘルスケアや主要なリソースへのプレッシャー等の問題を抱えている。これらに対処するには、都市全体を考えた、新たな統合的解決策が必要となる。
   英国にはプロジェクト・マネージメント、エンジニアリング、建築設計、エネルギーと輸送システム、コミュニケーションとデジタル・エコノミー、資金調達のための金融市場、法律事務所、保険業界等、世界をリードする業界が整っている。
   また英国には、設計、資金調達、リスク管理等、大規模なインフラ・プロジェクトの遂行に必要な企業群を取りまとめる能力があるため、英国がこのような大規模インフラ・プロジェクトの世界的なセンターになれる可能性がある。
   当カタパルトは、一連の大規模な実証プロジェクトにおいて革新的な課題解決策をテストし、混雑を増大させることなく、都市の人口を増加させるという課題や低炭素経済への移行という課題などに取り組む。
   当カタパルトには、産業界、地方自治体および大学を中心とした研究者が参加する予定である。現在までに、100件以上の研究者や関係者へのインタビューやワークショップを開催して、活動内容を検討してきた。すでに英国の9つの大都市や50社以上が支援を表明しており、現在、カタパルトの設立に向けて、具体的計画を煮詰めている所である。

 

【8. 輸送システム・カタパルト 】

 

   先進国において、輸送分野はGDPの6%から12%を占めており、世界全体では2兆5,000億ポンド(325兆円)から4兆7,000億ポンド(611兆円)の規模と見られる。新たな技術に基づく、効率的で費用効果の高い輸送システムへのアクセス可能な市場は、1,900億ポンド(24兆7,000億円)から8,900億ポンド(115兆7,000億円)の間と推測される。
   英国は、輸送システムのイノベーションを支援できる諸要素のすべてにおいて、世界でも有数な、ビジネスおよび研究の専門知識や技能を持っている。英国が特に強みを発揮できる分野には、交通管理システム、車体の設計や製造、インフラの設計や施工、車内および車外のコミュニケーション、テレマティックス(コンピューターと移動体通信技術を組み合わせた無線送受信システム)、物流の提供、試験設備等が挙げられる。
   「輸送システム・カタパルト」内には、新らたな製品やサービスの開発のためのモデリングやシミュレーション施設が設置される予定である。また、プロトタイプを製造するための小規模な施設も備え、かつ英国内にある既存の主要な試験設備とリンクさせる計画である。この他、当カタパルトでは小規模および大規模の実証実験の管理も行う予定である。
   当カタパルトが取り組む当面の課題の中には、人と貨物のための途切れることのない通行システム(seamless journey systems)、輸送資産の遠隔管理とモニタリング、交通管理と制御システム、通行支援システム、インフラの完全性と安全性の確保等が考えられている。
   当カタパルト設置に向けたコンサルテーションにおいて、110を超す団体の意見、ワークショップにての研究者からの提案、産業界の戦略グループからの貴重な意見や支援もあった。これらも参考にしながら、現在、カタパルト設立に向けた準備をしている所である。

 

【9. 筆者コメント】
   英国は科学技術成果の商業化が上手でないということは、英国国内でもよく言われていることである。このカタパルト・ネットワーク構想は、今後大きな市場が見込まれ、かつ英国が得意とする7分野のみに特化した応用研究に、産学官が共同で取り組むために生まれたものである。
   この課題に対しては、英国でもこれまでいくつものプロジェクトが実施されてきたが、なかなか特効薬がないのが実情である。この問題への取り組みには時間がかかることが予想されるが、意識改革のためには継続的な取り組みが重要なのであろう。
   カタパルト・ネットワークは発足したばかりで、まだすべての7つのカタパルトが稼働しているわけではないが、すでに多くの著名企業が共同研究に参画を表明していることは注目される。筆者は今までにも言ってきたことではあるが、英国では日本に比べて、企業が大学の研究能力を上手に活用している傾向があるように感じる。
   また、英国では個別の対応ではなく、ネットワークやコンソーシアムを結成して、お互いの弱点を補完しつつ、ベスト・プラクティスを共有するという姿勢がみられる。英国の大学間でも、先月号の英国大学事情でも紹介したような北部イングランド地域の8大学による共同研究パートナーシップや、地域ごとの共同調達コンソーシアム等が発達している。
注釈)

*1. 1ポンドを130円にて換算
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