レポート - 英国大学事情 -

2010年8月号「才能の確保:産業界が大学院卒業生から望むもの - ビジネス・イノベーション・技能省向けCIHE報告書 -」

掲載日:2010年8月1日

英国在住30年以上のフリーランス・コンサルタント山田直氏が、新しい大学の生き方を求め、イノべーション創出、技術移転などに積極的に取り組む英国の大学と、大学を取り囲む英国社会の最新の動きをレポートします。(毎月初めに更新)

 

 

【1. はじめに】

英国の産学連携リーダーシップ・ネットワークである「産業界・高等教育評議会:Council for Industry and Higher Education(CIHE)」は、2010年3月、「才能の確保:産業界が大学院卒業生に望むもの:Talent Fishing, What Business Want from Postgraduates(*1)」と題する、ビジネス・イノベーション・技能省に向けた報告書を公表した。今月号では、この産業界・高等教育評議会(CIHE)の活動概要と同報告書の一部を抜粋して紹介する。

 

 

【2. 産業界・高等教育評議会(CIHE)の概要】

【沿革】

CIHEは、英国産業界の競争力強化と社会福祉の向上のために、産業界と高等教育機関の責任者たちが中心となって1986年に設立された、産業界と高等教育機関の間の戦略的リーダーシップ・ネットワークである。

【評議会メンバー】

  • 産業界 34人
    英国を代表する大手の製造業、通信、電力、メディア、IT、金融、保険、経営コンサルタント企業の最高経営責任者
  • 高等教育界 30人
    イングランド高等教育助成会議(HEFCE)や品質保証エージェンシー(QAA)などの最高責任者および22大学の学長

【CIHEにおける重点的研究・政策分野】

  • 雇用の適正化、技能、労働力の開発
  • 産学連携共同研究
  • STEM(科学、技術、工学、数学)技能への将来的需要
  • 英国産業界の国際競争力強化のための高等教育の役割
CIHEでは今まで、「連携と研究」、「雇用の適正」、「起業精神と企業」および「社会福祉」の4テーマに関する多くの報告書を発表してきている。

【助成機関】

CIHEへの助成機関として、HEFCE、British Council、英国大学協会(Universities UK)、大手企業、大学などの合計20機関がスポンサーとなっている。

 

 

【3. CIHE報告書「才能の確保:産業界が大学院卒業生に望むもの」】

当CIHE報告書は、アンケート調査に回答した43社の大手企業の人事担当責任者またはシニア・マネージャーの意見と、16社の企業への直接インタビューの結果をまとめたものである。当CIHE報告書は16ページあるが、興味深い点のみを抜粋して紹介する。
  • 英国の大学院学生数は過去10年間で36%も増加した。しかしながら、このうちのどれくらいが産業界のニーズに基づいたものだったのか? また、一生懸命に勉強して獲得した大学院卒の肩書きを産業界はどれくらい評価し、それ相応の待遇を与えているのか?という疑問も残る。
  • 産業界には大学院卒業者に対するニーズがあるとともに一定の満足度はあるものの、大学院卒業者がリーダーシップの技能や就業経験など、特に産業界が必要とする技能や知識を持てるように、高等教育機関と産業界は共同して対処していく必要がある。

3-1)大学院卒業者の採用理由

【修士号:採用時の重要性】

重要度 企業の回答
最低必要条件 約32%
望ましい 約45%
重要ではない 約23%

 

【修士号取得者採用の理由】

理由 強く同意 同意 部分的同意 不同意
専攻科目によるスペシャリストの知識 46% 34% 14% 9%
研究・技術的技能 33  46  18  13 
分析的思考・問題解決技能 52  40 
成熟度(Maturity) 15  39  33  12 
新規アイデアやイノベーションへの支援 24  50  24 
優秀なスタッフとして保証された候補者
(Guaranteed high caliber candidates)
24  52  18 
将来の幹部候補
(Future leadership potential)
16  34  44  6.3 

 

【博士号:採用時の重要性】

重要度 企業の回答
最低必要条件 約28%
望ましい 約39%
重要ではない 約32%

 

【博士号取得者採用の理由】

理由 強く同意 同意 部分的同意 不同意
専攻科目によるスペシャリストの知識 62% 24% 6% 9%
研究・技術的技能 56  31 
分析的思考・問題解決技能 58  28 
成熟度(Maturity) 21  32  29  18 
新規アイデアやイノベーションへの支援 38  35  24 
優秀なスタッフとして保証された候補者
(Guaranteed high caliber candidates)
10  26  55  23 
将来の幹部候補
(Future leadership potential)
27  50  18 

 

3-2) 注目点

  • 企業にとっての大学院卒業者採用の利点は、事業に直接生かせるスペシャリストとしての知識にあるとともに、大学院卒業者の独立した考え方や成熟度などにも期待がある。
  • 多くの企業では、継続職能研修(CPD)の一環として、パートタイムの修士課程での研修を助成している。企業の中には、新たに大学院卒業者を採用するのではなく、既に勤務している自社スタッフを修士課程コースに通わせる方式を取るところもある。
  • 博士課程の75%の時間を企業で研修を積むことが義務付けられている工学博士号(Engineering Doctorate(*2):EngD)の取得者やリーダーシップやビジネス・イノベーションに焦点を当てた博士訓練センター(Doctoral Training Centre)で訓練を受けた大学院卒業者は特に歓迎される傾向にある。
  • 企業によっては、大学が提供していない、体系的なイン・ハウスでの訓練や技術訓練を好むところもある。

 

3-3) 企業の持つ懸念

【大学院卒業者という肩書きは質の保証になるか?】

  • 博士号取得者の採用企業の10社に1社は強く同意し、修士号取得者の採用企業の同意はそれ以下であった。
  • 非常に専門的な分野以外では、企業は博士号取得者と修士号取得者の間でそれほど際立った相違点を見いだしていない。その多くは個人の特性や才能によると見られるだけでなく、卒業した大学院のコースや大学の質も関係していると思われる。しかしながら、エンジニアリング企業においては、通常の博士号(PhD)より、工学博士号(EngD)取得者が好まれることがはっきり現れている。
  • 大学院卒業者は、市場の理解、ビジネス・ニーズの把握やチーム・ワークなどに欠けていると、しばしば言われることがある。10社中7社が、採用した博士号取得者が非アカデミックな環境に順応するのに困難を感じていると回答した。

 

【企業のコメント】

  • エンジニアリング企業のシニア・ビジネス・リーダー
    「博士号取得者はあまりにも世間知らずで、自分自身が興味を持つ研究に没頭する傾向がある」
  • 技術関連企業のシニア・ビジネス・リーダー
    「高度な技術的資格を持っているとしても、採用となると、まず当社のカルチャーに合うかが重要となる。また、チームワークができるかも大事である。当社は、あまりにもアカデミック志向が強い人材を必要としてはいない」
  • 国際通信企業のシニア・ビジネス・リーダー
    「博士号取得者は、あまりにも狭い領域に焦点を当てすぎることがしばしばある。また、アカデミック環境から商業的環境に移ることに困難を伴うこともある」
  • バイオテック企業のシニア・ビジネス・リーダー
    「博士号取得者は彼らに与えられた主目的を研究途中で見失ってしまうことが、しばしばある」

 

【修士号・博士号取得者採用時の企業にとっての問題点】

問題点 修士・博士号別 企業の回答
商業的感覚の欠如 修士号取得者 約70%
博士号取得者 約90%
限られた就業経験 修士号取得者 約75%
博士号取得者 約85%
マーケット・スキルの欠如 修士号取得者 約60%
博士号取得者 約70%
狭い領域への関心・極度な専門化 修士号取得者 350%
博士号取得者 約75%
実現不可能な期待 修士号取得者 約55%
博士号取得者 約80%
非アカデミック環境への順応の難しさ 修士号取得者 約45%
博士号取得者 約70%

 

 

【4. 結論】

  • 産業界は大学院卒業者の価値を評価しているとともに、大学院卒は貴重で高水準の研究開発の技能をもたらすという点では一致している。しかしながら産業界では、大学院卒業者にはイノベーション、起業家精神、リーダーシップなどに関していくつかの大きな克服すべき課題があると見ている。
  • 産業界では、高等教育機関は企業やプロフェッショナル団体と共同で、大学院の授業コースを開発し、授業コースが産業界のニーズに合うようにすべきだと考えている。また、高等教育機関は提供できる授業コースのマーケティングにも力を入れ、企業に対してより一層のPRもすべきだとの指摘もあった。
  • 大学院生に対しては、産業界に入って直面する多くの課題に対応した広範囲の訓練を提供していく必要がある。これには産業界も責任を持ち、高等教育機関と一緒になって訓練内容などの産業界のニーズを協議すべきである。
  • リーダーシップと起業家精神は重要かつ高度の技能であり、企業に多大な貢献をすることが期待されている大学院卒業者の持つべき条件の一つでなければならない。

 

 

【5. 筆者コメント】

CIHEのアンケート調査やインタビュー調査に応じた多くの大手企業は、大学院卒業者の持つ深い専門知識を評価するが、それだけでは企業ではあまり使い物にならないという、厳しい注文も付けている。

英国においても、大学院卒業者の中で大学に残ることができる者はほんの一握りであり、ほとんどの卒業生が企業などに就職していく。このような状況と企業のニーズを反映して、インペリアル・コレッジを初めとした特に理工系に強い英国の大学では、専門知識のほかに産業界に就職しても活用できる移転可能な技能(transferable skills)などの訓練を大学院生に提供している。この「移転可能な技能」とは、専門知識以外の、例えばリーダーシップ、コミュニケーション、チームワーク、プレゼンテーション技能などの汎用的な技能を指している。

筆者は過去2年間で、以下のように3本の関連レポートを書いているので、ご興味のある方は以下のバックナンバーを参照ください。

  •   2008年第12号「インペリアル・コレッジ博士課程の移転可能なスキル訓練」
  •   2009年第 8号「理工系博士課程学生向け訓練:EPSRCの助成事例」
  •   2009年第 9号「大学の継続職能研修コース」

 

注釈)

  • *1 Talent Fishing, What Business Want from Postgraduates:調査編集者:Helen Connor, Peter Forbes, Dr David Docherty
  • *2 Engineering Doctorate:英国の大学の通常の博士課程(PhD)は3年であるが、工学・自然科学系のリサーチ・カウンシルであるEPSRCが助成する当EngDは4年コースである。
    http://www.epsrc.ac.uk/funding/calls/open/Pages/engineeringdoctorate.aspx
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