レポート

英国大学事情—2009年11月号「人文・社会科学者の政府機関への出向制度」

2009.11.01

山田直 氏 / 英国在住フリーランス・コンサルタント

 英国在住30年以上のフリーランス・コンサルタント山田直氏が、新しい大学の生き方を求め、イノべーション創出、技術移転などに積極的に取り組む英国の大学と、大学を取り囲む英国社会の最新の動きをレポートします。(毎月初めに更新)

【1. はじめに 】

 英国では、大学の研究者の持つ知識を広く社会に還元する知識移転活動の一環として、社会科学研究者の知識を政府の政策立案などに活用するために、中央省庁をはじめとした政府機関への出向を促進している。この活動は、公的研究助成機関であるリサーチ・カウンシルの一つである経済・社会研究会議(Economic and Social Research Council : ESRC)が主体となり、「公的機関出向フェローシップ:Public Sector Placement Fellowship」という研究者の出向助成制度を運営している。その目的は、大学の社会科学者に政府関係者と共に政府の政策立案プロジェクトに参加する機会を与え、かつ政府機関関係者の研究スキルを改善することにある。(ここで言う公的機関には、中央省庁、スコットランドなどの地方分権政府およびエージェンシーなどを含む)

 2009年夏には、経済・社会研究会議と芸術・人文科学研究会議(Arts and Humanities Research Council:AHRC)が共同で、「AHRC/ESRC公共政策フェローシップ:AHRC/ESRC Public Policy Fellowship」という試験的な助成制度の公募を開始し、従来からの社会科学者のみに限らず、芸術・人文科学者による政府機関への出向制度が始まった。今月号で、この社会科学者や人文科学者などによる政府機関への出向制度を紹介する。文

【2. 経済・社会研究会議「公共機関出向フェローシップ(ESRC Public Sector Placement Fellowship) 】

2-1) 概要

【目的】

  • 大学と政府機関との間の知識移転を促進する。
  • 政府の政策立案や政策見直しに対して、研究を基にしたエビデンスを提供する。
  • 政府機関と大学の研究者との間の人的ネットワークを拡充する。
  • キャリア・デベロップメントの機会と技能の改善を提供する。
  • 経済・社会研究会議(ESRC)などの公的研究助成機関が、研究と政策立案プロセスおよび政府機関と社会科学研究者間の連携に関する理解を深めるようにする。

【応募資格】

  • 通常は博士号取得後5年から10年間研究に従事した、初期または中期段階の研究者を対象とする。場合によっては、より経験の深い研究者の出向も考慮される。

【出向期間】

  • 原則として3カ月から1年間。
  • 当助成制度のフェローは、ホスト機関である出向先での仕事に、勤務時間の最低50%を振り向ける。

【就業条件】

  • フェローは出向期間を通じて、政治的および商業的利害関係から中立を保つというESRCの方針を守らねばならない。
  • フェローは出向期間中、職務を通じて知りえた情報に対して秘守義務を負い、ホスト機関の事前の書面による承諾なしには、政策助言に関するデータや内部での議論内容を明かすことはできない。

【雇用形態】

  • 出向期間中のフェローの雇用形態は、今までの勤務先である大学による雇用が持続され、フェローの給与を含む経費はESRCと出向先の政府機関で均等に折半される。
  • ホスト機関はフェローの上司を指名し、ESRCは出向先におけるフェローの勤務状況を把握するため、ESRC内における連絡人を指名する。

【応募審査】

  • フェローシップへの応募者は、いかに自己の経験や知識が政府機関に対して有益であるかを1,000文字以内のレポートにまとめ、1ページの履歴書と共に提出する。また、2人の推薦人(1人は大学関係者)および勤務先の大学からの承諾書も必要となる。
  • ESRCにおける選考を経て、最終選考に残った応募者はホスト機関でのインタビューに進む。

【進捗のモニタリング】

  • フェローの出向期間を通じて、フェローの上司とESRCの担当者によって、フェローによる研究の進捗状況のモニタリングが行われる。
  • ホストとなる政府機関は、フェローの成果に関する報告書をフェローの出向元である大学に提出することを要求される。大学は、この報告書を公的研究評価(RAE)への資料として利用することもできるとともに、フェローの大学でのキャリア・デベロップメントの把握にも利用できる。
  • フェローは出向終了後、1カ月以内に報告書を提出する。さらに出向終了12カ月後に、フェローおよび出向先の政府機関による、出向の短期的インパクトに関する報告書の提出が義務付けられている。

2-2) 事例

A) 環境・食糧・農業省におけるエビデンスに基づく政策立案への支援

B) 内閣府戦略ユニットによる「ヘルス・リフォーム政策」立案への支援

C) 気候変動による経済的コストの評価

D) 英国における異なる形態のイノベーション事例への理解

【3. AHRC/ESRC公共政策フェローシップ 】

 2009年7月、経済・社会研究会議(ESRC)と芸術・人文科学研究会議(Arts and Humanities Research Council : AHRC)は共同で、「AHRC/ESRC公共政策フェローシップ:AHRC/ESRC Public Policy Fellowship」という試験的助成制度の公募を開始した。これにより、社会科学者に加え、芸術や人文科学の研究者も政府機関に出向する機会が生まれた。当助成制度には、特に倫理学、歴史学、人権法などに関する研究者の参加が見込まれている。

  • 出向期間は通常は3カ月から6カ月間であるが、プロジェクトによっては最長12カ月間も考慮される。
  • 出向期間中の給与を含むフェローの経費は、大学と出向先の政府機関で均等に折半される。
  • 出向終了後1カ月以内に、フェローは当助成制度から得られた事柄を短い報告書にまとめて提出するとともに、出向先の上司も報告書の提出が義務付けられる。
  • 出向先において、フェローは自己の持つ研究手法、スキルまたは知識を披露するセミナーを開催することが期待される。

【4. 筆者コメント 】

 英国では、大学と政府機関の交流が活発化してきている。政府が大学の研究者の持つ経験と知識をより一層活用したいという意図があり、研究者にとっても政府内に人脈をつくり、政策立案に関して直接的助言をすることによって、自己の研究成果を生かすことができるというメリットがある。

 英国では、大学の研究者が省庁主催の委員会や審議会に参加することにだけに留まらず、大学の研究者を一定期間、省庁の内部組織に直接的に組み入れることによって、政府機関が大学の研究者の知識を積極的に活用する取り組みが行われている。このような取り組みは中堅研究者向けだけではなく、シニアな教授職を含む上級研究者にも及んでいる。例えば、自然科学に関して優れた研究実績のある上級研究者は、英国の主要省庁に設置されている「省庁主席科学顧問:Departmental Chief Scientific Adviser」として招かれ、大学を休職して、数年間にわたり省庁に出向する制度もある。省庁主席科学顧問は省内で独立性を持った局長クラスのポストであり、科学者として大臣に直接助言する立場にある要職である。省庁主席科学顧問として数年間、省庁内にて勤務した後、元の大学に戻るケースが多い。

 なお、ESRCでは大学の研究者による政府機関への出向のほかに、政府機関の職員による大学の研究ユニットへの出向も奨励している。現に、イノベーション・大学・技能省の高等教育局からDe Montfort大学の「少数外国人による起業活動・研究センター」に12カ月間の予定で出向したスタッフもいて、大学と政府機関の交流が盛んになってきている。

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