レポート

英国大学事情—2008年5月号「大学の知識移転活動 - セインズベリー・レビューより -」

2008.05.01

山田直 氏 / 英国在住フリーランス・コンサルタント

 英国在住30年以上のフリーランス・コンサルタント山田直氏が、新しい大学の生き方を求め、イノべーション創出、技術移転などに積極的に取り組む英国の大学と、大学を取り囲む英国社会の最新の動きをレポートします。(毎月初めに更新)

【1. はじめに 】

 2007年10月、前イノベーション担当閣外大臣のDavid Sainsbury卿が英国財務大臣の委託を受けて作成した、英国の科学・イノベーション政策に関するレビュー報告書、「The Race to the Top」、通称「セインズベリー・レビュー」が公表された。当レビュー報告書は200ページ近いものであるため、英国の大学の知識移転活動に関する興味深い箇所のみを抜粋して紹介する。

【2. 大学の知識移転活動の推移 】

(上記の「2000年」は、2000・01年度を指す。)
  • 2003 年度にスピンアウト企業の設立数が激減しているが、これは税法の改正により、スピンアウト企業を設立する場合の創立者の税負担が増加したためである。その後、この税法も再度改定され、現在ではスピンアウト企業の設立数が増加傾向に転じている。ただし近年では、各大学はスピンアウト企業の設立数を競うより、設立後のスピンアウト企業の生存率を重視する傾向にある。
  • 2000・01年度以来、現存の大学スピンアウト企業の年商は240%増加し、過去3年間で25社の大学発スピンアウト企業が株式市場に上場を果たしている。これらの25社は、上場時の株式売却により株式市場から総額2億5,000万ポンド(425億円*1 )以上の資金を調達し、現在の株式時価総額は合計で15億ポンド(3,150億円)以上に達する。
  • 過去1年半にて、以下の6社の大学発スピンアウト企業が18億ポンド(3,780億円)にて企業買収されている。
    • Cambridge Antibody Technology ・NeuTech ・Kudos Pharma
    • Solexa ・Domantis ・MTEM

【3. 最近の知識移転活動の成功事例 】

  • Willis Research Network
    • 世界的な保険ブローカーのWillis Group Holding社と大学との連携により、国内外の政府や大企業に対して、気候や環境のモデリングに関する専門知識の提供を目的とする。火山活動、地すべり、洪水、ハリケーンおよび地震等の災害に関する実用的な研究と専門的分析を提供する。

【ネットワーク参加大学】

  • University of Reading(Department of Meteorology)
  • University of Exeter with Hadley Centre(Centre for Geophysical and Astrophysical Fluid Dynamics)
  • University of Bristol(Department of Geography、Department of Civil Engineering)
  • Imperial College London(Department of Civil & Environmental Engineering)
  • University of Durham(Department of Geography)
  • University of Cambridge(Department of Architecture)
  • City University, London(Department of Information Science)
  • Wolfson Microelectronics plc
    当社はエディンバラ大学のスピンアウト企業として1984年に設立され、2002年に株式上場を果たした。ハイ・パフォーマンス・マイクロチップの世界的な供給企業であり、当社の製品はPDAやデジタル・ミュージック・プレーヤーに使用されている。
  • Medical Research Council
    英国の公的研究・助成機関である医学研究会議(Medical Research Council)は、ケンブリッジ大学分子生物学科内の同研究会議所属研究所が開発したリューマチ治療薬「HUMIRA」を大手製薬企業のAbbot社にライセンス供与することにより、同社より2億ドル以上のライセンス料を受領することになった。
  • Offshore Hydrocarbon Mapping Ltd
    当社はサザンプトン大学・国立海洋学センターの研究成果を基盤として、ベンチャー・キャピタル・ファンドの助成を受けて2002年に設立された。今では、海底油田用の電磁波(controlled source electromagnetic : CSEM)探査やデータ・プロセッシング等の世界的リーダー企業となっている。
  • Advanced Manufacturing Research Centre(AMRC)
    当センターはシェフィールド大学工学部とボーイング社とのパートナーシップによる、4,500万ポンド(約95億円)をかけた製造技術研究センターであり、シェフィールド大学内に設置されている。英国政府、地方開発エージェンシーおよびEUも資金助成しており、現在、1,500万ポンド(約32億万円)の予算にて、複合・先端材料技術センター(Composite and Advanced Materials Technology Centre)の建設計画を進めている。

【4. 大学のスピンアウト企業への外部からの投資 】

  • 「セインズベリー・レビュー」では、英国のLibrary House社による調査資料の上記のグラフを紹介している。なお、上記グラフのWorld Rankingは「Shanghai Ranking System」のランキングである。
  • 大学発スピンアウト企業への外部からの投資額に関しては、米国のスタンフォード大学がずば抜けているが、英国にはケンブリッジ大学(約1億4,000万ポンド:約294億円)、インペリアル・コレッジ(約7,000万ポンド:約147億円)、オックスフォード大学(約6,000万ポンド:約126億円)、サザンプトン大学(約5,000万ポンド:約105億円)そして2,000万ポンド(約42億円)クラスの大学が幾つかあり、英国の大学の健闘ぶりがこのグラフよりうかがえる。

【5. 研究会議の知識移転活動 】

 アカデミック・スタッフへの研究助成を通じて、大学との関係が深い研究会議(Research Council)の知識移転活動も参考までに紹介する。

  • 芸術・人文研究会議(AHRC)
    「BBC New Media」のBBCスタッフと移動型双方向デバイスやユーザー発信型コンテンツ等の戦略的共同研究開発に取り組んでいる。
  • 医学研究会議(MRC)
    小児白血病治療薬の臨床試験への研究助成を通じて、25年前の5人に1人という同病気による生存率を、現在では5人に4人と大幅な改善を達成した。
  • バイオテクノロジー・生物科学研究会議(BBSRC)
    BBSRCと工学・自然科学研究会議(EPSRC)は共同で、1,000万ポンド(21億円)の予算にて、18社の企業も参加した「バイオプロセッシング」の研究開発プログラムを助成している。その主目的は、バイオ製薬(biopharmaceutical)の効率的生産のための戦略的重要研究課題に取り組むためである。(なお、バイオ製薬は全製薬の3分の1を占める。)
  • 工学・自然科学研究会議(EPSRC)
    EPSRCは8,000万ポンド(168億円)の予算にて、17のInnovative  Manufacturing Centre(IMRCs)を設置した。これらのIMRCは、中小企業を中心とした1,000社を超える企業との共同活動を行っている。IMRCは、企業パートナーからの研究開発へのマッチング・ファンドを期待している。なお、プロジェクト間の助成への柔軟性を与えるために、各センターには5年間の一括助成金(ブロック・グラント)が支給される。

【設置経緯】

 EPSRCの従来の「Innovative Manufacturing Programme」は、70以上の大学に数百のプロジェクトに分散されていたが、クリティカル・マスを持った主導的研究グループへの長期的助成が必要との考えから、当スキームが誕生した。

【設置センター】

  • University of Bath(Innovative Manufacturing Research Centre)
  • Imperial College(Built Environment Innovation Centre)
  • Cambridge Engineering Design Centre
  • Cambridge Institute for Manufacturing
  • Cardiff University Innovative Manufacturing Research Centre
  • Cranfield Innovative Manufacturing Research Centre
  • University of Liverpool(e-Business Research Centre)
  • Innovative Electronics Manufacturing Research Centre
  • Loughborough Innovative Manufacturing & Construction Research Centre
  • Multidisciplinary Assessment of Technology Centre for Healthcare
  • Nottingham Innovative Manufacturing Research Centre
  • University of Reading(Innovative Construction Research Centre)
  • Salford Centre for Research and Innovation in the Built and Human Environment
  • Herriot-Watt University(Scottish Manufacturing Institute)
  • University College London Bioprocessing Centre
  • Warwick Innovative Manufacturing Research Centre
  • 中小企業イノベーション・バウチャー制度(SME Innovation Voucher Scheme)
    2007年、工学・自然科学研究会議(EPSRC)、経済社会研究会議(ESRC)及びインングランド中西部の地域開発エージェンシー(Advantage West Midlands)は共同で、中小企業向けイノベーション・バウチャー制度、「Innovation Delivers Expansion(INDEX)」を発足した。

【概要】

  • イングランド中西部地域の80社の中小企業(従業員数最大250名まで)に、同地域の13の大学にて、イノベーション能力を改善するための相談を受けられるように、一社当たり3,000ポンド(63万円)の無料相談バウチャー「Innovation Voucher」を支給する。
  • 2007年7月には、パイロット・スキームの第1次公募に応じた企業の中から無作為に抽出された40社にバウチャーが支給され、2008年春には、第2次公募の40社にバウチャーが支給される予定である。

【参加大学(13大学)】

  • Aston University(幹事大学) ・University of Warwick ・Keele University
  • Coventry University ・Harper Adams University College
  • University of Worcester ・Open University ・UCE Birmingham
  • University of Wolverhampton ・Staffordshire University
  • Newman College of Higher Education ・University of Birmingham
  • College of Food, Tourism and Creative Studies,

【対象業種】

  • エネルギー ・先端材料 ・医療技術 ・自動車・輸送
  • デジタル・メディア ・加工産業 ・航空/防衛 ・建設、水、環境
  • 輸送システム ・製造 ・エレクトロニクス ・ヘルスケア
  • ソフトウェア、メディア、コミュニケーションズ

【他国の事例】

 同様の制度は既にオランダとアイルランド共和国にて実施されており、成果を挙げている。

  • オランダ
    オランダ経済省(Dutch Ministry of Economic Affairs)のイノベーション・エージェンシー(Senter Novem)は、2004年と2005年において、1,100社の中小企業にそれぞれ7,500ユーロ相当(120万円)のイノベーション・バウチャーを支給した。このバウチャーによる助成は、中小企業が今まで経験したことのない、大学等の公的研究機関や研究重視の大企業との連携を促進した。なお、1,100社中800社が現在でも大学等との連携を継続しているとしている、としている。オランダ政府は、この成功を受け、2006年度より3年間で6,000万ユーロ(96億円)の予算で、当バウチャー制度を継続している。
  • アイルランド
    アイルランドは2007年に同様のバウチャー制度を導入し、第1次として200社の中小企業にバウチャーを支給した。

【6. 筆者コメント 】

 英国の大学は、過去3年間で25社のスピンアウト企業を株式市場に上場させ、それらの企業の株式時価総額は3,000億円以上に上り、活発化していることがうかがえる。

 また、英国の大学の知識移転活動は、「Willis Research Network」のように、従来の技術関連企業との連携という枠を超えて、保険業界との連携という広がりを見せている。

 オランダにて先行して成功を収めているとされる、中小企業と大学との連携促進策の「イノベーション・バウチャー」制度も画期的な試みと思われる。大学の敷居が高く、また高いコンサルタント料がかかるのではないかとの不安から、今まで一度も大学との連携を考えたことのない中小企業が、無料のバウチャーを支給されることによって、大学の専門家に相談してみようという気になる可能性がある。これによって、将来性のある新たな中小企業を発掘する狙いである。

 2008年3月、英国政府は「Innovation Nation」と題する白書を発表した。その中でも、この「イノベーション・バウチャー」制度をイングランド地方全域に拡大し、毎年、500社の中小企業にバウチャーを支給するとしている。2011年までには、毎年1,000社への支給を計画している。

注釈)

  • *1 ポンド : 当レポートにおいては、1ポンドをすべて210円にて換算した。

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