レポート - 英国大学事情 -

2008年2月号「大学におけるヘルス・リサーチ」

掲載日:2008年2月1日

英国在住30年以上のフリーランス・コンサルタント山田直氏が、新しい大学の生き方を求め、イノべーション創出、技術移転などに積極的に取り組む英国の大学と、大学を取り囲む英国社会の最新の動きをレポートします。(毎月初めに更新)

 

【1. はじめに 】

2007年12月、英国大学協会(UniversitiesUK*1)は「Testing times:UK health research in a global marketplace」と題する、英国のヘルス・リサーチへの助成と大学の対応に関するポリシー・ブリーフィングを発表した。これは、2006年末に出された、英国のヘルス・リサーチへの助成に関する調査報告書「Cooksey Review*2」に対応したものである。このポリシー・ブリーフィングの中から、「Cooksey Review」の要点と英国の大学におけるヘルス・リサーチの現状の概略を抜粋して紹介する。

 

【2.「Cooksey Review」 】
  • 2005年、英国財務省は当時の貿易産業省(DTI)内の科学技術庁(OST)所管の医学研究会議(Medical Research Council:MRC)の予算と保健省(Department of Health)所管の国立衛生研究所(National Institute for Health Research : NIHR)の予算を統合して、単一のヘルス・リサーチ予算を統括および配分する組織を立ち上げたい意向を示した。
  • 元ベンチャー・キャピタリストであり、「Joint Healthcare Research Delivery Group*3」のチェアマンを務めた経験のあるSir David Cookseyが、財務省から調査報告の委託を受けた。
  • 同氏はこのレビューを、臨床試験の実施を計画する製薬会社が直面する障害を取り除き、また、開発された薬剤をより早く市場に送り込むための大きな機会としてとらえた。2006年12月、その調査結果および提言が「Cooksey Review」報告書として公表され、より多くの研究を患者にとって目に見える利益に転換するために、国民健康保健サービス(National Health Service:NHS)、医学研究会議およびヘルス・ケア産業間のより一層の組織だった連携が必要とされた。

【主な提言】

  • 「ヘルス・リサーチ戦略連携オフィス」の新設

財務省が当初計画した、医学研究会議と国立衛生研究所の両方の予算を統合して、単一のヘルス・リサーチ助成機関を設置するという案は、基礎研究により重点を置き、より大きな組織である医学研究会議が、統合された組織を支配する恐れがあるとして「Cooksey Review」では支持されなかった。

その代案として、ヘルス・リサーチ戦略連携オフィス(Office for Strategic Coordination of Health Research:OSCHR)の新設が提案された。OSCHRは、政府のヘルス・リサーチ全般にわたる助成戦略を立案し、その全予算を一本化した上で、3年毎の政府の「包括的歳出見直し*4」のための予算案提出の役割を担う。

  • ※ 筆者注:今までは、医学研究会議の予算は科学・イノベーション庁 の「科学予算」として、国立衛生研究所の予算は保健省の予算として、別々に予算申請がなされていたが、2007年度包括的歳出見直し(Comprehensive Spending review)からは、ヘルス・リサーチ助成の予算は一本化されて申請されている。
  • 医学研究会議と国立衛生研究所は、健康への利益とイノベーションの見込みのある研究プロジェクトへの助成金を配分するために、共同の展開医療助成委員会(Translational Medicine Funding Board)を設立すべきである。
  • 2009年春までに、国立衛生研究所を保健省所管のエグゼキュティブ・エージェンシーとすべきである。
  • 公的助成は、患者、国および製薬業界にとって最も大きな効果をもたらす分野に集中すべきである。
  • 現在では、薬剤の開発から市場に出るまで平均12年かかっているが、臨床試験手続きのスリム化等により、より早い実用化を図るべきである。例えば、フル・ライセンスを出す前の条件付ライセンス(conditional license)も考慮すべきである。
  • ※ 政府は2007年6月、上記の提言を概ね受け入れる姿勢を示した*6

 

【3. 英国の大学におけるヘルス・リサーチの現状評価 】

3-1) 長所

  • 長年にわたり、国際的に高い評価を得ている。
  • 不正研究行為のリスクを削減する方策を採用し、かつそれを強化している。
  • 質の高いスタッフを擁し、多様な研究分野を持つ。
  • 国民健康保険サービス(NHS)との強固なパートナーシップを持つ。
  • 英国のチャリティー機関からの多額な研究助成金を受けることができる。

3-2) 弱点

  • NHSにおける頻繁な組織の改変からくる将来的な不安定さのため、NHSとの共同研究はたびたび困難が伴う。
  • すべての研究プロジェクトが、NHSの利益に直ちに結びつくとは限らない。
  • 研究は長期にわたることもあり、大学が常に市場のニーズに素早く対応できるとは限らない。
  • 大学はNHSだけではなく、チャリティー機関、研究会議および企業という、異なるパートナーのニーズにも対応しなければならない。
  • 英国における研究活動のコストが高い。(特に薬剤の臨床試験)
  • 医療の専門スタッフを大学に採用することは、ますます困難になってきている。(給与面等)
  • NHSにおける煩雑な書類手続き等は、英国における研究を思いとどまらせる可能性がある。
  • 研究会議、チャリティー機関およびNHSの研究助成メカニズムが異なる。

3-3) 好機(Opportunities)

  • 政府による研究助成金は、今後とも増額傾向が維持されると予想される。
  • 患者に早期の利益をもたらすと考えられる研究には、公的助成の機会が増加するであろう。
  • 研究者に商業的利益等を与えることによって、患者の利益をもたらすと考えられる研究開発を、より早く市場に送り出すことも可能であろう。
  • 「Biomedical Research Centre*7」イニシアティブを構成する大学は、特に臨床研究において、今後ますます強くなるであろう。
  • 政府が選定した優先的ヘルス・リサーチ分野に重点を置く大学は、追加的助成を受けるというメリットがあろう。
  • 比較的少数の大学や研究機関によって維持されている、ヘルス・リサーチにおける英国の主導的な国際的位置づけは、高等教育分野すべてにおける研究活動に継続的な利益をもたらすであろう。
  • 海外に展開する研究開発は、新たな国際連携の機会を大学にもたらすであろう。

3-4) 脅威(Threats)

  • インドや中国を含めた海外の研究機関の発展は、より安価な研究拠点のオプションを提供する可能性がある。(特に薬剤の臨床試験等において)
  • 今後のNHSの研究助成は、過去10年間の増加率ほど高くないと考えられ、NHSトラストの中には、恒常的な資金難に悩まされるところも出てくるであろう。
  • 患者により迅速な利益をもたらすことが期待される応用研究への重視は、基礎研究への公的助成に影響を与える可能性がある。
  • 政府による介入が研究テーマを決定し、科学者によるボトムアップ型の考え方や研究が減少していく可能性がある。
  • スコットランド等の地方分権政府は、全英国をカバーするフレームワーク内で研究活動を行うのではなく、独自の研究テーマを追求することができるため、より広範囲の英国の戦略を複雑化する可能性がある。
  • 政府は創薬研究に力を入れすぎて、非臨床および非商業的臨床研究の優先度を犠牲にする可能性がある。
  • 英国のチャリティー機関の研究助成プログラムへの、海外からの応募が増加する可能性がある。
  • ヘルス・リサーチ助成への更なる集中化により、当該分野の研究から撤退する大学も出てくるであろう。

 

【4. ヘルス・リサーチに関する統計資料 】

4-1) ヘルス・リサーチへの支出

(2006年度)
ヘルス・リサーチへの支出
(出典:「A review of UK health research funding」by Sir David Cooksey 2006)
    ※ 筆者注:
  • 当然ながら民間企業の研究費が圧倒的に多いが、チャリティー機関からの助成が公的助成であるイングランド高等教育助成会議(HEFCE)と医学研究会議(MRC)からの助成を合わせた額より大きいことは注目される。
  • 「Dept of Health」は保健省。イングランド地方とは異なり、スコットランド、北アイルランドおよびウェールズの地方分権政府は独自の助成を行っているために、上記のグラフでは独立した助成元として標記されている。

4-2) 英国の大学のヘルス・リサーチ関連収入

(2005・06年度)
英国の大学のヘルス・リサーチ関連収入

    ※ 筆者注:
  • 英国のチャリティー機関からの助成額が圧倒的に多く、4億8140万ポンド(1,060億円*8)と31.5%を占める。続いて、高等教育助成会議による研究評価に基づく助成(23.0%)、中央省庁・地方自治体・NHS等(16.5%)、研究会議(13.1%)、EU域外(6.0%)、産業界(5.1%)、EU政府(2.6%)の順である。
  • 英国には、世界でも有数の医学系チャリティー機関がいくつかあり、その代表的な機関が、ウェルカム財団とキャンサー・リサーチUKである。それぞれ、年間約1,000億円規模の予算を持っている。

【ウェルカム財団】(Wellcome Trust*9)

ウェルカム製薬の創設者の Wellcome氏によって1936年に設立され、現在では130億ポンド(2兆8,600億円)の資産を有する、英国最大のバイオメディカル関係のチャリティー機関である。財団の基本財産の運用収益をもとに、年間約4億5,000万ポンド(990億円)の予算にて以下の諸活動を行っている。
  • バイオメディカル研究および助成
  • 医療人文学(medical humanities:バイオメディカル倫理と医学史を含む)
  • 技術移転(医療ニーズへの商業的応用)
  • 国民の科学への参画

【キャンサー・リサーチUK】(Cancer Research UK)

非政府系の独立組織としては欧州最大のがん研究助成機関である。キャンサー・リサーチUK自身が所有する研究所や臨床センターの約4,250名の科学者、医師および看護士への助成のほかに、外部研究機関にも広範囲な研究助成を行っている。年間約4億1,100万ポンド(904億円)に上る募金活動収入を含めた年間予算は、4億6,800万ポンド(1,030億円)である。その内、3億1,500万ポンド(693億円)が、がん研究への助成であり、2010年までには、その助成額を4億ポンド(880億円)まで増額する計画である。

4-3) 英国の大学の医学・歯学・保健関連のアカデミック・スタッフ数

(2005・06年度)      
グレード 授業のみ 授業と研究 研究のみ その他 合計
教授 10 3,420 45 30 3,510
シニア・レクチャラー 240 6,155 365 15 6,780
レクチャラー 2,255 9,045 675 30 12,005
リサーチャー 20 255 11,460 5 11,745
その他 3,915 855 640 210 5,625
合計 6,445 19,735 13,185 295 39.660
  • 英国におけるアカデミック・スタッフ総数は160,655名なので、医学・歯学・保健関係のスタッフ数は約25%を占める。
  • 約4,000名の臨床スタッフのうち、NHSの助成を受けるスタッフは約1,000名。

 

【5. 筆者コメント 】

2006年の「Cooksey Review」により、英国では省庁をまたがるヘルス・リサーチの戦略を立て、その予算を一本化して予算案を提出することが2007年より始まった。ここでも、英国における省庁横断型の取り組みが進展していることがうかがわれる。

当レポートからも明白なように、英国においても基礎研究と応用研究、ボトムアップ型とトップダウン型研究のバランスが問題になっている。また近年では、「イノベーション」というキーワードが英国でも頻繁に使用されるようになった。現に、2007年のブラウン新内閣発足に伴う省庁再編では、「イノベーション・大学・技能省:Department for Innovation, Universities and Skills」という、「イノベーション」という言葉が省の名前の一部になった省も誕生している。

これによって、従来は旧貿易産業省(DTI)内の科学・イノベーション庁が担当する「イノベーション政策」と旧教育技能省が担当する「大学政策」が、同一の省にて担当されることになった。

英国は、研究成果を迅速に商業化に結びつけるのが得意でないとも言われており、基礎研究をおろそかにはしないものの、今まで遅れ気味であったとされる、より市場に近い応用研究に力を入れ始めているように感じられる。

又、英国にて「イノベーション」という言葉のほかに、研究の「critical mass」という言葉を見聞きすることが最近多くなった。研究成果をあげるために必要不可欠な一定規模という意味合いで使用されているものと思われる。

2007年12月、医学研究会議、チャリティー機関のCancer Research UKとWellcome Trust、およびUniversity College Londonは共同で、政府の財政支援のもと、2013年末までに5億ポンド(約1,100億円)の予算にて、最大1,500名の医学関連研究者とサポート・スタッフを集めた、「英国医学研究・イノベーションセンター:UK Centre for Medical Research and Innovation 」をロンドンの中心地、St Pancras駅*10の隣に設立する構想を発表した。

医学研究会議所属の国立医学研究所、チャリティー機関および大学と、形態が異なる機関が連携して医学研究の一大拠点をロンドンの中心地に設立する動きであり、これも「イノベーション」の促進と「critical mass」の構築を目指した構想と思われる。

 

注釈)

  • *1 UniversitiesUK : 英国の131大学の学長によって構成される。その母体は、1918年に設立されたCommittee for Vice-Chancellors and Principals
  • *2 Cooksey Review : http://www.hm-treasury.gov.uk/independent_reviews/cooksey_review/cookseyreview_index.cfm
  • *3 Joint Healthcare Research Delivery Group : 保健省と医学研究会議の研究機能をコーディネートするグループ
  • *4 包括的歳出見直し : Comprehensive Spending Review。英国の国家予算は、通常3年間の予算として発表される。
  • *5 科学・イノベーション庁:2007年7月の省庁再編により、新設のイノベーション・大学・技能省内に編入された。なお、科学技術庁(OST)は、科学イノベーション庁(OSI)の前身。
  • *6 上記の提言を概ね受け入れる姿勢を示した : http://www.publications.parliament.uk/pa/cm200607/cmselect/cmsctech/978/978.pdf
  • *7 Biomedical Research Centre : NHSが、大学やNHS内の研究所に設置した、イノベーションと展開研究を促進するための11ヶ所の生物医学研究センター
    http://www.nihr.ac.uk/infrastructure_biomedical_research_centres.aspx
  • *8 ポンド : 当レポートでは、1ポンドを220円にて換算した。
  • *9 Wellcome Trust : http://www.wellcome.ac.uk/
  • *10 St Pancras駅 : 2007年秋、従来のロンドンのWaterloo駅に代わって、欧州大陸との玄関口となるユーロスター列車の終着駅となった。
ページトップへ