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失敗恐れず、好奇心を大切に、と若い世代にエール 赤﨑、山中両氏がJSTの記念公開対談で

掲載日:2016年1月12日

ノーベル賞受賞学者の赤﨑勇(あかさき いさむ)名城大学終身教授と山中伸弥(やまなか しんや)京都大学教授(iPS細胞研究所所長)が9日、名古屋市内のホテルで公開対談し、「失敗を恐れずたくさんのことに挑戦して」「好奇心を持つことが最も大切」などと、若い世代にエールを送った。対談は、科学技術振興機構(JST)が20周年記念事業として主催。会場に詰めかけた小中学生、高校生ら約700人は、ノーベル賞学者自身の経験から語られる熱いメッセージに聞き入っていた。

9日、名古屋市内で開かれた赤﨑勇教授と山中伸弥教授の公開対談
写真1. 9日、名古屋市内で開かれた赤﨑勇教授と山中伸弥教授の公開対談

山中教授は、2012年に人工多能性幹細胞(iPS細胞)の研究成果で医学生理学賞を、赤﨑教授は2014年に青色発光ダイオード(LED)の開発で物理学賞(3人共同受賞)をそれぞれ受賞している。対談は科学ジャーナリストの辻篤子(つじ あつこ)さんが進行役になって進んだ。2人は学生生活から語り始めた。

山中教授は、神戸大学医学部の学生時代「試合は弱かった」というラグビー選手だった当時のエピソードをまず披露。10回以上骨折して「スポーツ選手のためになりたい」と整形外科医になったが、結果が予想の逆になった薬理実験を経験。「予想通りにならずに逆になった結果に興味を覚えた。あの実験がなかったら違う人生だった」と研究者の道を歩み始めたきっかけを紹介した。

会場の若い世代に語りかける山中伸弥京都大学教授
写真2. 会場の若い世代に語りかける山中伸弥京都大学教授
学生時代のエピソードなどを話す赤﨑勇教授
写真3. 学生時代のエピソードなどを話す赤﨑勇教授

赤﨑教授は、故湯川秀樹博士が物理学賞を受賞した1949年に京都大学に入学している。「戦後間もなくの時期でまだ戦争の焼け野原が残っていた暗い世相の中でノーベル賞受賞はすごいことだと感じた。自分も誰もやったことがないことをやってみたいと思った」と回想した。

1970年代の青色LED開発の過程で、当時の大部分の研究者は材料として窒化ガリウムを使うことを断念したが、赤﨑教授はあきらめずに窒化ガリウムの可能性を信じて結晶研究を続けた。当時の松下電器産業(現パナソニック)東京研究所での日々を思い出しながら「営業職などの部署の社員と交流した経験がどんな製品が求められているか、を考える助けになった」「(窒化ガリウムは)やめたらと言われたが自分は絶対にできると考えていた」「研究は楽観的にやった方がいい」などと語り、粘り強く研究を続ける大切さを訴えた。

対談は佳境に入り、学生からの質問に2人が答える形になった。最初に小学5年の男児から「好きなことば」を聞かれると、赤﨑教授は「経験は最高の師」を挙げ、その理由を「失敗しても自分の糧になるから」と説明した。山中教授は「高くジャンプしたかったら、思い切りかがむことが必要、とどこかで読んで覚えている。当たり前のことかもしれないが、苦しい時は(気持ちが)低くなるが次のジャンプにつながると考えてほしい」と分かりやすく答えていた。

中学1年の女生徒から「ノーベル賞を受賞するために必要なことは」と問われると、山中教授は「実験をやっていると意外な答えを自然が返し、教えてくれる。それを追求すること(から受賞につながる)」。高校1年の女生徒は「専門分野以外でヒントになった言い伝えはありますか」と質問。赤﨑教授は「天才とは1%のひらめきと99%の努力」というエジソンのことばを英語で紹介し、粘り強く汗をかきながら努力することが大切、という意味を説明した。山中教授は背後の大スクリーンに「人間万事塞翁(さいおう)が馬」と映し出し、意味を解説した。どんなことがあっても前向きにとらえることの大切さを伝えたかったようだ。

大学2年生の男子学生から「研究者にとって一番大切なのは」と質問されると二人揃って「好奇心」。山中教授は「予想と違った結果が出た時にそれを面白いと感じる気持ちが大切」「自然科学は(実験)結果を透明な目で、白い心で見ることが大切」と付け加えた。

最後に、若い世代へのメッセージとして、山中教授は「若いころはたくさんのことに挑戦してほしい。失敗は財産。失敗する中でやりたいことがつかる。失敗を恐れずいっぱい失敗して成長してほしい」。赤﨑教授は「(科学には)まだ分かっていないことがたくさんある。分かっていないことの方が多い。若い人が活躍できることは無限にある」「若い時は人生のキャンバスに余白がある。焦らずに失敗しながらやりたいことを見つけてほしい」と熱いメッセージを送った。

赤﨑教授、山中教授はともに、これまでも受賞記念講演やさまざまな場で、科学の未来や若い世代への思いを語っている。

赤﨑教授は「(LEDの技術は)環境や省エネ技術など人類に利益をもたらす技術として現在も発展し続けている。成果の多くは学生や共同研究者の多大な貢献のたまもので心から感謝する」(2014年12月、ノーベル賞受賞記念講演で)「成否を考えず、ただ自分のやりたいことをやってきた。私1人でできた仕事ではない」(14年10月、受賞が決まった際の記者会見で)「記念講演後、たくさんの学生が出口に立っておられた。一人一人にサインできなかったことが心残りだ」(14年12月、授賞式から帰国、羽田空港で記者団に)など。

山中教授は「研究や人生もマラソンと同じ。勝てなくても最後まで走り抜かなかなければならない」(08年4月、神戸大学の入学式で)「9回失敗しないと1回の成功はやってこない。やめたくなったり泣きたくなったりしたこともあった」(12年10月、受賞決定から一夜明けた会見で)「米国に行くと科学者が多くの子ども、若者にとって憧れの仕事である気がするが、日本はまだそこまでいっていないのではないか」(12年12月、ノーベル賞授賞式に際しての記者会見で)「失敗しないと成功できない。もうだめだと思ったらゴールの直前だったということもある」(同)など。

ノーベル賞受賞という偉業を成し遂げた2人とも自らの経験そのものや周囲の人びとに対する感謝、そして科学の未来や若い人へ託す気持ちはずっと変わらない。

対談で山中教授は歯切れのいい語り口で、赤﨑教授はゆっくりと穏やかな口調でそれぞれ会場に語りかけた。会場から出てきた名古屋市内の中学、高校生は「分かりやすい話で偉い先生が身近に感じた」「ノーベル賞学者もいろんな苦労を乗り越えてきたんだなあと思った」「塞翁が馬の話は初めて聞いたけど、そうだなと思った」などと、率直な感想を話してくれた。今回対談した赤﨑、山中両教授は、研究者としての個性、分野や歩んだ道は異なるが、自らの経験を振り返りながらのエピソードやメッセージは、会場の若い世代にしっかり届いたようだ。

会場で熱心に公開対談を聞く約700人の聴衆
写真4. 会場で熱心に公開対談を聞く約700人の聴衆

この公開対談は、JSTが20周年記念事業として「最先端の研究を切り開いてきた研究者の視点から日本の科学技術の在り方について話してもらおう」と企画した。

対談に先立ちJSTの濵口道成(はまぐち みちなり)理事長は小中学生、高校生らを前に「これからの長い人生は平たんでないかもしれないが、いつか晴れる日が来る、と信じてやれるかどうかで偉大な仕事ができるかが決まる。2人の話をしっかり聞いて自分のこれからを考えてほしい」と激励した。JSTは、昨年11月で10回目を数えた毎年恒例の科学イベント「サイエンスアゴラ」でも、実験や講演などの企画を通じて第一線の研究者自ら若い世代へ科学の面白さや魅力を伝え続けることを重視している。

(内城喜貴)

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