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東電社員殺害再審決定で問われているのは

掲載日:2012年6月8日

「冤罪(えんざい)の疑いが濃厚」という指摘が早くから出ていた東電女子社員殺害事件で東京高裁が7日、無期懲役が確定していたネパール国籍のマイナリ受刑者の再審請求を認め、さらに刑の執行を停止する決定を出した。

今回の決定では、再審請求審で高裁が「新事実が分かる可能性がある証拠は開示されるべきだ」との考え方を示し、検察側がこれに応じた結果、42点の物証のDNA鑑定が行われたことが決定的な役割を果たした。背景に2009年の裁判員裁判の開始に伴い、証拠開示の範囲を広げる法の改正があったことが指摘されている。さらに2010年に無期懲役が確定していた足利事件の菅家利和さんが、DNA鑑定の誤りがはっきりしたことで再審無罪になったことも影響したとみられている。

冤罪の可能性が高いとして再審を求めているケースはほかにもたくさんある。被疑者の自白以外に有力な根拠がないか、あるいは状況証拠だけで有罪判決が確定する裁判の在り方に対する批判の声が聞かれて長い。東京新聞は6日朝刊の社説で「もはや問われているのは、検察や裁判所の良心ではないか」と断じている。読売新聞は「再審開始に至るまでの、複雑で時間がかかる制度の在り方を再検討する時期にきているのではないか」と6日朝刊の社説で提言した。

しかし、良心や制度以前に、検察官や裁判官に求められていることはないだろうか。

今回の決定でポイントの一つになったことに、殺害現場のトイレから見つかったコンドーム内の精液がある。マイナリ元被告を有罪とした判決では、「被害者と性交したのは事件の1週間から10日前」という元被告の主張をしりぞけた。今回の決定では「確実に言えることは『元被告が現場でだれかと性交した可能性が高い』ということにとどまる」と証拠にはなり得ないとする明快な判断が示された。

この点については2003年10月に最高裁が被告のマイナリ元被告の上告を棄却し、無期懲役が確定する前に、弁護側から「事件の10日ほど前のもの」であることを裏付ける鑑定書が提出されている。押田茂實・日本大学医学部教授がネパール人5人と日本人3人のボランティアから提供された精液をコンドームに入れ、日本大学の和式トイレで事件が発生したと同じ時季に30日にわたって精子の形がどう変化するか実験したデータに基づく鑑定結果だ。

現場で見つかった精子は、頭部のみで尾部は痕跡程度という正常な状態とはほど遠い形をしていた。押田教授が水洗トイレ用の洗浄・消臭・芳香剤が混入した水、何も含まない水を使って実験したところ、頭部のみで尾部は痕跡程度しかない、つまり現場で見つかったような精子はトイレに捨てた5日後で全体の約1割しか含まれず、10日後になると25-42%に増え、20日後で80数%から90数%となることが確認された。つまり、コンドームは元被告が被害者と性交し、殺害した日に捨てたという主張と相容れない実験結果となっていた。最高裁がこの鑑定結果を無視しなければ、事件当日、マイナリ元被告が被害者と性交を行った後に殺害し、コンドームをトイレに捨てたという検察側の主張は10年前のこの時点で否定されていた可能性があるということだ。

弁護士や司法修習生の有志は1994年から日本大学法医学教室で実習を受けることができるようになった。裁判官や検察官も実際のDNA型鑑定実習を実際に体験して、科学の進歩と危険性を実感できるようにする制度を求める声が、今回の決定をきっかけに高まることが期待される。冤罪を主張して再審を求めている受刑者、刑期修了者、遺族はまだたくさんいるが、今回のように的確な科学的判断ができる裁判官たちに巡り合えるとは限らないからだ。

「問われているのは検察、裁判所の良心ではないか」という東京新聞社説の主張以前に、「検察官、裁判官全体の科学リテラシーを、どうしたら一定レベル以上に上げられるのか」という抜本的方策が、早急に求められているのでないだろうか。

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