レビュー

「もんじゅ」もう一つの側面

2010.05.10

 高速増殖原型炉「もんじゅ」は6日、14年半ぶりに運転を再開した。新聞各紙とも多くの紙面を割き、さまざまな角度から運転再開の意味をとらえている。

 「もんじゅ」の前途には多くの課題がある—。各紙に共通した指摘だ。「もんじゅ」あるいは「高速増殖炉」についてほとんど知識がないか、希薄になっている読者を想定して“おさらい“をするのは当然の姿勢だろう。

 高速増殖炉を核にした核燃料サイクルが筋書き通りに完成すると、ウラン資源枯渇の心配が事実上なくなり、日本にとっては準国産エネルギーを手にすることもできる。そのようにいわれている技術システムだ。開発が苦労なく進むと考えたら、虫がよすぎる。科学・技術に詳しくない多くの読者に、技術開発の難しさを理解してもらう上で、このような記事の意味は大きい。

 一方、そのように考えると、むしろ逆の効果をもたらしかねないのでは、とあらためて気になる記述もある。

 「今回失敗すれば、再起は二度と難しいとされる」(東京新聞6日夕刊)、「二度と失敗が許されない国家プロジェクト」(毎日新聞6日夕刊)…。ここで想定されている「失敗」とは何か。運転を再度停止しなければならないようなミスが起きたら「すべておしまい」ということだとすると、どうだろう。日本では独自の大型技術開発プロジェクトは事実上できないか、極めて困難ということになりはしないだろうか。蒸気機関にしろ航空機にしろ、最初に挑戦した人たちは失敗に次ぐ失敗だったろうから。

 もうひとつナトリウムを冷却材に使うことが大きな難点だ、とする記述が多い。「空気や水に触れると激しく反応するナトリウムを冷却剤に使い、…運転管理や保安面の難しさが指摘されてきた」(朝日新聞6日夕刊)、「空気と触れると燃えやすいナトリウムを、炉の熱を取り出す冷却材に使う」(日経新聞6日夕刊)、「発火しやすいナトリウムの制御など、克服しなければならない技術の壁もまた高い」(産経新聞7日朝刊)、「ナトリウムは空気や水に触れると激しく反応し、扱いが難しい」(毎日新聞7日朝刊)、「冷却材のナトリウムは火災が起きやすい上、…」(東京新聞6日夕刊)と、どの新聞もナトリウムを危険視している。

 しかしである。例えば高温高圧の熱水が冷却材として炉心と冷却管内を循環している今の原子力発電所(軽水炉)に比べて、困難さの度合いはどれほどのものだろう。圧力も高くないナトリウムを冷却材に使うことが工学的にそれほど危険なことなのか。専門家はもっとマスメディアに説明すべきではないだろうか。

 すっかり悪玉になってしまった観を呈するナトリウムについては次のような見方もある。

 「事故当時の原子力行政にかかわる人たち、あるいは動力炉・核燃料開発事業団(当時) には物理を勉強した人、流体力学の専門家はたくさんいた。しかし、化学、化学反応に習熟した人はほとんど採用されていなかった」(前田正史 氏・東京大学理事・副学長)

 前田氏によると、動力炉・核燃料開発事業団は「ナトリウムと空気の反応だけしか考えていなかった。しかし、鉄もたくさんある。空気に触れてできた高熱のナトリウム酸化物が落下し、鉄管や空中のダクト、これらの鉄とナトリウムが反応することを想定してなかったため、あのような大きな火災になってしまった」

 要するに、錬金術の時代から経験知として積み上げられてきた化学の知識を十分生かさなかったために、高速増殖炉開発で日本が世界の先頭に立つチャンスを棒に振ってしまった、というわけだ。

 「もんじゅ」がこの先、何の問題も起こさず役目を全うする、と考える関係者がどの程度いるかは分からない。しかし、もし問題が生じた場合、日本が高速増殖炉開発を進める意義が有るのか無いのか、という観点に立った報道を期待する関係者はまず間違いなく多いのではないだろうか。「それ見ろ。ナトリウムを使うからだ」というだけで切り捨ててしまわないような。

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