レビュー

世界ジオパーク認定の意義

2009.08.25

 洞爺湖有珠山、糸魚川、島原半島の3地域が世界ジオパークに認定されたニュースに、一番喜んでいるのは地学の教師、研究者たちではないだろうか。

 イタリア・ポンペイといえばベスビオ火山の噴火(79年)で一瞬のうちに火山灰の下に埋まってしまった町として知られる。噴火で埋まった家の真下に、なんとさらにその前の噴火で埋まった家の跡が。そんな場所も近くに発掘されていたから、たぶん今でも目にすることができるだろう。この地域一帯がベスビオ火山の噴火で壊滅ないし壊滅的被害を受けたのは一度ではない。火山の活動というのは人間の生活や歴史の時間軸とはまるで異なり、そのエネルギーはとてつもない、ということが普通の人間にも一目瞭然だ。

 雲仙普賢岳の噴火(1944-45年)でも、火砕流の下に家がすっかり埋まる被害が出た。その跡を見た時、これは片付けてしまわず、ポンペイのように遺跡として残すべきではないか、と考えたことを思い出す。

 さて、その島原半島を含む3カ所が世界ジオパークに認定されたことを一番喜んでいるのは地学の教師や研究者ではないか、と思ったのは次のような理由からだ。

 理科教育軽視、理科離れが叫ばれているが、かつて高校教育で同等の扱いをされていた「物理」「化学」「生物」「地学」4教科のうち、特に地学の地盤沈下は著しい。物理と化学が日本の製造業重視の機運にも乗ってそこそこ大事にされてきた。しかし、地学同様、生物も戦後生物化学の勃興によって、伝統的な生物学である分類学が大学の講座からなくなるなどの危機に立たされた。

 地学の場合は、もっと変化が激しい。明治時代、最初につくられた国立研究所が地質調査所だったという事実から見ても地学、地質学者の地位は元々、高かった。これは太平洋戦争中も同様である。しかし、経済の高度成長期、安価な原料を海外から大量に輸入する傾向が強まり、国内での鉱産物生産の必要性は低下、それによって学校教育における地学も軽視されるようになった、と言われる(小泉武栄 氏・東京学芸大学教授、2007年12月19日レビュー「学校教育における『環境』と『地学』の位置は?」参照)。

 生物学(者)の場合は、自然保護運動や環境問題に取り組むことで社会的要請にこたえ、地盤沈下を食い止めてきたのに対し、地質学者は、「資源中心の学問体系を変えようとしなかった。自己変革を怠り社会から遊離して象牙の塔に閉じこもった」(山本壮毅 氏、2007年7月12日レビュー「地質学は元気になれるか?」参照)という指摘もある。

 地球環境が人類の直面する最も大きな課題の一つで、この解決のためには物理、化学、生物と並び地学の役割は大きいはずだ。「地学研究者の層はますます薄くなっており、特に野外で調査にあたる地質学者や地形学者は、後継者を育てることすら難しくなっている」(小泉武栄 氏・東京学芸大学教授)という現実との落差をどうするのか。

 とにかくさまざまな手を尽くさない限り、地学軽視の傾向は変えようがないと思われる。洞爺湖有珠山、糸魚川、島原半島の3地域が世界ジオパークに認定されたことは、こうした現状を変える一つのきっかけになり得るのでは。そう考えたのだが、果たしてどうだろう。

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