レビュー

容易でない医療産業の強化

2009.03.30

 総合科学技術会議の有識者議員が、「将来の成長に向けた科学技術政策の重要課題」(中間的なまとめ」)を公表した。

 「低炭素社会の実現」「人材最大活用社会の実現」「基礎研究の強化による常識を覆す新しい知の発見」「知的財産戦略」と並び、「健康長寿社会のニーズに応える医療産業の強化」を提言しているのが目を引く。

 この中に「これまで整備を図ってきた橋渡し研究・臨床研究拠点について、再生医療など研究開発ターゲットを明確化し、特色を持った拠点として重点強化」が挙げられている。橋渡し研究・臨床研究拠点については「これまで整備を図ってきた」と書いてあるが、実際には「国際的に見て立ち後れている」というのが実態ではないか。「臨床研究・治験の総合的な制度改革」も同時に提言されている。こちらも、基礎的研究成果と薬品・医療機器製品化の間に「死の谷」と呼ばれる長い空白期間が横たわっている、という声をよく聞く。最も深刻なのは、橋渡し研究・臨床研究を担う人材が決定的に不足していることのようだ。

 井村裕夫・先端医療振興財団理事長(元京都大学総長)は、医師だけでなく生物統計、臨床疫学、医療倫理、クリニカル・リサーチ・コーディネーター、データマネージャーなどさまざまな専門家の養成が重要で、さらに一般病棟とは別に臨床研究のための病棟と専門のスタッフを持つ臨床研究センターが必要だ、と言っている(2008年3月18日インタビュー「急を要する臨床研究体制の改革」第4回「多様な専門家の育成も」参照)。

 さらに、橋渡し研究・臨床研究の実情に詳しい渡邉俊樹・東京大学大学院新領域創成科学研究科メディカルゲノム専攻長によると、基礎研究の成果を薬や診断に応用することを目指す橋渡し研究は、既存の基礎研究と基本的に異なる領域で、これを担う若者をどう教育していくかについての議論が欠落している、という(2009年2月9日インタビュー「基礎研究と臨床医療を隔てる死の谷」第1回「まともな議論ない日本」参照)。

 基盤整備として「生活習慣病等の原因解明や予防・治療法の確立を目指して、倫理面に配慮しつつ、大規模集団疫学調査データとゲノム情報を融合した研究を推進」も挙げられている。「大規模集団疫学調査」というのは大規模コホートを指していると思われるが、これもまた英国や米国などに比べ完全に見劣りする分野である。科学技術振興機構・社会技術研究開発センターの研究開発「日本における子供の認知・行動発達に影響を与える要因の解明」が、小規模な研究として目につく程度だ。

 赤ちゃんは小さく産んで大きく育てた方が母体の安全からみてよい。長い間信じられてきた“常識”が、全く誤りであることが分かったのは、英国で行われた大規模コホート調査からである。母親が十分な栄養をとらないために胎児期に低栄養状態に置かれると、成人になってから心筋梗塞(こうそく)や高血圧など心血管障害にかかりやすいことが、50年、60年という長い年月をかけた追跡調査で裏付けられたからだ(2009年3月23日インタビュー・五十嵐隆・東京大学大学院小児科教授「子どもを大事にする国に」第2回「子どもを不幸にする親たち」参照)。

 このような大規模コホート調査がこれまで日本で行われなかったのは、大勢の調査対象者を何十年も追跡しなければならず巨額な費用を必要とするからと思われる(2008年10月21日インタビュー・安梅 勅江・筑波大学大学院教授「政策決定の科学的根拠に -コホート研究の役割」第1回「根拠に基づく社会支援に必須」参照)。

 総合科学技術会議が、医療産業の強化を日本の将来にとって非常に重要な位置を占めている重点課題として提言したことは、時宜を得た措置と言えるだろう。ただし、実行に移し、期待される成果を挙げるのは簡単ではなさそうだ。

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