レビュー

情報と信頼性とは?

2007.11.07

 図書館にある情報もWeb上の情報も、発信者・受信者双方に決断と意思決定が必要とされることにおいて変わりはない…。

 「情報管理」11月号に、影浦峡・東京大学大学院教育研究科准教授が「情報と信頼性」という記事を書いている。

 冒頭に引用されているのが、7月24日付朝日新聞朝刊「私の視点」に掲載されていた「ウィキペディア 安易な引用はやめよう」という時実象一氏の文章だ。

 この文章を批判するのが目的ではない、と影浦氏は明確に断っている。「学校で書くリポートや職場で提出する報告書に記載する情報は信頼性が第一だ。信頼性とは追跡可能性であり検証可能性である」というのが時実氏の文章のポイントだとして、情報と信頼性の関係について論を進めている。

 影浦氏によると、信頼性をめぐる議論では3つのモデルを区別することができるという。「真理のモデル」、「安定した形式的体系と価値・信頼性のモデル」に加え、「不安定な部分体系の連鎖および決断に基づく部分的な信頼性創生の連鎖モデル」が挙げられている。
この3番目のモデルは「受信者は発信者と同様にあからさまに意志決定を要する点で前2者のモデルと顕著に異なる」のが特徴で、「典型例をWebが担う」という。

 「決断も意志決定もなしにWeb上の情報を使おうとするならば生々しいいかがわしさが露呈していくように感じられて形式的体系に閉じこもりたくなるのも理解できなくはない」とも書いている。

 「ネットではしばしば媒介性のない感情的論争が短期間に繰り返されるのに対して必要な時間を確保するために比較的有利なモノ的属性を備えている」という性格を本と図書館は備えている。しかし、それは「本の情報がWeb上の情報よりも信頼できる点にあるのではない」というのが、影浦氏の強調したいことのようだ。

 ウィキペディアに代表されるWeb上の情報の信頼性については、これからもさまざまな議論が展開されるのだろう。影浦氏の指摘は、氏が問題多々ありと見ているかもしれないマスメディア業界の少なからぬ人間にむしろ理解されるのではないか、とも思える。マスメディア内の人間にとっては、言うまでもなく情報を発信するのが早いか遅いかという時間の要素が、研究者や一般の人よりはるかに大きな意味を持つ。

 図書館にあるのはとっくにだれかによって発信された情報でしかなく、価値は低い。最上の情報は、社会に大きな影響を与える可能性のある個人の胸の中にある。印刷物になった情報よりは、Web上で飛び交っている“生々しいいかがわしさ”を感じさせる情報の方がまだ価値がある、と考える記者が多いのでは、と思われるからだ。

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