レビュー

事故は日常起こるミスの連鎖か

2007.03.20

 北陸電力の臨界事故隠しが明るみに出た後、“積ん読”状態だった「林知己夫著作集」(勉誠出版)の何ページかを拾い読みしてみた。

 「かつて国鉄事故調査分析をながく手がけて、その統計的分析をしていた。…事故は人間社会では必ず生ずるもので、これをいかに生じないようにするか、をわれわれは絶えず考えているのだという発想が重要であることを知った。『事故の生じないのがあたりまえ』ではなく、人間が物を作り、運用するものである以上『事故は生ずるのがあたりまえ』で、人々の絶えざる営みによって防止しているのであり、どこかに油断が出れば事故は必ず生ずるという考え方である。そこで、『現象としての事故』を分析したところ、ある不具合の事象の連鎖によって生じているものだということが解ってきた。日常おこるであろうミスの連鎖によって事故がおこり、その鎖がどこかで断ち切られていれば事故となって出現しないのではないかと考えられてきた」(「事故対策と統計的データ解析」=第13巻「教育を考える」に収録)

 このあとに、さらに重要な指摘が続く。

 「このミスの連鎖は、どうして鎖になったか解らぬようなものが多く三重四重のチェックをくぐりぬけておこるもので単純なものではない。AならばBという発想では解けぬもので、相互関連性を探る必要を感じた。しかし、事故分析はここまでで、これ以上進むためには、日常において起こる事故以前のミスを調べなくてはならない」

 定期点検中に制御棒が抜け落ちる、という北陸電力で起きた「想定外」の事象と類似の事象が、東北電力女川原子力発電所1号機と中部電力浜岡原子力発電所3号機でも起きていたことを、両電力会社が19日、初めて公表した。北陸電力の事故(1999年)が起きるだいぶ前、88年と91年に、である。

 北陸電力事故との大きな違いは、臨界に達する前に運良く事態が収拾できたという点にある。法令に基づき国への報告が必要となる事象とされている「トラブル」の範疇にはいらないので、未公表でも法的には問題はなかった、というわけだ。

 しかし、自社、他社を問わず原子力発電所の大事故が起きたときの影響を考えれば、この対応、こうした考え方が適切だった、といえるだろうか。

 18年前に、統計数理学者、林知己夫氏が指摘していたことを、電力会社はいまだに理解していないのでは、といわれてもしようがないのではないだろうか。電力会社だけでなく、規制する側もあるいは。

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