マガジン - 日経サイエンス誌ダイジェスト -

革命前夜の物理学

掲載日:2008年4月2日

日経サイエンス5月号 革命前夜の物理学
  • 「いよいよグレートな瞬間がやってくる」。世界約40カ国2000人の素粒子研究者の頂点に立ち、巨大マシン「ATLAS(アトラス)」の建設に取り組んできた欧州合同原子核研究機構(CERN)のP. イエニ氏は目を輝かせながら語った。ATLASは8階建てビルに相当する直径を持ち、全長が40m以上もある円筒形の装置で、ほぼ完成し一部動き始めた。超最先端のエレクトロニクスと超電導技術、極低温技術の“結晶”だ。

    CERN(セルン)はモンブランを望むスイス・ジュネーブ近郊にある世界最大の素粒子研究機関。ノーベル賞学者をはじめ世界の頭脳が集まってくる。ウェブ発祥の地でもあり、反物質という奇想天外なものを製造しているためサスペンス小説の舞台にもなった。

    そのCERNで人類史上最大の実験が始まる。巨大なATLASも、その実験に用いる1つの検出器にすぎない。ATLASに匹敵する検出器がほかに3つあり、ほぼ完成の域に達している。いずれも数十カ国数千人の素粒子研究者が加わるプロジェクトだ。

    実験の舞台はCERN近くの田園地帯の地下約100mに建設された、山手線ほどの円周を持つ巨大リングだ。「大型ハドロン衝突型加速器」という名前がついているが、研究者はLHCと略称する。LHCの巨大リングはATLAS同様、膨大な数の超強力磁石や最先端電子機器の集合体だ。その中心には2本のパイプが並行して走り、内部は宇宙と同じ極低温の真空になっている。

    この、地下に再現された2つのリング状の宇宙空間の中を天文学的な数の陽子が光速の99.9999991%という猛スピードで互いに逆向きに突っ走る。2つのリングは4カ所で交差、そこで陽子どうしが真正面から激突する。そのとき、人類がこれまで実現したことのない超高エネルギーが生み出され、宇宙誕生直後の世界が再現される。

    今の宇宙はそのほとんどが酷寒で真空の世界だが、約140億年前の宇宙誕生直後、つまり天地開闢(かいびゃく)直後のときはまったく違っていた。現在は陽子や中性子の中に入っていて決して出てこない素粒子クォークなどが自由に動き回る超高温の液体だった。本当に最初の頃は、すべての粒子が光と同様、重さがなかったとみられる。

    量子力学と一般相対性理論の登場から約半世紀後、人類はさまざまな実験や宇宙の観察などから、万物を支配する基本原理の一端をつかみ、1つの理論体系をまとめた。それが素粒子物理学の標準モデルだ。標準モデルは登場して30年近く経つが、近年までほとんどの実験結果を破綻なく説明し、紹介したような宇宙誕生直後から現在までの歴史をかなりの確度で描き出すことに成功した。だが最近、それが究極の理論ではない明確な証拠が続々と発見されている。

    理論研究者は標準モデルを超えるさまざまな理論を提唱している。その中でも有力視されるのが超対称性理論、さらにその先にあるのが「ひも理論」だ。ではそうした理論は本当に真実なのか? それを確かめるには実験するしかない。

    そのために建設されたのがLHCだ。LHCにある4つの陽子衝突点にはATLASなどの巨大検出器が置かれ、陽子衝突で生み出される超高エネルギー世界を観察する。LHCは今夏にも稼働する。CERNには全世界から関係する研究者が押し寄せ、熱気に満ちている。物理学は今、革命前夜にある。

    特集は5部構成。第1部でLHCとは何かを紹介し、第2部はCERN首脳インタビュー、第3部でLHCで期待される素粒子論の革命を第一人者が解説し、第4部では準備が始まっているLHCの次の超巨大加速器「国際リニアコライダー(ILC)」を、そのリーダーたちが解説する。では、そうした流れの中で日本はどのような道を進むべきか?第5部では、CERNと並ぶ世界の素粒子研究の拠点、高エネルギー加速器研究機構の鈴木厚人機構長への取材などをもとに、その道筋を探る。

 

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