オピニオン

リスクを「伝わるよう」に「伝える」ために—「リスクコミュニケーション」考(西澤真理子 氏 / 「リテラジャパン」代表)

2019.02.01

西澤真理子 氏 / 「リテラジャパン」代表

 科学技術の「リスク」はどのようにしたら伝わるだろうか。

西澤真理子 氏
西澤真理子 氏

 科学技術のリスクを伝える作業が難しいのは、科学の「安全」と、社会が感じる「安心」は別のものだからだろう。私自身は欧州で「リスクコミュニケーション」について研究生活を送り、帰国後、食べものや健康に関する安全の問題についてどのように分かりやすく社会に伝えるか、行政や企業のコミュニケーションのあり方についてコンサルタントをしてきた。現在、国際原子力機関(IAEA)でコミュニケーションの指針作りにも携わっている。そうした経験からリスクが実際に伝わるために何が大切か、について「伝わる」ように私見を紹介したい。

 科学的に安全でも、一般の人が納得するとは限らない。科学的事実とそれを受けとめる感情は別だからだ。しかし、その違いを互いに相入れないと、社会の中で「リスク感」において分断が生じ、リスク論争が起きることとになる。 科学の言葉と生活者の言葉の違いもある。こうしたすれ違いを見極めて、埋める作業がリスクコミュニケーションと言える。

 言葉の使い方による誤解や「ものの見方」の違いやすれ違いによって起きる摩擦を甘く見てはいけない。この違いの是正に失敗すると消費者や地域住民の間で不満やフラストレーション、不信感が募り、それがクレームや風評被害にまでつながっていく。

リスクは不確実な部分が多い

 リスクは「白黒」がつくより、不確実な部分が多いことがほとんどだ。このためていねいに、リスクという「グレー」なものの濃淡(程度)を分かりやすく伝えていくことが大切なのだ。

 人に伝わりやすいものはだいたいが単純で分かりやすいもの。それは具体的なもの、イメージが湧くもの、 印象に残るもの、メッセージが簡潔であるもの、また感情に訴えるものなどだ。

 専門家は科学と論理で考え、一般社会はイメージで理解する。これが専門家と社会とのギャップだ。情報を提供する時に「伝わらない」と悩むようであれば、論理や数字に引っ張られすぎている可能性はないだろうか。そこをイメージや直感で補う必要がある。そこにコミュニケーションが役に立つ。言い換えれば、一般(イメージ、感情)と科学(論理、数字)を結ぶのがリスクコミュニケーションの役割だろう。

 将来のリスクを伝えることは、起こるかどうか不確実な事故や災害に対して、どのように対処するかを考えることにほかならない。多くのケースでは、正確には想定できない。肝心の専門家の評価もまちまちだったりする。リスクコミュニケーションは、言わば、専門家の世界を超えて、人々が実際に生活している社会にどのようにイメージしやすく伝えるかの作業だ。このため、専門家同士の会話や対話よりも一層難しい。

 人は論理や数字では納得しない。なぜならば、人は情報をイメージ、直感、感覚、感情で判断するからで、「○○が起きる確率は何%」「何%の可能性がある」と言われても「ピン」と来ない。

 一般に分かりやすく説明するとなると、専門家の話はさらに細かく、長くなっていきがちだ。多くの場合、数字や専門用語が頻繁に出る。このためそうした話は印象に残らない。

2016年2月IAEAウィーン本部での国際シンポジウムで講演する西澤真理子氏
2016年2月IAEAウィーン本部での国際シンポジウムで講演する西澤真理子氏

一般人と専門家のギャップが「言葉」に出る

 社会での安全情報の混乱には、情報を出す側のリテラシーが関係している。相手が何を不安に思い、どう情報を出したら受け入れられるのかについて、科学の側がどこまで知っているかという意味での「リテラシー」だ。

 科学者や技術者は「これは安全ですか? よく分からないのですけれど」と聞かれた場合、そうした率直な問いに対してどう説明するだろうか。よく見られるのが答える側が「専門情報をかみ砕くことだ」と考えてしまうケース。5分ぐらいで終わる話を30分くらい、大学や学会で話すように正確かつ細かく説明し続けてしまう。これでは失敗だ。一般の人は理解が追いつかない。途中から聴く耳を持たなくなってしてしまう。一般の人は、多くの場合は科学の話を正確に聞きたいのではない。何が安全かどうかを知り、家族の健康を守りたい。だから説明を聞きに来ているのだ。これが科学と社会とのギャップと言える。

 一般の人と専門家のギャップが顕著に出るのが「言葉」だ。同じ表現をしても、科学の言葉と一般の言葉では意味が違うことがある。その典型が、「可能性がある」という言い方。本当はそれが起こることは「まずない」と思っているのに、科学では100%と言い切ることができないので、99.9999%安全でも、「可能性があります」という言い方になってしまう。一般の人がこれを聞くと、「じゃあ危ないのね」と理解してしまいがちだ。

 私の教える大学院の授業で原子力専攻の学生達が放射線の安全性を一般の人に説明するイベントを行った。当日は和やかな雰囲気で会は進んだが、時折、「放射線の確定的影響」「確率的影響」といった専門的な言葉が聞こえてきた。ある母親が学生に質問したのは、「お布団を外に干しても安全ですか? 放射線は大丈夫?」という質問だったのだが。後日の授業で、「くれぐれも専門用語は使わないように」と授業の際にくぎを刺した。そして「なぜああいう話し方をしたの?」と聞くと、「仕方がないのです。僕たちはそう教育を受けてきたのです」と言う。「だって僕たち科学者ですから」という気持ちは分かる。しかし科学者は説明するためにいるわけではない、と言いたい気持ちも見え隠れする。

 科学者だからこそ、科学者は平時から一般の人に話す、「パブリックスピーキング」の訓練を受ける必要がある。専門用語を使わずに話すのは、学会などでの専門家集団同士の議論よりもはるかに難しいスキルだからだ。

2015年7月に静岡市で開かれた「電力・原子力・エネルギー:静岡ステークホルダー勉強会」(中央でマイクを持つのが西澤真理子氏)
2015年7月に静岡市で開かれた「電力・原子力・エネルギー:静岡ステークホルダー勉強会」(中央でマイクを持つのが西澤真理子氏)

失った信頼を回復することは困難を極める

 2011年9月から半年、私は福島県飯舘村からの依頼で、コミュニケーションアドバイザーとして避難してきた住民への放射線の影響を説明するという役割を担った。そこでは、緊急時を経て平時の状態に戻る際のリスクコミュニケーションの難しさを現場で体感した。平時に戻るためのコミュニケーションは特殊だ。平時に近いものの、住民の間の不安や、不信などもあることが多く、平時よりよりていねいなやり方が求められる。

 飯舘村は、東京電力福島第1原発から30キロ以上離れている、美しい農村だった。だが、風向きの関係で第1原発が水素爆発を起こして放射性物質が飛散した。事故から40日後に「計画的避難地域」に指定された。そして2カ月後には全村避難を余儀なくされた。全国に誇る美しい農村の景色ながら人がまったくいないという異常な風景はメディアで繰り返し伝えられて多くの人の残像に残っている。

 飯舘村での活動で一番難しかったのは、放射線の影響について伝える方法や内容についての準備がなかったことに起因すると考えている。日本では学校での放射線教育が途絶えている。日本は唯一の被ばく国でもあるから、放射線への高いリスク認知と強い忌諱(スティグマ)もある。また、低線量被ばくの人体影響については専門家の間での論争が長年続いていることもある。こうした中で、目に見えないリスクを、それも村から避難してきた当事者にどうやって説明したらよいのか。準備がない中での活動は混乱を極めた。

 「国に(続けて住んでも)大丈夫だと言われて、後に計画的避難区域となったんですよ。心配するほどでもないと政府は言いますが、そのような言葉が信じられると思いますか?」。初めて避難先を訪問した際、それまでのコミュニケーションの失敗を村民が指摘した。失った信頼を回復することは困難を極める。飯舘村では、補償の問題、農業や事業再開の問題などが複雑に絡んでいた。

 「放射線の話をすると場が白けるから、俺たちの飲み会の席ではもう話さない」。飯舘村の若い世代の人の話だ。タブーのようなテーマになってしまったと言う。個人でも受け止め方が違うし、価値観や感じ方の違いはなかなか埋められない。 飯舘村では村人の皆さんと対話をする中で、教科書では学べないリスクコミュニケーションのリアルを痛感した。

 飯舘村に代表されるように、信頼が失われ、「リスク論争」が複雑になっているところでは、まずそこでの全体像をしっかり把握することが大切だ。リスクコミュニケーションの範囲を限定してしまい、結果的にリスクのはなしだけを発信すると、住民がほんとうに知りたいこと、話したいことと、不幸なずれが生じてしまう。そして不満や不信につながってしまう。この国は東日本大震災を経験し、福島第1原発事故という悲惨な事故を経験した。多くの犠牲者を出してしまったが、そうした犠牲者が残してくれた貴重な経験も多い。大事故や大災害にまつわるリスクコミュニケーションに関しても私たちが学ぶベきことは多い。

 つまるところ、情報を発信する側に対する信頼がなければ、発信する側がどんなに苦労して伝えようとしても言われた側は腑に落ちない。信じない。そしていったん失われた信頼を回復するためにははるか長い道が待っている。

デジタル化の時代こそ大切な対話やコミュニケーション

 日本では、豪雨や地震による土砂崩れや洪水など、大規模な自然災害が年々目立ってきている。リスクコミュニケーションとは何か。実施する側が理解し、相手に伝わるような伝え方を考え、それを平時から訓練すること。さらに社会の様々な関係者との普段からの関係づくり、丁寧にデザインされた対話を行うことが鍵となる。

 2000年以降、世の中は急激なデジタル化が進んだ。だが、人の心や感情はデジタルのように明確に白黒がつくものではない。社会が複雑なものであればそれだけ、対話、コミュニケーションが大切になる。リスクにまつわるコミュ二ケーションはなお難しい。だが、同時に極めて重要になってくる。この国では「平成」から新たな元号に変わる今年、改めてリスクコミュニケーションのあるべき姿をより多くの人たちと考え続けていきたい。

(詳しくは2018年11月発売の新刊『リスクを伝えるハンドブック:災害・トラブルに備えるリスクコミュニケーション』(エネルギーフォーラムより)を参考いただければ幸甚です。)

西澤真理子 氏
西澤真理子 氏(にしざわまりこ)

西澤真理子(にしざわまりこ)氏のプロフィール
リテラジャパン代表。専門はリスク管理とコミュニケーション。上智大学外国語学部卒業後、銀行勤務などを経て、英国・ランカスター大学で環境政策修士号、インペリアルカレッジ・ロンドンでリスク政策・リスクコミュニケーション博士号(PhD)を取得。独フンボルト財団在外研究生としてシュトゥットガルト大学などで研究後、2006年、社会のリスクリテラシーについて研究活動を行うリテラジャパン(株式会社リテラシー)を設立。筑波大学工学部非常勤講師、日本学術会議連携会員、厚生労働省、総務省、東京消防庁、科学技術振興機構などで委員を務める。IAEA(国際原子力機関)コミュニケーションコンサルタント。著書に『リスクコミュニケーション』(エネルギーフォーラム新書)、『「やばいこと」を伝える技術』(毎日新聞出版)、『リスクを伝えるハンドブック』(エネルギーフォーラム刊)。

関連記事

ページトップへ