コラム - オピニオン -

[シリーズ]イノベーションの拠点をつくる〈5〉信州大学COI拠点
アクア・イノベーション拠点の挑戦

信州大学 COIプロジェクトリーダー、日立インフラシステム社 技術最高顧問 上田新次郎 氏

掲載日:2015年7月15日

文部科学省と科学技術振興機構(JST)は、平成25年度から「革新的イノベーション創出プログラム(COI STREAM)」を始めた。このプログラムは、現代社会に潜在するニーズから、将来に求められる社会の姿や暮らしのあり方(=ビジョン)を設定し、10年後を見通してその実現を目指す、ハイリスクだが実用化の期待が大きい革新的な研究開発を集中的に支援する。そうした研究開発において、鍵となるのが異分野融合・産学連携の体制による拠点の創出である。本シリーズでは、COI STREAMのビジョンのもと、イノベーションの拠点形成に率先して取り組むリーダーたちに、研究の目的や実践的な方法を述べていただく。第5回は、世界規模の課題である水不足や水質汚染を解決するために、ナノカーボン技術による最先端の水処理膜を開発し、多様な水源からの安全・安心な水造りと水循環・水供給の新たなしくみを提案する信州大学COI拠点のプロジェクトリーダー上田新次郎氏にご意見をいただいた。

※COI STREAM/Center of Innovation Science and Technology based Radical Innovation and Entrepreneurship Program。JSTは、「センター・オブ・イノベーション(COI)プログラム」として大規模産学官連携拠点(COI拠点)を形成し研究開発を支援している。詳しくは、JST センター・オブ・イノベーション(COI)プログラムのページを参照。

信州大学 COIプロジェクトリーダー、日立インフラシステム社 技術最高顧問 上田新次郎 氏
上田 新次郎 氏

水は人類にとって最も重要な資源です。近年人口の増加、生活レベルの向上、都市への人口集中などにより、世界的に水の不足と汚染が深刻な問題となっています。食糧増産のための農業用水や工業の発展に伴う工業用水需要においても、また石油・ガスの生産などエネルギー分野においても水の使用量は増大しています。地球は「水の惑星」と呼ばれていますが、その大部分は塩分に満ちた海水で、淡水は2.5%にすぎず、しかもその大半は南極などの氷床や氷河です。それ以外の淡水は地下水を含めて0.8%%であり、さらに人が使用しやすい河川や湖沼の水は約0.01%%にすぎません(図1)

図1.地球の水資源 出典:国土交通省水資源部「平成26年版 日本の水資源」
図1.地球の水資源
出典:国土交通省水資源部「平成26年版 日本の水資源」

また資源としての水の特徴は、地球上、地域や季節により大きな偏りがあることです。日本は水資源に恵まれている国ですが、世界には中東、中央アジア、北アフリカ、インド、中国北部、オーストラリア、アメリカ西部など水資源に乏しい物理的渇水地域が数多くあります。人々の往来のみならず、食糧や工業製品、エネルギー資源が世界中を行き交うなど、人々の生活が全てにおいて世界中と関係するようになった今日、水の問題は今や一地域だけでなくグローバルに考えなければなりません。

海水やかん水を淡水化して不足する水を造り出すこと、使用して汚れた水を浄化して再利用できるようにすることなどにより、持続可能で安心できる水循環システムをグローバルに構築することは何にも増して重要な課題です。こうした中、2013年度にCOIプログラムにおいて信州大学COIアクア・イノベーション拠点プロジェクトがスタートしました。膜技術を中心に革新的なイノベーションを起こし世界の水問題の解決に貢献しようとしています。

水処理膜の研究は100年以上の歴史がありますが、開発が加速したのは1980年代以降です。精密ろ過膜(MF膜)、限外ろ過膜(UF膜)、ナノろ過膜(NF膜)、逆浸透膜(RO膜)と、より微細な構造の膜が次々と実用化されました(図2)。

図2.精密ろ過膜(MF膜)は、0.1μm(マイクロメートル=1000分の1 ミリ)より大きい粒子や高分子を阻止する膜。限外ろ過膜(UF膜)は、0.1μm~2nm(ナノメートル=100万分の1ミリ)の範囲の粒子や高分子を阻止する膜。ナノろ過膜(NF膜)は、2nmより小さい程度の粒子や高分子を阻止する膜。逆浸透膜(RO膜)は、加圧により浸透圧差と逆方向に溶媒が移動できる膜。
図2.精密ろ過膜(MF膜)は、0.1μm(マイクロメートル=1000分の1 ミリ)より大きい粒子や高分子を阻止する膜。限外ろ過膜(UF膜)は、0.1μm~2nm(ナノメートル=100万分の1ミリ)の範囲の粒子や高分子を阻止する膜。ナノろ過膜(NF膜)は、2nmより小さい程度の粒子や高分子を阻止する膜。逆浸透膜(RO膜)は、加圧により浸透圧差と逆方向に溶媒が移動できる膜。

膜の水処理技術への導入のハイライトはRO膜による逆浸透海水淡水化法です。海水淡水化は1960~70年代から中東など渇水地域で広がりました。当初は蒸発法が主でした。しかしながらRO膜が実用化された1990年代から逆浸透法が普及し始め、2000年代以降は逆浸透法が主流になりました(図3)。

図3.マーケット動向(海水淡水化3方式の累積造水量)
出典:GWIレポート“Desalination Market 2016”
図3.マーケット動向(海水淡水化3方式の累積造水量)
出典:GWIレポート“Desalination Market 2016”

RO膜を使った逆浸透法は蒸発法に比べエネルギー消費が少なく効率が良いからです。造水コストを下げるには単位水量あたりのエネルギー消費量を少なくすることが何より重要です。最近では年間約200億立方メートルの水が膜法により浄化・造水されており、これは日本の上水供給量に匹敵するほどです。今後2020年、2030年へ向けて世界各国各地域で、水需要の増大に対応して数多くの海水淡水化プラントの計画が立てられています。

海水淡水化プラントは社会インフラであり、高い信頼性のもとに、より低コストで水を供給することが求められます。逆浸透法による海水淡水化で最も重要な要素はRO膜です。RO膜は内外のメーカーの激しい開発競争を経てポリアミド系の材料が主流となりました。では将来の海水淡水化に対してRO膜はどうあるべきでしょうか。

求められる要求はおよそ次の2点です。1.高い透水性と分離性能の両立によるエネルギー消費の低減、2.海洋微生物に対する耐ファウリング性(ファウリングとは汚れが堆積して透水性が悪くなること)や洗浄用薬品への耐久性などのロバスト性(環境の変化に対する強靭性)です。現在のポリアミドなど高分子樹脂系を素材とするRO膜では、現状を超えてこれらの要求に応えるには限界があります。

これを突破するには新しい素材を使った材料革命が必要ではないか。信州大には遠藤守信(えんどう もりのぶ)教授を中心としたカーボンナノチューブなどナノカーボン※1の最先端技術があります。そこで信州大学COIではナノカーボン技術を応用し、抜本的に省エネ性とロバスト性に優れたRO膜の開発を目指して挑戦を始めました。

※1 ナノカーボン/nano carbon。炭素粒子で構成されるナノスケール(100万分の1ミリのスケール)の物質。

海水淡水化と共に水処理の分野で最近注目を集めているのが石油・ガスの生産において副生する随伴水の処理と再利用です。石油生産では水を圧入して石油を回収する水攻法やさらに増進回収するEOR(=Enhanced Oil Recovery。石油増進回収)技術が増えていますが、これに伴って発生する随伴水の量は石油生産量の4~5倍、年間で150~200億立方メートルという膨大な量になっています。また非在来型のシェールガス・オイル生産でも大量の水を使用します。随伴水は油分や塩分、有機化合物などさまざまな成分を含む汚染された水であるため、適切に処理をして油田への再注入、油田サイト以外での利用、地下層や地上水圏に戻すなどをして水の循環を確立しなければなりません。

随伴水の処理にはさまざまな方法が試みられていますが、なお発展途上です。基本的なプロセスは「油水分離・浮遊固体分離」「溶存有機物除去」「脱塩(塩分除去)」から成っています。一連のプロセスで膜技術はまだほとんど使われていません。随伴水の組成が複雑な上に熱や酸など使用環境が厳しく、既存の高分子樹脂系の膜では対応できない場合が多いからです。

しかしながらRO膜のみならずNF、UF、MF膜においてもロバスト性を飛躍的に高めることができれば状況は大きく変わります。膜を使えれば処理プロセスを簡便化でき、消費エネルギーやランニングコストを大きく下げることが期待できるからです。ロバストで脱塩まででき、使い勝手の良い膜の出現が待ち望まれています。信州大学COIではナノカーボン技術を応用したロバストな膜を開発することにより随伴水処理システムの革新を目指しています。カーボン膜により目指す革新的水システムの姿を図4に示します。

図4.ナノカーボン膜による革新的水システム
図4.ナノカーボン膜による革新的水システム

カーボン膜の研究はアメリカ、韓国、シンガポールなど各国の研究機関、ベンチャー企業などで始まっていますが、どこも緒に着いたばかりで今後激しい開発競争が見込まれます。信州大学COIの特徴は、ナノカーボン技術と水処理膜だけでなく、ナノ構造解析やシミュレーション、水や物質と膜との相互作用を原子レベルで探る水科学の各専門家、水処理膜や材料関連企業、水処理プラント企業の専門家が集まって、総合的に新しい膜と将来の水処理システムの開発に挑んでいることでしょう。さらにサテライトとして水の大気・地表・地下など大循環の解析・シミュレーションを実施する海洋研究開発機構も参加しています。このような多方面・多角的な水処理膜とシステムの研究開発の例は他になく、このCOIチームの大きな強みです。

われわれはこのプロジェクトでCOIの理念に従って、海水淡水化をはじめ10年後の世界の水処理システムの姿を構想し、そこからバックキャステイングをしてナノカーボン技術をベースにした比類のない高性能でロバストな膜を開発していきます。これを製品やプラントとして社会実装をして水問題の解決に有効であることを実証することにより、水環境の世界にイノベーションを起こします。

信州大学 COIプロジェクトリーダー、日立インフラシステム社 技術最高顧問 上田新次郎 氏

上田 新次郎(うえだ しんじろう)氏のプロフィール
1947年愛媛県生まれ。1974年東京大学工学系大学院博士課程修了。同年株式会社日立製作所入社、機械研究所配属。ターボ機械の開発、超高真空技術とその応用製品、半導体製造装置や加速器の研究などの後、1998年より日立研究開発本部にて全社の研究開発戦略を統括。2002~12年日立プラントテクノロジーにて研究開発本部長、代表取締役副社長などを歴任。10~12年日立水環境ソリューション事業統括本部長を兼任。12年より日立製作所インフラシステム社 技術最高顧問。13年より信州大学 COIのプロジェクトリーダーを務めている。

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