オピニオン

いつのまにか宇宙科学時代(加藤万里子 氏 / 慶應義塾大学 理工学部 教授)

2012.10.03

加藤万里子 氏 / 慶應義塾大学 理工学部 教授

慶應義塾大学 理工学部 教授 加藤万里子 氏
加藤万里子 氏

 2012年4月に慶應義塾大学の学生を対象に科学用語調査を行い、2002年および1992年の調査と比較した。調査対象となった学生の大部分は1年生で調査は4月なので、この結果は大学入学前の状態を反映している。これをもとに、日本社会の科学への関心がどのように変わったかを考えてみたい。

 まず、学生が科学の最新知識を知る手段(複数回答)では、テレビ(67%)、インターネット(59%)、新聞(40%)、科学雑誌の順に低くなり、10年前と比べると、新聞とインターネットの順序が逆転した。これはインターネットが広く高校生に普及し、パソコンのほかにスマートフォンなどでも情報が手に入るようになったからだと思われる。科学の本を読む割合も、新聞の科学欄を読む割合も、10年前と比べて減っている。

 また、36の科学用語について、それぞれ「聞いたことがあるか」「興味があるか」を調べた。よく知られている用語には、天文・生物・環境の用語が多く、認知率90%以上のものは、ビッグバン、ブラックホール、国際宇宙ステーション、DNA、遺伝子くみかえ、体内時計、ダイオキシン、メルトダウン、地球温暖化、オゾンホールの10個であり、理工学部の学生では、それに加えて一般相対性理論、カーボンナノチューブ、人工知能がある。

 この調査は一つの大学での調査にすぎないので、個々の数字はある大学の学生(18歳人口の一定部分)に固有のものである。しかし全体的な傾向は、学生とその家族も含めた日本社会全体の雰囲気を反映していると考える。

 数字の変動には、社会のゆっくりした長期的な変化を反映したものと、短期的な変化がある。短期的な変化では、「メルトダウン」は、20年前には5割の学生が知っていただけなのに、今回の調査ではほぼ全員が知っている言葉となった。いうまでもなく、昨年の東京電力福島第一原子力発電所の大惨事のためである。地震や津波とセットになった事故の様子が連日報道され、国民全体がニュースにくぎづけになった。

 急激な数字の変化は20年前にも見られた。「高温超電導」と「常温核融合」は社会現象として当時マスコミで大きく取り上げられたため、1998年には認知率が文系学生で5割、理工系で8割と非常に高かったが、10年後には半減し、20年後の今年もそのままである。高温超電導はこの20年で研究が進んだが、マスコミで報道されなくなると、認知度が大きく落ちる。

 注意したいことは、調査対象が大学1年生なので、今18歳の学生は10年前には8歳、20年前には生まれていない。従って今回の「メルトダウン」も、学校教育に組み込まれなければ、10年後には忘れ去られるかもしれないし、あるいは日本社会の常識として定着するかもしれない。注意が必要である。

 長期変動について今回の調査で最も顕著なことは、10年前と比べて「興味をもつ用語」の数が大幅に増えたことだ。特に理工系より文系学生で顕著である。興味を持つ割合が特に増えたものは、ビッグバン、宇宙膨張、ダークエネルギー、ブラックホール、超新星、一般相対性理論、ニュートリノ、カーボンナノチューブのような天文・物理関係と、遺伝子くみかえ、人工知能、メルトダウンの生物・環境関係、文系学部ではそれに加えて国際宇宙ステーションと地球温暖化がある。このように、科学全般、特に広い意味での宇宙科学に広く興味が持たれたのが、今回の調査の特徴である。

 この結果を、この10年で科学教育が進んだ成果だとか、科学の考え方が普及したと結論づけることはできない。ある言葉を「聞いたことがある」と回答しても、その内容を理解しているとは限らないからだ。「ビッグバン」や「宇宙膨張」は知っていても、きちんと勉強すれば必ず出てくる「ハッブル定数」や「白色矮(わい)星」を知らないことからそれが分かる。

 従って、今回の調査の意味することは、科学、特に宇宙科学についての知識が広まり、多くの人が興味を持つ時代になった、ということだろう。例えば、「ナポレオン」は誰でも知っている人名であり、認知率の調査をすれば、日本人のほぼ全員が「聞いたことがある」と回答するだろう。しかし、フランス革命との関係や、何をした人なのかを言える人はずっと少ない。認知度が上がったということは、学校や本で体系的に勉強するようになったのではなく、社会のいろいろな場面で耳にするようになったからだろう。

 振り返ってみれば、この10年間には、科学が身近になる出来事が続いている。2002年には田中耕一さんがノーベル化学賞を受賞し、サラリーマン受賞者として科学者の存在が身近な存在になった。小柴昌俊さんも超新星からのニュートリノでノーベル物理学賞を同時受賞し、超新星やニュートリノなどが頻繁にマスコミに登場するようになった。2008年には南部陽一郎さん、小林誠さん、益川敏英さんもノーベル賞を受賞し、難しい素粒子理論の詳細よりも「変人」ぶりが好意的に取り上げられ、科学がさらに身近で親しい存在になった。

 また日本人宇宙飛行士が何人も宇宙に行った影響は大きい。漫画でも宇宙へ行く兄弟の物語がヒットしている。小惑星探査機「はやぶさ」の地球帰還には多くの人が関心を寄せた。宇宙科学とは遠い所で多くの人の感動を呼んだにせよ、宇宙が日常生活の一部になったことは大きい。

 金環日食もあり、天体観測が好きな女性を表す言葉「宙(そら)ガール」もできた。テレビや一般の週刊誌にも、以前よりずっと頻繁に天文や科学が取り上げられているし、これまで科学とは縁遠かった女性向けの雑誌や漫画にも、ちょっとしたところに、天文用語が顔を出す(20年前には少女漫画の中では「物理」や「理系」は嫌われものの代名詞だった)。

 このように、科学用語が広まったことは、科学の裾野が大きく広がり、日本の文化として定着してきたことを意味すると私は考える。10年前、20年前と比べて、科学に対する社会の興味が格段に広がり、「科学を楽しむ」時代になった。ここで「楽しむ」という意味は、科学の成果を知って知的好奇心を満たすだけではなく、「はやぶさ」のように物語的な興味につなげたり、科学者の日常生活に関心を寄せたり、夜空を観測するときのファッションを楽しむなど、科学の周辺まで含めて楽しむことである。このように広い意味での科学が好意的に受け取られるようになったことは、日本社会が文化的に成熟してきたことの1つの現れであり、ここ10年の大きな変化である。

 私は40年前に大学の物理学科に入学したが、周囲は「女の子なのに物理なんて」という大合唱だった。お手本となる女性研究者はおらず、自分が女であることと、物理が好きなことが両立しなくて自己形成にたいそう悩んだ。私にとって、科学者になるための最大の課題は、勉強ではなく、私が女であるということだったのだ。あれから時代は変わり、これまで男性の分野だと言われてきたさまざまな領域で女性が活躍し始めている。その最たるものが宇宙飛行士だろう。小さな女の子が、将来宇宙飛行士になりたいと言ったとき、40年前だったら、女だから無理だと言われただろうが、今なら現実に女性の宇宙飛行士がいるし、お母さんであることと、宇宙飛行士であることは矛盾しない。

 理系に進む女性が少ない理由についてはいろいろ言われているが、その1つは、女性は理系に向かないという社会の考え方である。それが思い込みに過ぎないことは、世界の中で、日本は理系の女性の割合が異常に低いことからも分かる。私が2007年に滞在した北イタリアのパドバ大学では、物理や天文で、シニア世代でも女性が3割、ポスドク以下の若い世代では過半数が女性だった。

 だから将来は日本でも理系の女性がもっと増えるに違いない。私が勤務する大学の理工学部では、4学年約4,300人中、女子の割合は、1992年度11.6%、2002年度には14.9%、2012年度は16.4%と少ないながらもじわじわ上昇している。今回の調査で明らかになった長期的な変化が、日本でも女性が科学に進みやすい雰囲気になったことを示しているのなら、私は非常にうれしい。この調査では理科離れについては何も言えないが、少なくとも女性にとって理系に進むハードルが以前よりは低くなったと感じる。理系の面白さをたくさんの女性に知ってもらいたいと思う。

 ところが残念ながら、「大学院に進んで天文学者になりたい」と言ってくる学生には、男女を問わず、「やめておきなさい」と言わざるを得ない。空前の就職難で、パーマネントポストを得る可能性が非常に低いからである。数年ごとに任期つきポストを繰り返し、居場所が国内外と変わるようでは、男女ともに結婚や子育てなど人生設計ができないし、長期的な責任ある仕事をやり遂げることも難しい。研究体制の制度改革が望まれる。

慶應義塾大学 理工学部 教授 加藤万里子 氏
加藤万里子 氏
(かとう まりこ)

加藤万里子(かとう まりこ)氏のプロフィール
東京都生まれ、桐朋女子高校卒。76年立教大学理学部物理学科卒、立教大学大学院博士課程原子物理学専攻修了。慶應義塾大学専任講師、イリノイ大学客員助教授、慶應義塾大学助教授を経て2004年現職。専門は天文学。理学博士。著書は天文学の一般書「新版・100億年を翔ける宇宙」(恒星社厚生閣)など。

関連記事

ページトップへ