オピニオン

放射線被ばくのリスクを正しく怖がる(諸葛宗男 氏 / 東京大学公共政策大学院 特任教授)

2012.06.19

諸葛宗男 氏 / 東京大学公共政策大学院 特任教授

東京大学公共政策大学院 特任教授 諸葛宗男 氏
諸葛宗男 氏

 福島第一原発の事故後、放射線被ばくのリスクを巡る情報が混乱している。その原因は3つあるように思う。第一は「用語が難解なこと」である。原子力関係者でも放射線被ばくに関する用語を正しく説明できる人は少ない。第二は専門家の「説明の歯切れが悪いこと」である。これは説明の仕方の問題ではなく、低線量の放射線被ばくの健康影響そのものが医学的に明快でないためである。第三は前二者のせいもあって、「勘違い情報が氾濫していること」である。勘違い情報が氾濫したのは、福島第一原発事故で政府が「ただちには影響ない」という曖昧な表現を補足説明抜きに頻繁に使ったことや、事故が起きたことで専門家への信頼が低下したことなどのせいだと思われる。

 最初の2つについては専門家も随分改善の努力をしている。日本保険物理学会、放射線医学総合研究所、日本原子力学会などの関係機関のホームページには何千もの膨大なQ&Aが掲載されている。可能な方はぜひアクセスしてみていただきたい。

 問題は第三の勘違い情報である。中には放射線被ばくのリスクを百倍も勘違いしているものもある。私は決して放射線被ばくを軽視するつもりはない。しかし、環境放射線の比較的高い地域で生活されている方たちが、そのような勘違い情報によって過剰なストレスを被ることは看過できない。さまざまな風評被害も懸念される。過小評価もいけないが、過大評価はもっといけない。“正しく怖がる”ことが肝要である。

 そこで本稿では代表的な勘違いとして、放射線被ばくのリスクと交通事故リスク比較のケースを紹介し、なぜ勘違いされてしまったのかを説明したい。

1. 代表的な勘違いとは

 代表的な勘違いは「放射線被ばくと交通事故死とのリスク比較」の場合によく起きている。低線量放射線被ばくの確率的な影響は、国際放射線防護委員会(ICRP)が次のように説明している。「100ミリシーベルトの放射線被ばくによるがんによる生涯致死率の増加は約0.5%である」。これが低線量放射線被ばくのリスクに関するほとんど唯一の“物差し”になっている。この「がんの生涯致死率の増加は約0.5%」が勘違いして使われている。

 典型的なケースは次の通りである。交通事故で亡くなる人は10万人当たり年間約6人だから約0.006%である。一方、100ミリシーベルトの放射線被ばくのリスクは約0.5%である。したがって100ミリシーベルトの放射線被ばくのリスクは交通事故死のリスクより約100倍高い、というものである。このように考えた人は「だから100ミリシーベルトの放射線被ばくはとても許容できない。少なくとも交通事故死のリスクと同程度でなければ許容できない」とし ている。

2. 何を勘違いしているのか

 まず、最初に断っておかなければならないことがある。先に示したICRPの「100ミリシーベルトの放射線被ばくによるがんによる生涯致死率の増加は約0.5%」という説明は放射線防護のために置いた仮定であって、ICRPは「これを被ばくした人の将来のリスク予測に用いてはならない」としていることである。それは100ミリシーベルト以下の放射線被ばくの影響はまだ医学的に立証されていないためである。この前提があるため、本来、被ばくした人のリスク予測そのものである前項のような比較に「0.5%」を用いること自体、誤りと言える。しかし、現在、多くの一般市民が現実に被ばくし、そのリスクについて「野菜不足によるリスクと同じ程度」という抽象的な説明だけでは十分納得が得られていないことや、将来のリスク予測に「0.5%」を使ってはいけない、と言うだけでは上述した勘違いを正せないため、あえて上述のICRPの前提違反を承知の上で「0.5%」を被ばくした人のリスク予測に使って以下の説明を進める。

 結論から先に述べると、前項の勘違いは、がんの生涯致死率と交通事故死の死亡率の定義が異なるのに、単純比較してしまったことにより生じている。生涯致死率は、その年の死者の死因を分析し、当該の死因割合を生涯致死率として用いている。一方、交通事故死の死亡率は人口10万人当りの当該死因による死者数(あるいは百分率)である。前者がその年に亡くなった人の中の当該死因の割合を示しているのに対して、後者は人口10万人当りの当該死因の割合を示している。年間の死者は人口の約1%であるから、前者と後者は約100倍異なっている。だから直接比較すれば「リスクが100倍過大に勘違いされること」となる。実に単純な勘違いなのである。

3. 放射線被ばくと交通事故死の正しいリスク比較

(1)放射線被ばくによるリスク
国際放射線防護委員会(ICRP)は、放射線防護上の仮定として100ミリシーベルトの放射線被ばくによるがんの生涯致死率の増加は0.5%とすることを勧告している。この生涯致死率の増加を死亡率すなわち10万人当りの死者数に置き換えれば4.5人となる。それを百分率で表せば0.0045%となる。

(2)交通事故死のリスク
2008年の死因別の死亡率(10万人当たりの死者数)によれば、交通事故死は10万人当り5.9人、百分率で表せば0.0059%である。これを生涯致死率に置き換えれば0.66%となる。

(3)放射線被ばくと交通事故死のリスク比較
もし、100ミリシーベルトの放射線被ばくのリスクと交通事故死のリスクを比較するのなら双方の生涯致死率か、双方の死亡率同士で比較しなければならない。生涯致死率同士或いは死亡率同士で正しく比較すれば100倍異なるとされた両者のリスクがほぼ同等であることが分かる。表1にそれを示す。なお、筆者は「放射線被ばくのリスクと交通事故死のリスクを比較すること自体行うべきでない」と考えていることは冒頭述べた通りである。

120619_img1_w500

 もし先に述べた勘違いが正しいとすれば、仮に10万人全員が100ミリシーベルトの放射線の被ばくをしたとすれば、年間、そのうちの500人ががんで死ぬことになる。2008年の全がん死者数は表1より10万人当たり約270人だから、がんの死者数がこの約3倍の775人に増えることになる。ICRPが「100ミリシーベルト以下の放射線の被ばくの影響は小さい」と言っているが、小さいどころか甚大な影響が出ることになる。このことからもこの解釈がおかしいことは明白である。

4. もし、勘違いした解釈が本当だとすればがん死が3倍にもなってしまう

 もし先に述べた勘違いが正しいとすれば、仮に10万人全員が100ミリシーベルトの放射線の被ばくをしたとすれば、年間、そのうちの500人ががんで死ぬことになる。2008年の全がん死者数は表1より10万人当たり約270人だから、がんの死者数がこの約3倍の775人に増えることになる。ICRPが「100ミリシーベルト以下の放射線の被ばくの影響は小さい」と言っているが、小さいどころか甚大な影響が出ることになる。このことからもこの解釈がおかしいことは明白である。

5. がん統計の考え方

(1)がんの生涯致死率
国立がん研究センターがん対策情報センターの「最新がん統計」(1)に「がんの生涯致死率」の算出方法が説明されている。がんの生涯致死率は、年間のがん死者データを基に算出されている。年間のがん死者を年齢別に分類して年齢別がん致死リスクを求め、これと標準年齢分布から、標準のがん致死率を割り出している。

(2)累積死亡リスクと粗死亡率(そしぼうりつ)
国立がん研究センターがん対策情報センターの「用語集」(2)によれば、累積死亡リスクとは《ある年齢までにある病気で死亡する確率。『生涯累積死亡リスク』の場合は、一生のうちにある病気で死亡する確率を表します。例えば、日本人のがんの生涯累積死亡リスクが25%であった場合、日本人ががんで死亡する確率が25%であることを意味する(『日本人の4人に1人はがんで死亡する』と表現されることもあります)。『がん情報サービス』で掲載している累積死亡リスクの値は、年齢階級別の死亡率を基に、生命表の手法を用いて算出されています。この手法では、0歳の人100人からなる集団を想定し、その集団を加齢させて、発生したがん死亡者とそれ以外の死亡者を減らしていき、最終的に0人になった時点で、それまでのがん死亡者の数を合計します。それが生涯累積死亡リスク(100人中何人が、がんで死亡したか)に相当します。》とされている。また、粗死亡率については、《一定期間の死亡数を単純にその期間の人口で割った死亡率で、年齢調整をしていない死亡率という意味で『粗』という語が付いています。日本人全体の死亡率の場合、通常1年単位で算出され、『人口10万人のうち何人死亡したか』で表現されます。年齢構成の異なる集団間で比較する場合や同一集団の年次推移を見る場合には、年齢構成の影響を除去した死亡率(年齢調整死亡率など)が用いられます。》とされている。この説明から分かることは、がんの統計値の計算はその年の死者データを分析して算出されていることである。すなわち、「その年の死因分布がその後も一定のまま推移する」と仮定して「生涯」致死率を算出しているのである。

(3)がんの統計値(2009年)
前出の「最新がん統計」(*1)の統計データによれば、全がんの粗死亡率(10万人当たりの死亡者)は男子336人、女子214人、平均275人である。粗死亡率を基にした生涯致死率は30.7%である。年齢調整致死率は男子が26%、女子が16%、平均21%である。がんの生涯致死率としてよく用いられる30%というのは上述の粗死亡率から導いた生涯致死率を指し、やはりがんの生涯致死率としてよく用いられる20%というのは後者の年齢調整後の生涯致死率を指している。

表2. がんの死亡率と生涯致死率
表2. がんの死亡率と生涯致死率

6.「がんの生涯致死率が0.5%増える」ことの意味

 放射線医学総合研究所の「放射線被ばくに関する基礎知識サマリー版第1号(Ver1.1)」(*3)に以下の通り明快な説明が掲載されている。

 「日本人はもともと約30%ががんで亡くなっています。国際放射線防護委員会の推定によると、仮に1000名の方が100ミリシーベルトの線量を受けたとすると、生涯でがんで亡くなる方が300名から305名に増加する可能性があります。なお、ここで言う100ミリシーベルトとは年間の被ばく線量ではなく、これまで受けた積算線量です。また、この100ミリシーベルトには自然界から受ける放射線量(日本人で年間平均約1.5ミリシーベルト)は含まれません。」

120619_img2_w500
図1. 放射線によるがん・白血病の増加

 ここでがんの生涯致死率を30%としているのは年齢調整をしない致死率を指している。この放射線医学総合研究所の説明では、「0.5%増加する」という意味は生涯致死率30%が30.5%になる、ということを説明している。がんの生涯致死率は既述の通り、年間死者の中のがん死の割合である。年間死者の中のがん死の割合30%が30.5%に増えるということになる。10万人全員が100ミリシーベルトの被ばくをした場合、2009年のデータによれば、がん死275人が4.5人増えて279.5人になるということになる。

7. 環境放射線による累積被ばくのリスク

 以上述べてきた100ミリシーベルトとは前項の説明の中にも示されている通り年間の被ばく線量ではなく、積算線量のことである点を注意して頂きたい。

 もし年間100ミリシーベルトの放射線被ばくを受けた場合のリスクは上述のリスクとは全く異なってくる。この問題については日本学術会議が2012年4月9日に公表した参考資料※4の第5章に「空間線量率と滞在時間シナリオに基づく外部被ばく量の試算」としていつくかの試算結果が示されている。

 この試算結果によると、30年間に被ばくする積算線量を約100ミリシーベルト以下に抑えるためには「初期に20mSv/年の地域なら毎年約20%の除染を」、「初期に10mSv/年の地域なら毎年約10%の除染が必要」との試算結果が示されている。

・参考資料

  1. 「最新がん統計」(国立がん研究センターがん対策情報センター)
  2. 「用語集」(国立がん研究センターがん対策情報センター)
  3. 「放射線被ばくに関する基礎知識サマリー版第1号(Ver1.1)」(放射線医学総合研究所)
  4. 「放射能対策の新たな一歩を踏み出すために-事実の科学的探索に基づく行動を-」PDF(日本学術会議東日本大震災復興支援委員会放射能対策分科会)
東京大学公共政策大学院 特任教授 諸葛宗男 氏
諸葛宗男 氏
(もろくず むねお)

諸葛宗男(もろくず むねお)氏のプロフィール
1946年東京都生まれ。65年私立武蔵高校卒、70年東京大学工学部卒。同年(株)東芝入社。2002年同社原子力事業部技監。06年定年退職。同年6月から現職。日本原子力学会社会環境部会長、東大原子力法制研究会幹事。専門:プロジェクト・マネージメント、大規模プロジェクトのガバナンス研究、原子力安全規制システム研究

関連記事

ページトップへ