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動物行動研究の行く末(菊水健史 氏 / 麻布大学獣医学部 伴侶動物学研究室 教授)

2011.05.24

菊水健史 氏 / 麻布大学獣医学部 伴侶動物学研究室 教授

麻布大学獣医学部 伴侶動物学研究室 教授 菊水健史 氏
菊水健史 氏

 小さい時から田舎で育ち、周囲環境は鳥と魚と動物、そして森であった。そこには当然のように大きな自然があり、自分がその一部であることなど、考えもせずに体に染み付いていた。昼飯などは自分でとった魚を焼いて、木の実と家から持ち出したにぎり飯、という生活は、都会を知らない少年が動物や植物との知恵比べをする格好のチャンスを与えてくれた。気がつけば、動物の行動の不思議に取りつかれ、公としての研究人生も半ばを過ぎた感がある。小さいときはシートン動物記、ファーブル昆虫記を読みあさり、多分にもれずローレンツ、ダーウィン、ダビンチの発想の大きさに感銘を受けてきた。気がつけば、動物行動学という生物研究の中の小さな一部になっていた。

 動物の行動にはまだまだ解き明かせない謎が満ちあふれている。例えば、世界中にはさまざまな形、色、鳴き声をもつ鳥が数多くいる。鳥類の中でも鳴禽(きん)類は別名歌鳥類とも呼ばれるほど、そのさえずりが美しく、長年世界各地で愛玩用として繁殖されてきた。身近なものとして、カナリア、ジュウシマツ、ブンチョウなど日本で馴染みの深いものから、フィンチ類など海外で人気のものもある。これらの鳥はその名に示すように、繁殖期になるとオスがメスに向かって歌(さえずり)を歌うことが知られている。これまでの研究から、これら鳴禽類の歌の特徴は、ヒトが話し言葉を学ぶのと似ていることが明らかとなっている。

 ヒトの言語学習は幼少期に親や周囲から言語の規則などを学ぶ。これを音声学習といい、英語に触れた子供は英語を自然と身につけるというイメージだろうか。私たちが日ごろ何げなく使っている言語では、文法と意味は不可分に結合して、全体として使われている。進化の過程を想像すると、言葉を持つ以前の人間は、さまざまな状況に合わせてさまざまな歌をうたっていたと想定される。この「歌」がより多様化する過程で、状況(意味)の共通部分と歌(文法)の共通部分が相互に分節化され、切り出されることで、より限定された意味をもつ「単語」が生じた可能性が指摘されてきた。東京大学の岡ノ谷一夫先生らはこれを「歌と文脈の相互分節化仮説」と呼び、現在も「言語の進化」を解き明かそうとまい進されている。

 実は歌を歌う動物は他にもいる。2005年にT.Holyらは、マウスでもヒトには聞こえない高い超音波領域の声を使って、雄マウスが雌マウスに歌を歌うことを明らかにした。それを契機に、マウスの歌に関して、どれほど多様性があるのか、その多様性が遺伝子によるものか、それとも幼少期の音声学習によるものなのか、の議論が世界中に広がっていった。その背景には、「言語」という唯一無二の社会機能を持つヒトの研究において、鳥類ではなく哺乳類であり、それも遺伝的に操作が可能なマウスの歌学習が確認されれば、言語中枢の研究が飛躍的に発展するとの期待からである。

 まずはその多様性を調べようと、2系統のマウスの歌構造を調べた。予想通り、その歌は大きく異なっていた。次に、これら2系統のマウスに出生後間もなく里子操作を施し、発達期における音声環境を逆転させてみた。このことで、環境から学習する音声があるとすれば、ヒトの言語のように育ての親の歌に似た声で歌うことになるはずだ。しかし、里子操作によっても、これら2系統の歌の特徴は維持され、それぞれが遺伝的な親の歌と同じ歌を歌うこと、つまり複雑な歌が遺伝的に制御されていることが明らかとなった(注)

 生物言語研究において、今回の研究は小さな、しかし確実な一歩となったであろう。非常に多様性に富んでいるマウスの歌が遺伝子によってどのように決定されているのかという、新たな大きな命題が次のテーマである。2001年にAnthony Monaco教授の率いる研究チームは、ヒトの遺伝的に言語障害をもつ家系から言語に関係すると推定される遺伝子を同定し、FOXP2遺伝子と名づけた。このFOXP2遺伝子はオランウータン、ゴリラ、チンパンジー、マウスでもほぼ同じ形で保存されていることから、マウスでの機能解析も進んでおり、この遺伝子を人為的に欠損させたマウスでは、超音波発声が変化することが知られている。マウスの求愛歌をモデルに、複雑な音声がどのように中枢で遺伝的に制御されているかの研究は、言語障害や自閉症のような発達性障害に認められる言語獲得のモデルとしても価値が高く、言語遺伝子と歌の関係性の研究が今後大きく発展することを期待したい。

 さてこの研究から私たち動物行動の研究者は何を学ぶことができるのだろうか。1990年代後半から、一般生物学や動物行動学の領域でも、その応用性や社会還元の重要性が問われるようになってきた。九州大学名誉教授の筒井哲夫先生も書かれているが、「現代の科学技術においては、社会的な意義付けができない研究は無意味とされ、国の施策に沿った研究、近視眼的な社会風潮に便乗した研究が高く評価される」風潮がかなり強い。一見、動物行動学なる学問領域は、この流れに最も乗りにくい領域と言われるかもしれない。しかし、筒井先生がおっしゃるように、基礎研究における費用対効果を考える場合、短くても10年、あるいは100年のスケールで考えなければなるまい。この視点を無くしてしまっては、基礎研究における真の意義、つまり豊かな創造性を発揮し、ランドマークとなるような、新たな概念を創り出すくらいの研究成果を挙げることは困難になるだろう。

 名古屋大学の上田良二先生の言葉を重く、大事に受け止める必要性を感じざるを得ない。「基礎研究は灯台に火をつけるようなものだから、そのプライオリティが尊重される。それは多くの航行者に恩恵を与えるからで、直接の利益を得るからではない。(中略)独創性を涵養して基礎研究を振興するのは、灯台に火をつけて世界の人々に恩恵を与えるためである。日本人がその価値を認め、それを実行するようにならなければ、日本が先進国になったとは言えまい」

 私たち動物行動学の研究者は「応用基礎科学」を意識すべきであると感じる。つまり、動物の行動を見るにしても、あの動物種はこうで、この動物種はこうだった、という比較行動学の観点から、その背景にある遺伝子、進化、そしてその進化の過程におけるヒトの特異性、つまり「生物としてのヒト」を理解するに向かうことは非常に重要なことである。上記のように言語障害の遺伝子が見いだされているが、その遺伝子進化をしっかりと捉えることが重要であり、これを明らかにすることが、最終的には遺伝子疾患などの理解と治療につながるわけである。医学もいえどもこの生物学の範疇(はんちゅう)にあることは自明で、ドブジャンスキーの言うような「進化的な見方を排した生物学は生物学ではない」というように、例えば疾患を研究する際にも、疾患の生物学的意義、進化学的な解釈を見失ってしまっては、「応用末端研究」となってしまう。

 自分自身が研究室を運営し、教壇に立つことが仕事の中心になりつつある現在、「動物行動学」を再考することが多い。特に新しい分野を知り、視点を増やす必要を痛感している。そのような多くの視点にたってからこそ、「動物行動学」のもつ本当の価値が理解できるのかもしれない。動物行動学の面白さは、このような現代になっても、きっと「シートン動物記、ファーブル昆虫記」に記されてきたことと全くかわりなく、輝きを持ち続けているはずである。そして、上田先生の言われる「純正末梢研究」にならぬよう、誠意努力すべきではないかと考えている。

 そういう視点から今回のマウスの歌を見直し、まだ見ぬ次の未知の世界を開く鍵となる研究を、学生さんたちとチャレンジしていきたい。

(注):麻生大学2011年3月10日プレスリリース「雄マウスの求愛歌は遺伝的に多様であった」

麻布大学獣医学部 伴侶動物学研究室 教授 菊水健史 氏
菊水健史 氏
(きくすい たけふみ)

菊水健史(きくすい たけふみ)氏のプロフィール
鹿児島県生まれ。ラ・サール高校卒。東京大学獣医学科卒。東京大学農学生命科学研究科(動物行動学研究室)助手を経て、2007年麻布大学獣医学部伴侶動物学研究室准教授、09年から現職。獣医学博士。専門は動物行動学。齧歯(げっし)類における社会コミュニケーションと生殖機能、母子間とその中枢発達に及ぼす影響に関する研究に従事。主な著書は「いきもの散歩道」(文永堂出版)「ソーシャルブレイン」(東大出版会)、「イヌとネコの行動学」(学窓社)、「ホルモンと行動」(西村書店)など。

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