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ゲノム情報 - 研究から診療への課題(福嶋義光 氏 / 信州大学医学部遺伝医学・予防医学講座 教授、附属病院 遺伝子診療部長)

2009.04.08

福嶋義光 氏 / 信州大学医学部遺伝医学・予防医学講座 教授、附属病院 遺伝子診療部長

信州大学医学部遺伝医学・予防医学講座 教授、附属病院 遺伝子診療部長 福嶋義光 氏
福嶋義光 氏

 ゲノム科学研究の進展により、種々のヒトゲノム解析技術が開発され、これらの技術を医学研究に応用することにより、新しい診断法、治療法、予防法が生まれ、人類、社会にとって多大な貢献がなされるものと期待されている。しかし、ゲノム情報・遺伝情報は、(1)生涯変化しない情報(不変性)、(2)将来を予測し得る情報(予測性)、(3)血縁者も関与し得る情報(共有性)、であるため、新たな倫理的問題が提起され、通常の臨床情報とは異なる対応が求められている。

 実際に国連教育科学文化機関(ユネスコ)、世界保健機関(WHO)、HUGO( Human Genome Organisation)、国際医学団体協議会(CIOMS)などの国際機関から、ゲノム科学研究に関してさまざまな提言がなされており、わが国においても「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」に基づいてゲノム科学研究は進められている。これらゲノム科学研究により生み出されるゲノム情報を診療に用いる場合、すなわち遺伝学的検査を臨床に導入する際には、次に示す「ACCE」の4点を考慮すべきであることが国際的に提唱されている。

*A(Analytical validity=分析的妥当性):
検査法が確立し、再現性の高い結果が得られるなど精度管理が適切である。
*C(Clinical Validity=臨床的妥当性):
検査結果の意味付けが明確、すなわち感度、特異度、陽性的中率などが明らかにされている。
*C(Clinical Utility=臨床的有用性):
その検査結果により、今後の見通しについての情報が得られたり、適切な予防法や治療法に結びつけることができるなど臨床上のメリットがある。
*E(Ethical Legal and Social Issues=倫理的法的社会的問題):
遺伝情報が明らかにされたことにより、被験者が就職、結婚、保険加入など、その病気以外のことで差別を受けることがないかどうかなど倫理的法的社会的問題がないことを確認する。

 現在、ゲノム情報の利用について、研究から診療への大きな転換点にさしかかっているが、多因子疾患の易罹患性検査について、臨床的有用性が明確に示されているのは薬物に対する反応性の個体差を判定することを目的とする遺伝学的検査を除けば極めて少ない。

 遺伝学的検査を医療に導入する際には、上記、分析的妥当性、臨床的妥当性、臨床的有用性、倫理的法的社会的課題についての検討が必須であり、国際的にはその体系的検討(systematic review)の具体的方法が国・公的機関で提案されている。

 わが国においても早急に各種遺伝学的検査の臨床的有用性を評価するシステムを立ち上げる必要がある。しかし、肥満遺伝子検査をはじめ科学的根拠に乏しい検査が医療機関を通さずに普及し始めていることは、由々しき状況であり、日本人類遺伝学会では「DTC遺伝学的検査に関する見解」を公表し、注意を呼びかけている。

 一方、診療における遺伝情報の取り扱いについては、遺伝カウンセリングがキーワードである。厚生労働省「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取り扱いのためのガイドライン」の中に「遺伝情報を診療に活用する場合の取り扱い」の項が設けられ、遺伝学的検査は遺伝カウンセリングの一環として行なうべきであることが記載された。遺伝カウンセリングにおいては単なる情報提供だけではなく心理的・精神的・社会的サポートを行うことが極めて重要である。現在、臨床遺伝専門医制度と、認定遺伝カウンセラー制度により、遺伝医療を担う人材養成が行なわれている。

 臨床遺伝専門医は日本人類遺伝学会日本遺伝カウンセリング学会が認定している専門医資格であり、基本領域の専門医を取得した後(通常は5年)、その後3年間の研修を経て、専門医認定試験の受験資格を得ることができる。2009年3月現在、649名が認定されている。一方、非医師を対象とした認定遺伝カウンセラーは、日本人類遺伝学会日本遺伝カウンセリング学会が認定しているもので、現在9大学の修士課程にその養成コースが設けられており、2009年4月現在、40名が認定されている。

 遺伝カウンセリングの経費について、厚生労働省は永年、初診料に含まれているとしていたが、平成20年度診療報酬改定において、13疾患の遺伝病学的検査を行った後の遺伝カウンセリングという非常に限定的なものではあるが、遺伝学的検査の際の遺伝カウンセリング(臨床遺伝学の専門的知識を持つ医師による心理社会的支援)が、保険診療として認められた。今後のわが国の遺伝医療の発展のために大きな一歩が踏み出されたと考える。

 さらに、わが国の遺伝子医療の充実・発展をめざして組織された全国遺伝子医療部門連絡会議(事務局:信州大学)は、遺伝子医療部門の存在する高度医療機関(特定機能病院など)の代表者により構成されているが、20年度現在、73施設(大学病院63とその他の病院10)が加盟しており、わが国においても高度な遺伝カウンセリングを可能とする遺伝子医療提供体制が整いつつある。

 以上述べてきたように、ゲノム情報を研究だけではなく診療の場で適切に利用するためには、各種遺伝学的検査の臨床的有用性を評価するシステムの構築、および遺伝カウンセリングなど遺伝子医療体制の構築が必要であるが、それだけではなく、広く社会一般にゲノム情報の臨床応用についての利点とリスクを深く理解していただく必要がある。そのためには、常に新たなゲノム科学研究の進展の状況と、起こりうる社会的課題を抽出・整理し、それを基盤に、多分野の専門家および一般市民が協同して議論を深めておくことが必要であると考える。

信州大学医学部遺伝医学・予防医学講座 教授、附属病院 遺伝子診療部長 福嶋義光 氏
福嶋義光 氏
(ふくしま よしみつ)

福嶋義光(ふくしま よしみつ) 氏のプロフィール
1970年東京都立国立高校卒、77年北海道大学医学部卒、同医学部小児科学教室入局。神奈川県立こども医療センター遺伝科医員、埼玉県立小児医療センター遺伝科医長などを経て、95年信州大学医学部教授(衛生学講座)。2005年信州大学医学部長補佐、06年同医学部副学部長、07年から医学部教授(遺伝医学・予防医学講座)。医学部附属病院遺伝子診療部長を2000年から兼務。04-05年文部科学省「ライフサイエンス研究におけるヒト遺伝情報の取扱い等に関する小委員会」委員、04-05年経済産業省産業構造審議会化学・バイオ部会「個人遺伝情報保護小委員会」委員、04-06年厚生労働省厚生科学審議会科学技術部会「医学研究における個人情報の取扱いの在り方に関する専門委員会」委員なども務める。日本人類遺伝学会理事・倫理審議委員会委員長、日本遺伝カウンセリング学会理事長、日本遺伝子診療学会副理事長。

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