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コラム - オピニオン -

おいしさを目で見る

九州大学大学院 システム情報科学研究院 教授 都甲 潔 氏

掲載日:2008年7月23日

九州大学大学院 システム情報科学研究院 教授 都甲 潔 氏

都甲 潔 氏

 

「おいしさ」は人に伝えることができるであろうか? 数値で表現することができるであろうか? 機械で客観的に表現できるのであろうか?

答えは千差万別であろう。―おいしさは各人が感じるものだから数値化したり、人に伝えることなどできるはずがない。おいしさは主観なので、数値化できない。おいしさは自分でわかる、どうして機械で数値化する必要があるのだ?

これらの答えは、みな「味覚センサ」開発当初(約10年前)、学識経験者なる者から指摘されたものである。「味覚センサ」とは「味を測る装置、機器、デバイス」である。

「おいしさ」以前の疑問として、「味」は測れるのであろうか? 答えはイエスである。それには、生理学的理由がある。「味」は舌の味細胞につながる神経線維レベルで確定しているからである。「味」は5つの基本味からなる。酸味、苦味、甘味、塩味、うま味である。最後の「うま味」は日本人の発見した味であり、5番目の独立した味であり、英語でも「UMAMI」と呼ばれる。

「鼻をつまんでオレンジジュースとリンゴジュースを飲むと区別がつかなかった。味で区別していると思っていたのが、実はにおいが効いているのですね」「おしるこに少しの塩を足すと甘味が増す」といったときの「味」は「脳で感じる味」であって、解析は容易ではない。

あくまでも、味覚センサの出発点は、化学的な味ともいえる「舌で感じる味」を数値化、客観化しようというものであり、上の例のような「脳で感じる複雑な味」(主観といえるだろう)を数値化するものではない。

さて、味覚センサは、石けんの親戚でもある脂質を高分子とブレンドし、膜として作り、それに電極を付け、出力結果をコンピュータで表示するものである。特許は全世界に取得しており、日本発のオリジナル技術である。脂質膜が化学物質と相互作用し、電気信号に切り替わり、リード線を伝ってコンピュータに行き、データが解析されるという仕組みである。この脂質膜が味に関する情報を出力する。酸味、苦味、甘味、塩味、うま味といった基本味を数値化するわけである。

この仕組みは生体系とよく似ている。私たちの舌には乳頭というツブツブがあり、それは花のつぼみに似た味蕾(みらい)という器官から作られている。そして、味蕾は複数の味細胞からなる。味細胞は生体膜で覆われており、生体膜は脂質とタンパク質からできている。この生体膜が種々の化学物質を受容する場である。ここで受容された情報は、電気信号へと変換され、味神経を伝わり、脳へ伝達されるわけである。

味覚センサとの対応からは、脂質膜が生体膜、リード線が味神経、コンピュータが脳ということになる。

この味覚センサを使うことで、味を一目で見ることができる。例えば、ビールや発泡酒を測り、横軸をモルト感、縦軸をキレ・ドライ感という人の感覚量で表現することが可能である。エビスやキリンラガーのようなモルト感の強いビールが、アサヒスーパードライの登場でキレ・ドライ感の軸へと移行したこと、そして最近の発泡酒やその他雑酒はその傾向をさらに強めていることなどが一目でわかる。味を眼で見ることができるのである。

音楽には楽譜なるものがある。それゆえ私たちはバッハやベートーベンの曲を21世紀の今でも再現し、聴くことができる。味覚センサの作るデータベースは「食品の楽譜」つまり「食譜」とでも言うことができよう。食譜があれば、お袋の味、伝統の味、秘伝の味を、時間と空間を超え、伝送することが可能となる。伝統の味の再現である。また将来のスペースコロニーや宇宙ステーションでも、地球上と同じ食を楽しむことができよう。

冒頭の質問「おいしさは測れるのか?」であるが、味覚センサは基本味である酸味、苦味、甘味、塩味、うま味を数値化できるため、これに人の官能との相関を取ることで(つまり客観と主観のマッティング)、売れ筋商品の味の特徴付けなどを行うことが可能である。つまり、おいしさを客観化することは不可能ではない。もちろん、おいしさは普遍的なものではなく、時代、土地、歴史、民族、文化等に大きな影響を受ける。しかしながら、基本的な味である酸味、苦味、甘味、塩味、うま味を測ることができるようになったため、あとは適当な座標軸を設けることで、民族、文化等にマッチしたおいしさの評価は可能である。

味覚センサは、現在200社を超える食品メーカー、医薬品メーカー、公設の試験場やセンター、大学等で使われている。味覚センサを開発、製造、販売する会社であるインテリジェントセンサーテクノロジー(略称、インセント:本社 厚木)、味のデータベースを配信、提供する会社である味香り戦略研究所(本社 横浜)、どちらも売り上げを好調に伸ばしている。

また、日本科学未来館でも、「味を測るロボット」工作のイベントが行われている。この工作では、電気、化学、生物の勉強ができるため、参加者にたいへん好評である。このように、味覚センサは、小中学生の理科教育の格好のテーマとなっている。

昨今「理科離れ」が頻繁に叫ばれている。しかし、よく考えて言葉を厳密に使いたい。「理科離れ」ではない、「勉強離れ」なのだ。日本語を書けない、しゃべることのできない学生がなんと増えたことか。それは、小中学校時代の教育が間違っているからである。先生は、何とかの一つ覚えのように「運動クラブに入ろう。皆で楽しくスポーツをしよう」と叫ぶ。

とんでもない話である。群れて行動し、身の安全を守るのが、動物である人間の本能としても、これのみを強調する教育は間違っている。もちろん、「ゆとり教育」が間違っていたことは論を待たない。勉強とは本来、孤独なものである。その孤独に今の若者は耐えることができない。携帯を一時も離さず、いつも誰かとコンタクト取っていないと、落ち着かない。

「個性」や「独創性」の大事さが叫ばれているが、これも地道な努力あっての「個性」であり、「独創性」である。基礎を抜きにした「独創性」はあり得ない。味覚センサも、電気、化学、生物という幅広い学問を地道に修得することで生まれた「独創」技術である。「地道に学ぶこと」、それを小中学校から教育したいものである。

ビール、発泡酒、その他雑酒の味の地図
ビール、発泡酒、その他雑酒の味の地図
(提供:味香り戦略研究所)

 

九州大学大学院 システム情報科学研究院 教授
都甲 潔 氏
(とこう きよし)

都甲 潔(とこう きよし)氏のプロフィール
1980年九州大学大学院博士課程修了。九州大学工学部電子工学科助手、助教授を経て、97年から現職。『プリンに醤油でウニになる』(ソフトバンククリエイティブ)『感性の科学』(朝倉書店)『感性の起源』(中央公論新社)『味覚を科学する』(角川書店)など著書多数。「生体を模倣した味覚センサの開発」の功績で、2006年度文部科学大臣表彰・科学技術賞受賞。「匂いセンサ搭載火災検知ロボットの開発」の功績で、07年度消防庁長官奨励賞受賞。

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